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「返せって怒鳴られたんだけど。怖いから明日休む」


 そのわりにはケロリとした顔でいらっしゃいますね。とでも言ったらびっくりするだろうか。芹澤さんはあっけらかんとした態度で携帯片手に帰ってきた。


「駄目駄目。チーフがキレるわよ。どっちが怖い?」

「チーフ」


 即答して、芹澤さんは梶川さんの隣に座る。注文は前田さんが済ませ、芹澤さんには手羽先と焼き鳥だと当たり前のように決めていた。


「どこにやった、返せ、今すぐに出せって煩いよ。兄貴の物じゃないってのに。ね、美月」

「いつの間に……!俺も美月ちゃんって呼んでいい?」

「あんたにはまだ早い!」


 パコン、とおしぼりの置いていた薄い木で前田さんは梶川さんを叩く。一瞬ハリセンが浮かんだ私は葉山さんに毒されていると思う。


「まぁ、暫くは頭冷やせって言っておいた。保護してるから大丈夫だって」

「佐藤さん、明日は何時入り?葉山さんとだったら最悪だわ」


 前田さんの問い掛けに、びくりと肩が跳ね上がる。目敏く気付いた芹澤さんは目を細めながら葉山さんとよく似た訝しげな顔をした。


「美月」


 しっとりと呼ばれたその名前が、本当に葉山さんによく似ている。


「……明日は、九時です」

「九時?午前中って小さい会議だから社員しか、」

「どこに、九時?」


 梶川さんの言葉を遮った芹澤さんは私に更なる追及をした。答えるのが何だか気まずいのは、裏切ったような気持ちだからだ。


「WL、です」


 ワールドランドホテル。一流とも言われるここからは少し距離のあるホテルだ。特急が無ければ行けない位には遠めで、ヘロヘロになっていた原因は主に移動と精神的な物だった。




「これまさか、やっちゃった……?」


 前田さんの青くなる顔に梶川さんはぶんぶんと首を縦に振る。


「佐藤さんも結構鬼畜だね。職場でも会えないなんて兄貴可哀想ー」

「ね、ねぇ、佐藤さん。ちなみにそれって明日だけ?」

「……暫くは、向こうに。期限は決まってないので」


 平川さんと話した後、このままではいけないと思っていた。


 だから、そのタイミングで派遣会社から頼まれたワールドランドホテル入りに、行くとその場ですぐに答えた。変わるなら、まずは第一歩目からと思って。




「でも、どうして急に?行きたいって志願したの?」


 前田さんは神妙な顔付きで私を見つめる。


「名指しで呼ばれたみたいなんです。その人に少し教えて貰いたい事もあって」

「……ロックオンされてるよ、佐藤ちゃん!ほらやっぱり早く社員にしないから他が目付けちゃったんだ……!」

「落ち着きなさい、梶川。黙ってて。佐藤さん、教えてもらいたい事って?」

「――中卒なんです、その人」



 ――何で足掻こうとしないんだよ。



 吐き捨てるようにそう言って、心底私を嫌悪した。


 だけど、名指しで呼ばれている。ある意味挑戦状だと思った。もう一度、あの場所に。今度は葉山さんの支えなしで。



 梶川さんを家まで送って、下着を買いに行く途中、前田さんは申し訳なさそうに私にぽつりと呟いた。


「佐藤さんは真剣に考えてたのに、騒いじゃってごめんね」

「……嬉しかったです。前田さんにも梶川さんにも、ああ言って貰えて」


 だから、頑張れる。一人じゃない、誰かが私を見てくれていると知ったから。


「隣に、自信を持って並びたいんです。葉山さんに見劣りしないようになりたい」

「その、佐藤さんを呼んだ人って、もしかして男?」

「はい」

「地雷……!佐藤さん地雷ばっかりじゃないのよー!」

「良いんじゃない?」


 スーパーに車を停めて、芹澤さんは私と前田さんを交互に見た。


「兄貴と崎山も仕事なら、佐藤さんだって仕事だよ。兄貴がとやかく言える事じゃない。現に崎山は付きまとってるし」


 そんな当て付けがましい事は考えても見なかったけれど、結果的にはそうなるのだと今更ながらに気が付いて。だけど、


「そんなに優しくないです。あれは悪魔で、いや……魔王の方が近いかも……」

「チーフより?」

「チーフはまだスタッフに対して笑顔があるじゃないですか。あれは何て言うか、うわ、鳥肌が、」

「……何だか凄く余計な心配な気がして来たわ」


 ぞわりと立った鳥肌を擦り、思い出すのも嫌になるくらい鋭くギランと睨んだあの人の顔を慌てて脳裏からかき消した。




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