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「おはようございます」
「おはようございます!」
挨拶を今日入る派遣の二人と交わし、朝の連絡事項を確認する。
着替え終わっている私も派遣さんも髪はきっちりシニヨンで纏められていて、制服も真っ白だ。黒いタイトスカートから伸びる足にはストッキング、パンプスも黒で統一されている。
「今日は二十六名で、会席料理が出ます。榊原さんは急遽出られなくなりましたので三名で回します」
「はい、分かりました」
「了解しました」
一人は真中さん、もう一人は平川さん。
真中さんはフリーターで二十代後半、居酒屋と派遣を掛け持ちしている。居酒屋での勤続年数は六年で、派遣になったのは半年前だ。
平川さんは主婦で確か三十代半ば。ご主人の居ないお昼を中心に入るようになっている。平川さんはまだ新人で二ヶ月程しか経っていないけれど、私にも丁寧に接してくれるとても穏やかな人だった。
今日急遽来れなくなった榊原さんは二十代後半で、自宅でお母様を介護されているらしい。だから、今日みたいに急に入れなくなる事がある。
けれども、それに対して嫌がる人は少なく、榊原さんの人となりがそうさせているのだと思う。
榊原さんは竹を割ったような性格で、急遽キャンセルするような時は本当にどうにもならなかった時ばかりだ。
それもあって、急なキャンセルも派遣会社は仕方がないと受け入れている。何より、榊原さんは派遣先からの評判がよく、他のホテルでは大人気だとか。
そんな人が抜けて大丈夫なのか、と言われれば、今日は自信を持って頷ける。
真中さんも平川さんも、凄く機敏な人だった。
真中さんは接客業を掛け持ちしているだけあって、対応には慣れたもの。平川さんも結婚する前は色々な職業を経験していて最近までファミレスの正社員だったそうだ。
「それでは宜しくお願いします」
頼もしい三人だと思っていたメンバーが一人減っただけのこと。もしもこの二人ではなかったら、無理だと言っていたかも知れない。
「リーダーに会うのは久しぶりですね。あちらのホテル、どうでしたか?」
一ヶ月だけ別のホテルに行くという話は、いつの間にやら派遣さんに広まってしまっていたらしい。平川さんから聞かれて、つい大変さを思い出してしまった。
「凄い大変でした。次から次に動かないと全く追い付けなくて」
広まった原因は誰だろう、と考えて田代さんかなと当たりをつける。仕事はしっかりやるけれど、どうもその他ではお喋りな所があるおば様だ。
そう言えば溝口くん――田代さんから文句を言われていた彼は少しは態度を改めたのだろうか。やんわり注意してみたら、不満そうな顔をしたけれど。
「へぇ。やっぱり良い所はそれなりに厳しいのね。ここも割りと厳しい方だと思ってたけど……」
真中さんは目を丸くしながら私の言葉を聞いていて、平川さんも頷いていた。
事務所の扉をノックして、チーフの返事が返ってきたらドアノブを捻って中に入る。
時間はきっちり九時四十分、確認事項がある為に二十分前に事務所入りした私達を見てチーフは目尻を緩ませた。
「おはよう。佐藤さんが居ると焦らなくて良いねぇ。向こうはどうだった?」
「おはようございます。……大変でした。ずっとバタバタ動いていたような気がします」
チーフに前田さん、芹澤さんに葉山さん。それから、
「初めまして、崎山です。今日の会食を担当します」
「おはようございます、初めまして。高野派遣から来ました、佐藤と申します。宜しくお願い致します」
ずいっと出て来た崎山さんに半ば反射的に頭を下げて挨拶する。
向こうのホテルでは付け込まれる隙があれば、大変な事になっていた。
挨拶は頭を下げて丁寧に。
間違っても顔を上げたままぞんざいな挨拶をしてはいけない。他の派遣会社から来た子はそれで強制的に帰された。今考えるとやっぱり恐ろしい職場だったなぁ……。
「……どうも」
頭上から降ってきた返事を聞いて顔を上げると、私の後ろに居た二人は唖然として崎山さんを見つめていた。
「お、はようございます」
真中さんが崎山さんを見ながらそう言って、平川さんも続くように会釈をした。
チーフから渡された紙に入り時間を記入して、後ろの二人へと回す。
ちらりと視界に入った前田さんはひらひら手を振っていた。それに浅く頭を下げて、ホワイトボードを確認する。
バーカウンターが真中さん……?
