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 流れる音楽と調子の外れた声が、会場を沸かせ盛り上げる。歌が下手、というのを目玉にした出し物らしい。出し物をする招待客は、衣装に着替えて楽しそうに歌っていた。

 花嫁の着ている純白のドレスはフリルとレースがふんだんに使われていて、よく食べる花嫁の介添えはしきりにクロスを差し出している。



「“――次、メイン行くぞ”」



 谷澤チーフの合図を聞いて、スタッフの六割が会場から引き上げた。羽田さんがちゃんと会場に残っているのを確認して安堵の息を吐きながら、インカムのボリュームを密かに最小まで下げる。



「“今出てきたスタッフは半分戻れ!周りをちゃんと確認しろっ!”」

 黒服の誰かがインカムで怒鳴り、スタッフはぱらぱらと何人か会場に戻って来た。黒服は怒鳴ったけれど、指示の仕方に問題があるとも思うのだ。


 例えば、さっき料理を出さなかったスタッフ。例えば、今裏側に居ないスタッフ。そうして呼び掛ける対象を限定しないと、何も分からないスタッフは新しい料理が出るとだけ理解して、そのまま裏に取りに行ってしまう。


 メインが出るから誰々が取りに来いと言えば良いのに、谷澤チーフは「察せない方が悪い」と言う。そんな風に最初から派遣に求めるのは、やっぱり谷澤チーフの落ち度だ。


 求めるなら、それに見合った指導をして欲しい。右も左も分からない派遣スタッフに、いきなり察すると言うのは現実的に考えて難しい。


 出来ない、と決め付けるのが早過ぎる。

 ロクに指導もしない癖に。


 だけど、レベルアップには向いているとも思う。無茶な指示、分かりにくい指示、無言の指示。それらに応える為に、ずっと神経を研ぎ澄まして置かなければならないからだ。



 表面上は問題なく終わった披露宴会場で、谷澤チーフはスタッフを集合させた。


「何が悪かったのか、右から順に言っていけ」


 びくびくと怯えるスタッフを谷澤チーフ、我妻さん、他の黒服二人が見渡す。


 失敗を自己申告する反省会は、ほぼ毎回行われる。派遣以外の正社員スタッフが、片付けをしているすぐ横で。


 片付けの空気が好きだと思う暇もなく、詰問のような反省会が谷澤チーフによって始められた。


 一番右端に居た女の子の派遣スタッフは、俯きながらぼそりと口を開く。


「分かりません……」

「次」


 その言葉を冷たくあしらって、谷澤チーフはその隣のスタッフを見た。


 張りつめた緊張感は披露宴が終わっても、ずっと和らぐ事がない。


 怒鳴られる事を恐れるスタッフは、顔色も徐々に青くなって行く。このやり方は、チーフが谷澤チーフから変わらない限りは慣れるしかない。


「すみません、分かりません、」

「次」

「わ、分かりませ、」

「次っ!」


 段々と苛立って来る谷澤チーフと黒服に、びくりと何人かの肩が跳ねた。


「ビール瓶を、あの、裏で割りました」

「それで」

「すみませんでしたっ!」

「片付けに使った時間は何分だ」

「分かりません……」

「同じ失敗はするな。片付ける時間が勿体無い」

「はい!」

「次は」


 順番の回ってきた羽田さんは、ハッとして顔を上げる。不安そうに瞳が揺れるものの、谷澤チーフをじっと見返す。


「会場から、一気に人が減り過ぎたと思いました。次回から気を付けよ……気を付けます」


 気を付けようと思います、何々しようと思います、は回答として駄目なものだった。「思うだけか?」と谷澤チーフが言うからだ。


 言い直した羽田さんを数秒見つめ、谷澤チーフは頷いた。


「そうだ。今日の反省点はそこだな。羽田は抜けて良い、片付けに参加しろ」

「は、はい」


 ホッとしたように息を吐いて、羽田さんは私をちらりと心配そうに一瞬だけ見る。


 けれど、谷澤チーフに何かを言われる前にとすぐ片付けに参加した。



 それからも何人かが、羽田さんと同じ要領で抜けていく。残された人は何が悪かったのかもう一度最初から聞かれ、答えられなければまた同じように繰り返し問われる。


 誰かと被らず、それでも失敗した事と反省点を並べて言わなければ、反省会から抜けられない。

 一番左に並ぶ私は一番不利だとも言える。


 最終的に一番不利なのは最後まで残されたスタッフだが、一周目では一番左が一番不利。


 どこか遠くに行ってしまいたい衝動に駆られながら、順番が回ってくるのをひたすら真面目な顔で待つ。


「次」


 来た。


「……途中で料理を出すスピードが遅くなったと思います。次回からはもっとスピーディーに配膳出来るよう気を付けます」

「それで?」

「配膳の順番が前後しないように、テーブルの確認も念入りにします」

「分かった。片付けに参加して良い」

「はい」


 抜けようと回れ右をした私に、悪魔の声がひやりと響いた。


「すみません、チーフ。少し良いですか?」

 我妻さんは谷澤チーフを見て、それから次に私を見た。ぎくりとした私に構わず、我妻さんは呼び止める。


「佐藤。スピーディーにする為には具体的に何をすれば良いと思う?」


