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 葉山さんがどうしても、どうしても!乾かしたい、と言ったせいで若干タイムロスがあったものの、骨張った大きな手のひらと髪を梳く長い指に頬が緩んだのも事実。


 だから不満には思わずに、時短レシピのお世話になる。


 早起きしたのは元々朝食を作る為であって、遅刻する訳でも何でもない。派遣の私と違って葉山さんは油断したら遅刻にはなるけれど。


 鮭はグリルを使わずにフライパン、味噌汁はお揚げにわかめに千切りした人参。浅漬けのきゅうりと未開封だった明太子を出して、グラスに牛乳を注ぎ入れた。


 明太子はチーフから葉山さんが貰ったらしく、張られた金のシールが高級感を漂わせていた。


 そしてお決まりの牛乳。和食なのに牛乳。

 カルシウムが足りている割には葉山さんはよく怒鳴り散らす……あれ、カルシウムって本当は苛々には関係無かったとどこかで聞いた事があるような。



 取り敢えずは作ってみたものの、何か物足りない気もする。



 顔を洗って髭を剃った葉山さんは、前髪を上げてオールバックにしてから出てきた。


 宴会やパーティーでは従業員の清潔感も重要視される。食べ物を運ぶのだから当たり前だが、配膳スタッフだけでなく指示が主の黒服だってそうだ。


 黒服だからと言って配膳をしないなんて事もなく、やる事自体はスタッフよりも黒服の方が多かったりする。


 披露宴では優美、清潔、絢爛の三つが揃っていなければならない。


 豪華だけれどけばけばしさは無く、主役の二人を邪魔しないあくまで二番目に収まる控え目かつ優美な装飾。


 従業員は結婚式という華やかな場所に入っても馴染むよう、清潔で統一感のある身形をする事が当たり前だった。



 だからか、癖になっている人は多い。


 社員は髪を染めない、爪は短く切る、見苦しくない見た目を、と気を付けている。


 長髪の男性は一人も居ないし、女性はすっぴんで会場には絶対入らない。


 そんなルールがあるからなのか、葉山さんの髭が伸びている所は殆ど見たことがなかった。


 休みの日もきっちり剃っているらしい。だからおっさんに見えないんだ、と内心だけで悪態なのか誉め言葉なのか分からないような言葉を呟く。



「何を悩んでる?」


 訝しげな顔をした葉山さんが、私を見て問い掛けた。


「物足りないと思いませんか?」


 これ、と朝食を用意したテーブルを見ながら何となく足りない気持ちをアピールしてみる。


 朝からあんまり沢山用意するのは何だけれど、今日は不思議と気になってしまった。


「物足りないとは思わないが……強いて言えば今日は玉子が無いな」

「それだ……!」


 いつもは卵焼きか目玉焼き、たまに別の物になったり味噌汁に入ったりするが、玉子が結構な割合で使われていた。


「明太子にばっかり気が向いてました」


 そうだ。明太子があんまりにも立派だからそれにばかり気を取られていた。


 いつも最後に作る玉子料理が、明太子を切る緊張にシフトチェンジされてしまったらしい。


 腑に落ちたとばかりに頷いた私に、葉山さんからの冷たい視線。


「朝からそんなに元気でいっそ羨ましい位だ。寝不足なんてしなさそうだな」


 何を不機嫌になっているのかさっぱりだけれど、そんなに大して怒っている訳ではないと気付いて様子を窺うだけに止める。


 たまに拗ねたような剥れたような顔をする葉山さんは、その理由を何故か私には話さない。


「あ、おはようございます、葉山さん。まだ言ってませんでした」

「……おはよう。八時半には出る」

「分かりました」


 椅子を引いて座った葉山さんは箸を握って出る時間を教えてくれる。


 出勤が昼からになる時なんかは、私を見送ってくれる事もあった。


「帰りは――微妙な所だ」

「明日の設営ですか?」

「ああ。少し残業になりそうだ。先に寝て……いや、待ってろ」

「え?」


 いつもなら先に寝てろ、と言っていた筈が今日は何だか違うらしい。


 味噌汁の人参を口に入れようとして止まり、葉山さんの方へ目線を上げた。



「……起きて待ってろ。もしかしたら設営が繰り越しなるかも知れない。それなら逆に早く終わる」

「えっと……はい、分かりました。でも、どうしたんですか?」

「たまにはドライブでも付き合え」

「夜に、ですか?」

「予想以上に美月が疲れていたら止めにする。だから日中体力は温存しておけ」

「はい!了解です」



 ドライブって!

 夜のドライブって葉山さん!


 そんなちょっとデートみたいな事したいんですか!なんて思いながらにやけていたら不審な顔をされてしまった。


 あんまり言葉に出さないけれど、基本的には内心こんな感じだった。



 葉山さんは顔に出さない。だから、たまに何を考えているのか分からない。


 だけど、ドライブなんて誘われたら嫌でもうきうきしてしまう。




 良いことばかりが続く訳じゃないと、私は身をもって知っていたのに。


 それでも浮かれたこの気分は、知らず知らずの内に私に油断を招いていた。


 顔と制服に掛かった薄いピンク色のソースは、甘くて少し酸っぱかった。



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