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最終話です。
「どういう事か、話して下さい」
状況に思考が追いついていない。混乱したままの頭の中は整理しようにも情報が少なすぎた。
顰めっ面で葉山さんに向き直ると、葉山さんは涼しけな目元を少し緩めて私を見つめた。
「聞きたいか?」
「……」
「聞きたいんだろう。素直に頷け」
からかうようなその口調にもどかしいような、歯痒いような、苛立ちに似た何かが湧き上がる。けれど、決して不愉快という訳ではない。こんな状況でも、揚げ足を取られているような状況でも――ああ、この人の笑った顔はこんなにも格好良いんだな、と思わされて凄く悔しい。
「なんか、むかつくんですが」
「殴ってみるか?」
「いいです。いりません」
「振りかぶるか?」
「振りかぶりません!」
何だこのやり取り。もういやだ。
葉山さんは人を苛立たせるのがとても上手だと思う。つい頭にきて言い返してしまうのは私がまだまだ幼い証拠だと自分を戒めながら、咳払いを一つして。
聞きたいことは山ほどある。まずは――突然現れた、訪問者の彼女のこと。
「それで、何で宮坂さんがここに来たんですか?」
「知りたいのか」
「……もういいです」
「冗談だ」
話を聞くだけで時間と精神力を大幅に消費しそうだ、と諦めかけた私の肩を軽く押して、葉山さんは私をベッドに座らせた。何だかんだと意地悪くからかいながら、引き際も心得ている。苦手だった大人という存在を身近に感じさせる、幼いからかい。それに腹が立つのに、嬉しくも思ったりして、やっぱり私は葉山さんを――どうやっても嫌う事が出来ない。
「昨晩、梶川から飲みに連れていかれたのは――ああ、知ってるな?」
「……はい。芹澤さんから聞きました」
「宮坂も居た。他にも派遣が数人」
それは言われなくても分かった。香水の匂いがしたのだから、一緒に居たことは間違いないだろう。
頷いた私に葉山さんは一息吐いて、私の隣に腰掛けた。
「お前を連れて行ったことがあるだろう。あの居酒屋まで強引に引っ張られて、芹澤の車に押し込まれた。俺の車はホテルの駐車場に置き去りになっていたんだが……」
葉山さんが、私の髪をひと房手に取った。その動作があまりにも自然で、突っ込みを入れることさえ忘れる。
「佐藤に連絡をしようと思ったら携帯が無くなっていて、探そうとした所で前田に半ば無理矢理に飲まされた。……笑うな」
前田さんならやりそうだ、とつい笑った私に葉山さんがむくれる。
「そこからは、お前には悪い事をしたと思っているが……仕方がないと自棄になった」
「……何となく想像出来ます」
葉山さんは基本的に悪い人じゃない。
むしろ面倒見がよくて、グイグイ来られると引いてしまうような所がある。それが社員の仲間なら尚更だ。
飲まずに空気を壊すような事はしないだろうし、そんな状況になったら「仕方ない、とことん付き合ってやる」くらいの気概がある。
梶川さんとは何気に一番仲が良くて、強気な前田さんにはたじたじになってしまったり。見た目が怖くても中身は割りと押しに弱い。その分、線引きはしっかりしているみたいで、もしも勧めたのが前田さんじゃ無かったら一も二もなく断っていたと思う。
「一時間くらいか。宮坂が俺の携帯が落ちていたと渡して来たんだ」
ああ、なるほど……と納得しながら一先ず頷いて先を促す。
「佐藤との関係を聞かれて、付き合っていると答えた」
「はい!?」
その急展開は、一体。
目を丸くした私に葉山さんが口元を吊り上げて笑う。その姿もまた格好良く見えて、本格的に自分の目に不安を抱いた。
相手はおじさんなのに、近いうちにハゲるし、加齢臭も出るし。分かってるのに、分かってるのに――。
……マインドコントロールは、中々うまくいかないらしい。大人の男性で、歳もそこそこいっていて、意地悪で、怒りっぽくて、自分が釣り合うだなんて微塵も思えないのに。
――自分はこの人に、この格好良い人に、釣り合わない。と、思った時点で負けていた。
釣り合いたいと、隣に並びたいと思っていることを、やっと自覚して。
「それからは宮坂に質問責めにあって、面倒臭かったから酒を飲んで誤魔化した」
「……はい」
「さっき、真琴からメールが入っていたが……どうも宮坂が俺をタクシーに乗せて送ると言ったらしい」
「えっと、それって……」
「だが、無意識の内にホテルに置いてきた車を取りに戻ろうとしたらしい。どうやら俺は勝手にタクシーを降りたみたいだな。さっき宮坂が喚いていた」
「ま、真面目ですね、葉山さん」