 完全に嫌がらせとしか思えない問いに、ぎこちなく身体を捻り我妻さんの方を見る。


 今よりもっとスピーディーにする為には、移動のスピードを上げる必要がある。

 それから、料理をゆっくり出すスタッフを急かす事も必要になる。


 だけど他の会社の派遣に後者は出来ないし、それは黒服の仕事の筈だ。


「見苦しくない程度に配膳の速度を上げる必要があると思います。普段から素早く動けるよう、次回からそれに気を付けながら臨みます」



「よく分かった。ありがとう」

「はい、……失礼します」


 何とか合格ラインに達したらしい。冷や汗を拭いながら、もう半分も終わってしまった片付けに参加した。周りのスタッフの目が痛い。今頃来やがって、と思っているのは明白だった。


 羽田さんは現役高校生だから先に抜け、設営の為に残されたのは大学生とフリーターの私を含めた四人だった。


 谷澤チーフが事務所に戻り居なくなった事により、安堵の表情を浮かべる三人。私が気を抜けないのは、設営メンバーに我妻さんが居るからだ。


 我妻さんと黒服の深町(ふかまち)さん。

 深町さんは無駄口を叩かない人で、黒服では唯一怒鳴り声を上げない人だ。その代わり、目だけで注意をするからか注意に気付かない人は多い。


「円卓だから男はテーブルを、女の子はクロスを取って来るように。テーブル広げたらすぐにクロス張って。早く帰りたいなら作業も早く」


 図面を見ながら、我妻さんはさっさと指示を出して背中を向けた。


 もう一人の黒服である深町さんは、大学生の男性スタッフを連れて倉庫へ向かう。


 残された私と女性スタッフ二人は、クロスを取りに行こうと身を翻し通路に出た。


「あ、佐藤はテーブルの方にしよう。クロスは二人で充分だろ?」


 はい!と返事をした女性スタッフに取り残され、仕方なしに倉庫へ向かった。


 私、女なんですが。嫌がらせですか。と、悪態吐いても声には出さず。


 重たい円卓を思い出して、顔を引き攣らせながら倉庫の中に入る。


「一人で平気だろ?」

「はい」


 しれっと答えた私に、面白く無さそうな顔をした我妻さん。


 WLは段差が多く、キャスター付きの円卓テーブルでも、運ぶ際に持ち上げなくちゃならなくなる。

 片方ずつ行けば問題ないとも思えるけれど、大変なのはエレベーターだ。


 二階から三階へ持っていく今日の設営は、女にさせると無駄に時間が掛かるから男をテーブルに回したのだと思う。


 だから、私をテーブルの担当にしたと言うことは、暗に“お前なら早く出来るよなぁ?”と挑発したも同じだった。


 情けなく「無理です」なんて、言える訳がない。


 無言で円卓テーブル組み合わせて、合計三つを運び出す。キャスターが動くようになっているかどうかを確認して、通路の方に押し出した。


 三つのテーブルが離れないよう支えながら、エレベーターへと押していく。


 後ろから我妻さんが四つのテーブルを押し追い掛けて来たけれど、焦って倒したりしないように早歩きのペースを崩さなかった。



「……遅い。派遣は行動が鈍間だから嫌いなんだ」

「すみません、気を付けます」

「謝れば良いと思ってるんだろ?」

「そんな事は有りません」


 我妻さんの嫌味を受け流しながら、エレベーターのボタンを押す。


 三階に上がっていたエレベーターはすぐに二階に降りて来て、ドアが開いたのを確認してから先に中に入って開延長ボタンを押した。


 中から引っ張るように持ち上げ、テーブルの前足をエレベーターに乗り込ませる。


 後ろ足を持ち上げる為に一旦降りようとしたら、我妻さんが持ち上げて中に押し入れて下さった。……そう。押し入れて、下さった。


「一人じゃ何も出来ないんだな」


 嫌味を言う為だけに。



 円卓テーブルと我妻さんに挟まれた密室空間は、ヴヴンと低い音を出しながら微かな浮遊感を味わわせる。


「お前、俺の言った事は考えたのか?」

「……業務が終わってからお話させて下さい」

「そういう所が気色悪いんだよ」

「すみません」

「それしか言えないのか」

「そうですね。語彙が少ないので」


 我妻さんとは余り話したくない。

 この人がもしも中卒じゃなく、仕事が出来なくて、ただ嫌味な人だったら、きっと私は話を聞こうなんて思わなかっただろう。

 呼ばれて来たのは我妻さんが、ただ私を馬鹿にしているだけではない、と思ったからだ。


 沈黙した空間もすぐ終わり、エレベーターは開く。


 黙々と設営作業に勤しみながら、なるべく早く終わるようにいつもより早い作業を心掛けた。


 終わったのは十二時を過ぎる少し前。


 挨拶をして事務所を出る私に浮かんだのは、いつも向こうのホテルで見せていたような愛想の良い笑顔じゃなかった。


 ここでは業務時間外に、無駄な笑顔は必要ない。


 人間関係を悪くしない為に笑う程度で、自然と滲むような笑みは全く浮かんで来なかった。




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