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葉山視点

 美人でも不細工でもない。ただ愛嬌があって、日溜まりのように明るく柔らかい。


 見ているだけでこっちが笑顔になりそうな、心の底から明るい笑み。


 あの顔で徳利を渡されたら、中年親父は思わず表情を綻ばせて娘を見ているような顔になる。年配に好かれ易く、同年代から敬遠されて、それでも深い性格を知れば恐らく離れられる事はない。


 いつだって一生懸命に前を見ているのに、その道は決して優しくない。だから周りは不憫になり、つい手を差し伸べたくなっていた。


 それも、やんわり拒否をして。


 一人で前を見据える強さが更に目を離せなくさせた。



 チップ、と言うものがある。外国と違いそんな習慣がない日本でも稀に海外にも足を伸ばす客が来ると、気紛れに渡して来ることがあった。


 滅多にないその機会を、佐藤は二度も経験している。社員にすら未経験の人間が多いのに、佐藤は困った顔をしてチーフにそれを渡していた。


 気持ちの良い接客は何も日本人だけに留まらない。外国人だろうが日本人だろうが、接客の根底に違いは無かった。相手を思いやる気持ち、それさえあればちゃんと通じる。


 宴会でもパーティでも、会食でも会議でも接客自体に違いはなく、誰でも笑顔には笑顔を返す。


 佐藤の飛び抜けて凄い所はその“思いやり”の深さだった。


 一概に客と見ずに、一人の人として接客する。それが出来る人間がこのホテルに何人いるか。――少なくとも、俺が見たのは佐藤を含め三人だ。


 チーフ、前田、佐藤の三人。

 客を一人の人間として個人を見るのは本当に難しい。チーフはチーフと言う立場になってから、それを故意に辞めたと言った。

 本当にそれが出来るのは、一番身近に居るスタッフだけだと。前田は社員、指示を出す立場になる。だから今、限り無く客に近いのは佐藤だけだと薄く笑う。



「佐藤さんはね、思いやりを意識していない。だから上手に相手の中に入れるんだ。いつの間にか気付かれていて、いつの間にか希望に沿ってくれている」


 心地良いよね、と目を和らげて、チーフは俺にそう言った。


「中卒じゃなかったら、きっと沢山の道が開けたんじゃないのかな。接客も幅広いから」

「……俺は、佐藤にはこの仕事が天職だと思います」

「そうだね。会場が好きみたいだし、そうなのかも知れない。だけど、佐藤さんはまだ若い」

「それが社員に薦めない理由ですか」

「羽ばたける若い鳥を捕まえていたら可哀想だ。葉山はそう思わないか?」


 言葉に詰まって、結局俺はチーフの問いに答えられなかった。




 居る筈の場所に居ないと言うのは、案外堪えるものらしい。冷えたリビングに料理は無く、部屋の前の籠に洗濯物もない。ソファーに座っても、その隣に小さな身体が寄り添わない。


 気が付けば当たり前になっていた佐藤の姿が見当たらないだけでこの様だ。


「歳を考えろ……」


 寂しい、なんて思う年齢じゃない筈だ。どこのガキだと言いたくなる思考回路を閉ざし、カッターシャツのボタンを外す。


 もしも佐藤がここに居たら、俺にどう言っただろうか。


 ――部屋で着替えて下さい。目のやり場に困ります!


 男が口にするような台詞を恥ずかしそうに言うかも知れない。



 そう考えて自分に呆れる。相手は一回り以上離れた女だ。何をそんなに執着する必要がある。


 探せば他に女はいくらでも居るだろう。――だが、探す気も佐藤と別れる気も全く無い。


 捕まえてまださほど経っていないのに、すり抜けた佐藤に苦々しい思いが浮かぶ。



 付け入る隙を与えたのも逃げる隙を与えたのも、油断していた自分自身だ。


 崎山の一生懸命さは佐藤を僅かに思い出させた。佐藤の入る会場で、自分が指示を出す心地好さ。不在の佐藤と一生懸命な崎山が被って、空いた時間を埋めるように面倒を見ていたような気もした。


 結局は全て佐藤に繋がる。


 この年になって年下に翻弄されるのは何とも情けなく面倒臭い。その面倒臭さも含め、佐藤を手元に置きたい独占欲は今までには無かったものだ。




「気が、緩んだか」


 余りにも温かく余りにも疲れを忘れさせる希少な存在が、いつまでも手元に居ると錯覚したのがそもそもの間違いだった。


 初めに払った代償は、気障で下手糞な口説き文句と一か八かの強引な賭け。


 二度目に手にする代償は――何になるかと自嘲する。



 案外持っているものはそうそう大した物じゃない。


 学生時代の連中なら、佐藤を口説いた事にひっくり返って驚くだろう。


 どうにもあの少女は、俺を翻弄するのが上手い。


 嫉妬するかと思えば自分の気持ちが伝わっていないと不安になり、落ち込むかと思えば眼中にないと素通りして。大人しく待っていると思っていたら、急に出ていくと言い出した。


 崎山の威嚇にも挑発にも全く気付かずに仕事だけを優先し、挙げ句の果てには見知らぬ所で崎山を虚仮(こけ)にしたり。


 厨房ではさぞかし馬鹿にされただろう。


 佐藤が入っていながら、料理は何度も作り直し。足を引っ張る担当などど言って少なくとも深山料理長は馬鹿にしていた。


 今日はそれに同情したのもあるが、佐藤に逃げられているとなれば構う余裕も無くなった。



「そう簡単に逃がせるものじゃない」


 あの笑顔は、あの女は、俺にとって何者にも変えられない、初めて欲しいと思った存在だ。


 あわよくばから必ずや、に変わった手に入れたい存在。


 どうやって取り戻すか――三十路を過ぎた男が侘しく、夜通し悩み続けた翌日。



 佐藤はまたしても予想を盛大に裏切ってくれる。まさか姿を現さないなどと、完全に予想の斜め上をいっていた。



 本格的に焦り出したのは昼を過ぎてからだったが、前田も真琴も梶川さえも、誰一人として頑なに口を割らないままで。



 チーフは俺に冷めた目を向け、


「葉山じゃ役不足だったかも知れないね。読み間違えたかもなあ」


 と寒気のする言葉を落下させ。



 佐藤を留まらせる為に利用されていたとも取れるその台詞に、震え上がったのは前田と梶川も同じだった。



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