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3

 食事を済ませて食器を洗っていると、テーブルに置いていた携帯が震えながら着信を知らせた。


 一旦手を洗って取りに行こうとした私に、葉山さんが携帯を差し出してくれる。


「ありがとうございます」

「ああ」


 画面には派遣会社の名前が表示されていて、通話ボタンを押すと慌てたような声がした。


「――はい、え?」


 キャンセルが出たと言う知らせを聞きながら、明日派遣された派遣社員を思い浮かべる。確か四人で小さな会食だった筈だ。


 三人でやらなければならなくなったと焦る相手に返事をして、とりあえず大丈夫そうだと判断した。


「……分かりました。大丈夫です、メンバーを聞く限り、三人で行けると思います。人数も少ないですし、念の為少し早めに入ります」


 本当は葉山さんに聞けば、詳しいことはすぐに分かる。


 だけど、派遣会社は同居している事を知らないし、なるべくなら自宅で葉山さんに業務の詳しい事を聞きたくない。


 あくまで、決まった事や派遣される人の事、簡単な予定くらいの話で納めておきたかった。黒服と職場以外で宴会の密な打ち合わせが出来るなんて、やっぱりずるいと思うのだ。



「……どうした?」

「変更があったみたいです。明日の入りは三人で、榊原さんが抜けると思います」

「入るのは、明日の会食か」

「はい……あ、もしかして新しい社員さんが担当ですか?」

「まぁ、な」


 妙にその社員さんを気にする葉山さんは、いつもと違って随分と顔に困惑を現していた。


 何がそんなに気になるのか、私には良く分からない。そこまで問題がある人なのかと眉を寄せると、葉山さんは私の手首をがしりと掴んだ。


「葉山さん?」

「恐らく、美月に嫌な思いをさせるだろうと思う」

「大丈夫です。仕事中はあんまり他のこと考えないですから」

「だと良いが。他のことを考えるように仕向けたのは俺だろう?」

「まぁ、前みたいに一直線にはならなくなりましたけど……でも、やっぱり会場に入るとお客さんしか見えないです」



 以前よりもずっと力の抜き方を知ったと思う。


 人が失敗しても自分が慌てるのではなく、本人がどんな行動に出るかを見守りながら間違っていたらやんわり注意をする、と言うことを気を付ける。


 他にも、言われた事以上に余計な気を回し過ぎない。


 なるべく指示を待って、なるべく自分に余裕を持つ。そのやり方が板についてきたせいか、精神的に落ち着きが出来たような気がしていた。


 いつもいつも焦っていたって、事態はなるようにしかならない。


 どれだけ気持ち良く過ごして貰えるか、どれだけ自分が無駄な動きをせずに働けるか、気にする点は沢山見つかった。


 だから、前のように切羽詰まる事はない。



「嫌われたくないんだって言ったら?」


 ミカンを剥いていた芹澤さんは、あっさりと葉山さんの心配の種を口にした。



 成る程、そういう心配だったのか。



 漸く葉山さんの戸惑いの理由がすっきりわかって、胸につかえていた疑問が解消された。



「簡単に嫌いになると思ってますか」

「いや、そうは思ってないが」


 あんまりお互い口にはしないけれど、ちゃんと好きな気持ちはあると思う。


 おやすみと声を掛ける葉山さんに少しだけ切なくなったりするし、おはようと寝惚け眼で挨拶する葉山さんはいつも私をときめかせている。


 葉山さんは歳上だから、子供っぽいと思われたくなくて、アイシャドウは薄ピンクからブラウンに変えてみたりなんかして。


 甘えさせてくれる葉山さん、時には厳しくなる葉山さん、私に遠慮する葉山さん、どれも大好きな表情でとても大切な人だと思う。


 日に日に増していくその思いは今の所止まる気配を見せていない。


 それが伝わっていないなら、単純に私の失態だ。



「えっと、あの、何て言うか、改めて言うのは恥ずかしいですけど、……ちゃんと葉山さんのこと、好きです」

「――ああ。それは、分かってる」

「うわ帰ろ。この空気は無理」


 ミカンを皮ごと手掴みにして、芹澤さんは走って部屋から出て行った。




「……あの」

「何だ?」

「伝わってないですか。口に出すの結構恥ずかしくて、」

「伝わってる」


 きゅう、と胸が締め付けられる。


 逞しい腕が私を包んで、葉山さんの体温をとても身近に感じさせた。



 真っ赤になる私の顔は葉山さんの胸に引っ付いて見えないけれど、心臓の音は届きそうで無性に走り出したくなった。


「好きだ」


 全力疾走した後で、大声で周りに自慢したい。


 ――私、今好きだって言われました!と、恥ずかしくて悶えながらそれでも誰かに言いたくなる。


 葉山さんの高い身長と、年のわりに低い私の身長は少しだけ不格好に思うけれど、抱き締め合うのが難しいって訳でもない。



 葉山さんは前屈みに私はそれを支えるように、実際は全く重さはないけれど、そんな形で抱き締め合う。


「……はい」


 蚊の鳴くような小さな声で返事をした。そして、頭がパンクしそうになるほどに、大人っぽくて格好良い葉山さんにぴったりと身体を引っ付けた。



 温もりと安心のコンボは、自然と私を微睡みに誘う。


 目を瞑っていたら尚更で、しかも疲労の溜まった状態と言う事もあり、目蓋を押し上げるのが困難になった。


 徐々に力が抜けていく私に、葉山さんは頭上で小さく息を吐く。


「一ヶ月、お前はよく頑張った」


 そう言って貰えるだけで、頑張った甲斐があると言うもの。


 葉山さんがここ一ヶ月の私を見て下した評価は、決して悪いものじゃない。


 言われた言葉に顔が緩み、誇らしげな気持ちになる。


「寝るなら部屋に連れていくが、……聞いてないな」


 葉山さんの呆れ顔を見たのを最後に、私は睡魔に負けてしまった。




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