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8

 まずは割り箸に箸置き、おしぼりと醤油を準備して。五徳(ごとく)に木台、固形燃料と陶板焼の蓋を台車に乗せた。


 落ちないように気を付けながら、下段にドリンクを詰めていく。

 予備のクロスと懐紙も取って、台車を押しながら二階に降りた。


 会場の設営は既に終わっているものの、細かい所は黒服が当日見直しにやって来る。既に会場に入っていた派遣二人と崎山さん、仮設で作った壇上にあるマイクを確認している葉山さん。


 予想していた通りに真中さんが氷とピッチャーを準備してくれていて、平川さんはバケツとざる、片付け用の物を準備してくれていた。


「平川さん、和紙をお願いします」

「はい」


 私に気付いた平川さんは頷いて和紙を取り敷いていく。一人一枚、椅子を並べる前にテーブルの上は準備を終わらせるのが基本だ。バーカンにドリンクを並べて、グラスを磨くクロスが無い事に気付く。


「真中さん、クロスは、」

「忘れました、すみません……」

「予備があるので、これを使って下さい。始まる前にまた取りに行きますから。次からは事前に確認をお願いします」

「はい、リーダー」


 持ってきておいて良かった……!ホッとしながらクロスを渡し、並べられた和紙の上に木台を置くべく移動する。


 ちらり、と崎山さんは私を見て、すぐに目を反らし葉山さんに問い掛けた。


「乾杯のタイミングは主催者が来てから聞くんですよね?」

「ああ。勝手にやるなよ。必ず確認するように」

「はい。あの、それから、今日はマネージャーが?」

「チーフからフォローに回るよう言われてる。何かあったら俺が入るが……出来るだけ自分で対処しろ。身に付かない」

「わ、分かりました。頑張ります」


 うわお顔が真っ赤だ。……なんて思えるのは現実逃避か余裕があるからか。


 とりあえず見ないようにしよう。


 誰からも聞いてないけれど、確実に件の人は崎山さんだ。崎山さん以外だと言われても、きっと納得出来なかっただろう。


 準備は一時間もあれば終わる。会食の開始は十二時、前後する可能性もあるけれど、そんなに大きく変わる事はない。準備が粗方終わり、グラスを磨いていた私に崎山さんが手招きをした。



「時間の使い方をよく考えてね。早く準備が終わったら怠けられると思わないで」


 来た、誤解にまみれた説教!

 早く準備を終わらせたからと言って、怠けたり休んだりはしない。


 けれども、そうは思わない人が社員には多かった。……今では殆んど言われないが。


 怠けるなと言う割りには、準備には無駄に時間を掛けろと言ってくる。準備が遅い方が早く終わって時間を持て余すより何倍もマシに思えるらしい。


 グラスを磨いてるのが見えませんか、と言いそうになって口を閉ざす。宮坂さんばりにプライドが高く、自分中心の崎山さんはむかつくけれど嫌いじゃない。と言うより、同情はする。主に芹澤さんの事で。


「すみません、気を付けます」


 当たり障りなく答えた私も気に入らないらしい。


「……ちゃんと分かってるの?」

「はい。次回からは準備を丁寧に、時間配分も気を付けます」

「なら、良いけど……」


 なにやら不満そうだけれど、とりあえず許して貰えたようだ。



 ぺこりと頭を下げて戻り、グラスを拭きながら進行を復習する。乾杯のタイミングを崎山さんが主催者に聞いたら、ビールを回すタイミングも教えて貰おう。



 なんて、やっぱり考えが甘かった。





「“聞けなかったで済むと思うなッ!”」


 インカムから響く怒声に崎山さんは畏縮してしまっていた。


 そんな顔で会場に居る事が出来る筈もなく、ビールが全員に行き渡ったのを確認してから崎山さんを裏に連れ出す。


「直ぐに葉山さんが来ると思います。

 “――佐藤です。お吸い物、準備しても大丈夫ですか。”」

「“――ああ。”」


 返答が返って来たと同時にトレイの上のお(わん)にお吸い物の汁を入れる。三ツ葉の浮いたお吸い物からほんのり良い香りがしするけれど、すぐに蓋をして平川さんにトレイごと渡す。