再び笑いそうになった私をぎろりと睨んだ葉山さんは、触っていた私の髪にやんわりをキスを落とす。
「マンションは知っていたんだろうが……表札が仇になったな。エントランスでポストの表札を見てこの部屋に来たんだろう」
「な、に……してるんですか、葉山さん」
流石にこれは許容出来ない。
衝撃的な葉山さんの行動に絶句して思わず身を引くと、反対に強く腕を引き寄せられる事になってしまった。
「最終的に、ホテルの駐車場で寝ていたらしい。こんな失態は初めてだ」
え?と呆けた私の肩を葉山さんは強く押す。その行動に反応出来ず、私はそのままベッドに倒れた。
そんな私に葉山さんは覆い被さって。
「心配事は消えた。宮坂にはこうして現場を見せただろう?ついでに話を広めたら、晴れてお前は俺の恋人だ」
十センチの距離に葉山さんが居る。
私の知らないところで、目まぐるしく状況は変化していたらしい。
葉山さんに向けられた真っ直ぐな瞳に、私は身動きが取れなくなって。
「そろそろ、俺を好きになったか?」
確信しているように見えて、不安を孕んでいるようにも見えた。
口調は強気なものなのに、表情はどこか不安げで。そんな凄くレアな顔をされてしまうと、やっぱりギャップにどきどきする。
ずるい、本当にずるいと思う。
意識したのはもっと前で、好きなのかも知れないと気付き始めたのはついさっきだ。今の不安定な気持ちを抱いたまま、こんな風に言われたら。
――きっと、誰でも簡単に、葉山さんに傾いてしまう。
流石は歳上、口説き方が卑怯で上手くてとても狡い。
意識するのを待って……と言うより、ある程度距離が近付いたら意識をさせて、考える時間を与えながら着実に私をときめかせた。
これで全く好きにならないなんて、どう考えてもあり得ない。
間近で見つめられていて、その顔は凛々しくて少し厳つい。なのに瞳は揺れていて、答えをじっと待っている。
「葉山、さん」
「のんびり待つ余裕はない。歳を考えたら尚更だ」
「何歳差に、なるんですか……」
「答える前にそれを聞くのか」
「……見た目がハゲだったら、良かったのに」
「いずれハゲる。その時はお前が隣に居ると嬉しいんだがな」
「そういう言い方は……卑怯です。恋愛なんて殆どしたことないのに、いきなりそんな、……あんまり見ないで下さい」
「お前に駆け引きは求めてない。素直な所に惚れた、多分な」
「多分って、」
「後、人間関係には不器用で仕事に一生懸命な所にも」
もう唸り声しか出てこない。
あーとかうーとか恥ずかしくなってひたすら誤魔化そうとする私に、葉山さんはふっと表情を緩めて笑った。
やっぱり卑怯だ。
この場でそんなに優しい顔をされたら、……なんて、言いながらも気持ちはとっくに葉山さんに向き始めている。
――好きになったか?
YesかNoか。選択肢は二つ。
だけど、それに答える前にゆらりと近寄って来た葉山さんの怖くてでも麗しい顔。
反射的に目を瞑って、閉じた目蓋の裏で思う。降りてきたこの目蓋が、一番自分に正直だ。
次に降ってきた柔らかい感触に、私は頭の中だけで答える。
――Yesだと、思います。
どうやら、私は完全に葉山さんに落ちたらしい。
キスを受け入れた私に葉山さんが向けた笑みは、悔しいくらいに格好良くて、何だか涙が出そうになった。
「好き、です。……多分」
当て付けのように付け加えてそう言った私に、葉山さんは眩しそうに目を細めて微笑んだ。
たまに頑固だと自分でも思います。
それに凄く人間関係を築くのが下手。
集中すると周りを忘れる事もあって、頑なになる事も沢山あります。
――だから、葉山さん。
たまに、全てを投げ出して、全身で甘えたりしてもいいですか。
私が意固地になった時は、それを解してくれますか。
矢継ぎ早に、照れ隠しに、それでもやっと吐けた本音と弱音。
葉山さんはそれを黙って聞いてくれて、問い掛けたら穏やかな声で答えてくれた。
「ああ、任せておけ」
くしゃりと滲んだ私の視界に、ぼやけた葉山さんが映る。溢れる涙を指で掬って、私の髪を優しく撫でた。
必死になればなる程に、私が消えるような気がした。
豪快に笑うお父さん、穏やかに見つめるお母さん。優しく手を差し伸べてくれた明子さん。
「――美月」
もう一人、ここで増えた。
私の名前をちゃんと呼んで、私をしっかり見てくれる人。しっとりと呼ばれた自分の名前が、嬉しくて無性に恥ずかしい。
だけど、震える心が主張する。
「美月」
その名を呼んで――何度でも。
最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。