予想していた配置と違い、思わずチーフを見てしまった。
チーフはうっすら微笑んで、崎山さんに目を向けた。
「崎山さん、打ち合わせ。大きなパーティーや披露宴以外では黒服が進行を説明するように」
夕方からのパーティーや宴会、披露宴なんかは基本的にチーフが真ん中になって説明をする。
けれど、人数が少ない場合は直接黒服から説明がされる事もしばしばあった。
「は、はい」
どうやら崎山さんは初めてなのか、緊張気味に顔を強張らせた。ちら、と一瞬だけ崎山さんが視線を向けた先には葉山さん。
「……今日は、二十名で、料理は会席料理になっています。出す順番は書いて裏に貼りますので、間違ったりしないようにして下さい」
手元のメモ帳を読みながら、崎山さんは時折つっかえて説明をしてくれた。
ポケットから取り出したメモにいくつか注意点を書きつつ、その説明に耳を澄ます。
大部分の説明が終わり、ホッとした顔の崎山さんは「質問はありますか」と私達を見て問い掛けた。
にょきっと手を挙げた私に少し嫌な顔をして、崎山さんは先を促す。
「どうぞ」
「派遣会社の方からは二十六名とお聞きしておりますが、変更後二十名になったと思って大丈夫でしょうか」
真中さんと平川さんはその質問に頷いていて、恐らく何らかの変更があったであろうその部分を明確にするべく質問した。
すると、崎山さんはハッと顔色を変えて葉山さんの方を見る。
「あの、マネージャー」
「何だ」
「どちら、ですか」
「……それを俺に聞くのか?」
おろおろとする崎山さんに、葉山さんは息を吐いて聞き返した。
「変更があったかどうかくらい自分で確認しなよ」
芹澤さんの突き放したような言い方に、崎山さんは肩を跳ねさせて頷いた。
芹澤さん、それはそれは楽しそうな表情をして崎山さんを見つめている。
悪趣味、腹黒、意地悪の三拍子に半ば崎山さんへ同情しつつ、空いた時間で料理の順番を確認する。
「チーフ」
「うん?」
「厨房に行ってき……すみません、間違えました」
またしても先走りそうになっていたと気付き、慌ててチーフに取り消しを告げた。
デザートの後にお吸い物。
どう考えても可笑しいこの順番について厨房へ言って聞こうした。
けれど、それは黒服の仕事。私が手を出しちゃいけない。
がさがさと紙を捲る崎山さんには申し訳ないが、時間が余り残されていない。
今聞いた方が混乱しないと決断して、忙しそうに目を動かす崎山さんへ声を掛けた。
「すみません、崎山さん」
「えっ?なに?」
「料理の順番についてお聞きしたい事があるんですか、」
「え!?ちょ、ちょっと待って!少し待って下さい!」
隣に立っている芹澤さんが崎山さんに恐怖を与えている。
トン、トン、とデスクを叩き、崎山さんを急かす芹澤さん。なんて恐ろしい……。
芹澤さんの隠された本性を見てしまい、若干引き気味になりながら時計をちらりと確認する。
やばい、あんまり時間がない。
もう一度だけ崎山さんを見て、仕方がないと決断を下す。
「厨房行ってきます。すぐに戻ります!」
「はーい。いってらっしゃい」
前田さんの笑い声混じりの返答を背中で聞きながら、事務所を小走りに抜け出した。