 乾杯のタイミングを聞きそびれてしまった崎山さんは、開始するや否や主催者を見失い、気付いた時には既に乾杯が始まろうとしていた。


 慌てて崎山さんに確認を取らないままビールを出す事になったけれど、お客さんはそんな異変に気付かず普通に乾杯の挨拶をした。


 ビールが間に合って本当に良かった。心臓ばっくばくになりながら出したものの、進行事態に影響はない。


 あるとすれば、崎山さんの態度だった。


 出鼻を挫かれた事で、非常に落ち込んでしまっている。宮坂さんは仕事中は顔に出さなかった分、実は随分とマシだったのかも知れない。


 お吸い物を出し終わり、ビールの空き瓶を回収して指の間に挟んで行く。


「“葉山、入ります。”」


 その言葉と同時に葉山さんは会場に入り、目だけで私に出て来るよう促す。


 裏に出ると、葉山さんはとても難しい顔をして眉間の皺を増やしていた。



「崎山さん、大丈夫ですか?」

「……悪い」

「いえ」

「とにかく顔を洗いに行かせた。帰ってくるまで俺が入る」

「分かりました」

「……」


 小さく、本当に小さく、葉山さんは溜め息を吐いた。聞こえなかった振りをして、葉山さんを置いて会場に戻る。


 中盤に差し掛かるまで、葉山さんとは会話の一つすら交わさなかった。


 帰ってきた崎山さんと入れ違いに葉山さんは事務所へ引き上げた。その際、


「“葉山、抜けます。”」

「“了解しました。”」


 とだけ、言葉を交わした。



 崎山さんは挽回しようとしたのか、やけに空回りして料理を二つも駄目にした。厨房に謝りに行く背中はとても小さくて悲壮感が酷い。


 そんな小さな失敗を繰り返し、最後の最後で出したデザート。


 薄いピンク色のソースが掛かったチーズケーキ。どうしてもデザートだけはケーキでと希望した主催者により、最後だけ洋風になったこのデザートを崎山さんは私に掛けた。


 そこに他意はなかったと、申し訳なさそうな崎山さんの態度で気付いたけれど、気持ちはそれについていかない。


「……着替えて、来て良いから」


 ひくりとこめかみが引き攣った気がした。


「考えて下さい」

「え?」

「お願いします、お客様の事を一番に、考えるようにして下さい。……すみません、すぐに着替えて来ます」



 集中していないから、タイミングを逃すんだと思う。緊張するのは構わない、失敗するのも構わない。少なくとも、小さな失敗をフォローする事なんていくらでもやろうと思ったら出来る。


 だけど、本人に集中する気が無かったら、いくらフォローに回っても改善されない限りずっと同じ。


 失敗をループし続けた先にあるのは、お客さんにとって不愉快となる空間だ。



 探している相手が居ようと、いくらその人が気になろうと、一番先に考えなくちゃいけないのは目の前にいるお客さん。



 崎山さんは見えていない。


 お客さんを通り越して、進行の順調さや飲まれたビールや熱燗の数量ばかりを気にしている。


 熱燗の出た数から次の数を予想するんじゃなくて、飲んでいるお客さんの顔と様子を見て欲しかった。



 真中さんは居酒屋勤務だけれど、お酒を作るのが苦手。ビールサーバーの扱いは手慣れているのに、と本人も言っていた。


 逆に平川さんは若い頃にお酒を学んだらしく、派遣の中では分量を間違えず手早く作れる数少ない人でもある。


 お湯割り、水割り、ロック。芋、麦、米。ウイスキーが出る事もある。


 平川さんが入った日はバーカンがやけに人気になる日だって過去にあった。


 お酒を知っている人が作るものと単なるスタッフが作るもの。どちらがお客さんにとって嬉しいかは聞かなくても一目瞭然だ。


 いつもいつも平川さんがこのホテルに入ると言うことは出来ないから、せめて来た日はバーカンにと派遣の中では当たり前のようになっていた。


 頼もしいと思ったのはその腕前と上手な接客があったからだ。新人にしては重宝される平川さん、裏にはそんな事情があった。


 エレベーターのボタンを押して、到着するなり滑り込む。事務所へ向かう道中で、制服のボタンに指先を当て、一瞬考えて手を下ろした。


 はしたない。落ち着いて着替えよう。


 チン、と小さく鳴った到着音と同時に飛び出して事務所のドアをノックした。


「どうぞ」

「入ります。すみません、制服一着持っていきます!」

「どうかした?」

「いえ、大丈夫です。失礼しました」

「佐藤さん、ちょっと待って」


 制服を一着手にして事務所を出ようした私にチーフが制止の声を掛ける。振り返ってチーフを見ると、微苦笑を浮かべて首を傾けていた。


「ありがとう」


 ――分かってくれている人が居る。

 それだけで私は元気になれる。


 何があったか知らないチーフが、私にお礼を言ったと言う事は。私のやろうとしている事はきっと間違っていないと思う。


 ごめんね、なら。私は黙って指示を聞くだけに止めた筈だ。


 だけど、ありがとう、なら。


「言い返しても、良いですか」

「うん。少し思い込みが激しい子だから。でもあんまり泣かせないで」


 面倒だから、とさらりと口にしたチーフにクロスを畳んでいた前田さんが絶句する。


「ほんと怖いわぁ、チーフ。佐藤さん、負けちゃ駄目よ!」

「……失礼しました」


 前田さんのガッツポーズに苦笑いしつつ、事務所を走って後にした。


 エレベーターはタイミング良く上から降りて来たようで、開いたドアの向こうへ踏み出そうとしたら、目の前に芹澤さんと葉山さんが居た。


「ま、間違えました」


 くるりと踵を返し階段で降りようとした私の首根っこを掴んだのは、意外や意外芹澤さんだった。


「間違えてないよ。二階に行くなら」

「ですよね」

「ボタン、外れてるけど」


 芹澤さんが目敏く気がついた胸元のボタンは事務所を出てから外したもので、実を言うとエレベーターの中で着替えようとしていたのである。


 ギランっと私に向かった般若のような恐ろしい目は当然のように葉山さんから向けられたもので、思わず一歩後ろに下がった。


「お、」

「ストップです葉山さん!」

「……何だと?」

「今は時間無いので後で聞きます!次から着替えは控え室でしますので!」


 口を開いた葉山さんを慌てて遮り、二階に着いたエレベーターからするりと降りる。


 一度頭を下げてその場を後にし、裏側でバタバタと着替えを済ませた。



 戻った会場はのんびりムードで、デザートも作り直しが大丈夫だったらしい。


 空いたビールとお皿を下げ、進行具合を確認しながら片付け用具を裏に並べて台車に乗せた。


 暫くして、会食の終わりを主催者が暗に口にする。それを察した数人が「そろそろ」と周りに声をかけ始めた。




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