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通路を走って厨房に出ると、生暖かい湯気が身体にまとわりつく。熱気の凄い厨房を横目に、目的の場所へ近付いた。
和食を担当しているのは、小柄で眼鏡を掛けた男の人。深山料理長と年齢は同じくらいで、違うのは恰幅の良さだった。深山料理長は大きい、全体的に大きい。和食担当の人は小さくて身体も細い。
「作業中にすみません。今日の会食についてお伺いしたい事が、」
「後にしてくれ!」
豪勢な会席弁当を盛り付けているその人は、顔色を悪くしながら私にそう言い返す。
「すみませんっ!順番について質問お願いします!デザートの後にお吸い物が出ることになっています!」
「何だとっ!?」
慌てて顔を向けた和食さんは今にも死にそうな表情で私の持っていた紙を見た。
そこには確かにデザートの後にお吸い物で、和食さんはやっちまったと小声で己の失態を責めた。
「あの、すみません、準備自体は出来ていますか?」
「ああ、鍋に……」
「前菜の後で大丈夫ですよね?」
「でも派遣は、」
「大丈夫です!順番が変わっても間違えません。前菜の後に出します」
厨房はいつも忙しい。
予算内でメニューを考え、粗方は内容決まっているとしても細かい調節が何度も必要になったりする。
一つの料理を作るだけじゃなく、沢山の料理を順番に作って、時間差も計算して盛り付けもする。タイムテーブルを頭に入れて置かないと、すぐに流れから反れてしまいスムーズに進まなくなったりもして。
そんな忙しい厨房の人達は、派遣に余り良い印象を抱いていない。
考えていた進行が派遣のせいで止まってしまったり遅れたりして、それでも評価は“全体的”に下される。
派遣はホテルの従業員じゃない、と思っている人は多い。
一度しか入らなかったり違う場所から来たりするからだ。ずっとこのホテルに居る訳じゃないから無責任だと思われている。だから、厨房は派遣に頼らなくて良いようにメニュー作成にも手を抜かない。
「……何人で運ぶ?」
「スタッフは二人です」
「間違ったり、しないでくれよ」
「はい!」
良かった。やっぱり順番は間違いだった。
それが事前に分かっただけで、始まってからの混乱は避けられる。返事をして身を翻した私に、真横から大きな笑い声。
「相変わらず忙しない奴だ!急ぎ過ぎてこけるんじゃねえぞ!」
深山料理長の大爆笑に失礼な、と思いつつ、返事をして厨房を出る。
通路のあちこちに置かれた台車を避けながら、事務所の方へ戻ると崎山さんは私を睨んで待っていた。
「時間を見て下さい。もう十時を過ぎてます」
「すみませんっ!」
時刻は十時三分。しまった、と思っても時間は巻き戻せない。
「二十六名で間違いないでしょうか」
厨房は既に二十六名で料理を準備し始めていた。ならば、二十名と言うのは恐らく変更前の数字だろう。
「……はい、二十六名でした。ドリンクや準備はその人数でお願いします」
崎山さんの改めて告げた人数に頷いて、厨房で確認した間違いと配置について気になった事を聞き返す。
「料理の順番が変わりました。それから、真中さんの配置ですが、」
「リーダー。それ一応さっき言ったんだけど……」
気まずそうに真中さんは目を泳がせた。
「――決めたのは私です。間違えているとは思いませんが」
崎山さんのはっきりとした物言いに、言っても無駄だと判断した。それよりも時間が勿体ない。
「分かりました。それでは宜しくお願いします」
そう言った私の視界に、拍子抜けした顔の芹澤さんが写っていた。
言い争いなんかしません、無駄な話し合いもしません。と、何故か芹澤さんに勝ったような気分になりながら会場の下見に――行こうとした。
「佐藤さん!」
「はい!」
「どうして聞かないの?」
「え?」
「何をすれば良いか聞いてから動いて。失敗した時は私の責任になるんだから」
……分かった。
そんなに簡単にいかないと芹澤さんが言った理由が。
「すみません、気を付けます。何をすれば良いでしょうか」
「ドリンク持っていって」
「え?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
慌てて口を閉じ、その指示の真意を探る。通常、小さな会食では人手が少ない事もあってバーカン――バーカウンターに入る人がドリンクの準備をする事になる。
今回で言えば真中さん、その他の準備は主に私と平川さん。真中さんはバーカンの準備が終わり次第、私達二人を手伝う……と言うのが大体のパターンだ。
それなのに、崎山さんは私にドリンクの準備を指示した。
「ドリンクは真中さんが……」
「佐藤さんは準備が早いって聞いたから、二人のサポートをお願いします」
成る程、実際にバーカンには入らないけれど、準備段階では私がバーカンの役割になって二人の仕事を手伝うようにと。
崎山さんの顔を見て、その決定ににっこり笑う。
「分かりました」
この人、宮坂さんに似てる。しかも宮坂さんより立場が上なだけあって面倒だ。遠回しに、私の負担を増やしている。
崎山さんは複雑そうな顔をしながら、それでも挑戦的な瞳で私を見下ろしていた。
「――準備します」
閉じかけていた扉が開く。
あれもこれもそれもと頭の中でにょきにょき増えた腕がやるべき事を引ったくる。
仕事はとられる方が悪い。ですよね、葉山さん。
浮かべた笑顔が私を守る為のものだ。この鉄壁は絶対に崩れたりしない。
むしろ向こうのホテルに入ってパワーアップしたかのようにも思えている。
駆け出した私の耳に静止の声は聞こえなかった。ただ、小さく落とされた、前田さんは楽しげな呟き。
「働き者バージョンだ」
突っ込みたい所は沢山あるけれど、一先ずそれは忘れる事にしよう。




