21
うっかりソファーで寝ていた私が起きたのは、午前五時半。
玄関を確認してみたけれど、葉山さんの靴はやっぱり無かった。
テーブルの上に置き去りにされた料理は、数時間しか経っていないのにひどく色褪せて見えて美味しくなさそうだ。
「メールも、無し」
携帯を開いてみるけれど、葉山さんからのメールも電話も入っていない。
ひょっとしたら芹澤さんと一緒かも、と芹澤さんのアドレスを開く。朝早くから電話するのは迷惑になりそうだから、メールをする。
カチカチとキーを打ちながら送ったメールは“葉山さんと一緒ですか?”と言うものだ。
昨夜入らずに寝てしまったので、シャワーを浴びようと部屋に戻る。着替えと、バスタオル。それを持ってリビングに戻ると、タイミング良く携帯が鳴った。
着信、芹澤さん。
「もしもし。おはようござ……」
「帰ってないの!?」
「えっ!は、はい!帰ってません!」
反射的に声を大きくして返事をした私に、芹澤さんは電話口で舌打ちをした。
もしかして何かあったのかな……と、不安な想像をした所で芹澤さんが矢継ぎ早に喋る。
「あの女に任せた俺が馬鹿だった!」
「はい?」
「宮坂!アイツの番号分かる?」
「分かります」
慌てる芹澤さんに全く状況が理解出来ない分、私は冷静になった。
取り合えず、宮坂さんに連絡したらいいって事か、と考えて芹澤さんに告げる。
「何かあったんですよね?急を要すなら今から宮坂さんに連絡してみます」
「しなくていい」
「……え?」
ぱっと後ろから奪われた私の携帯を、背後に立っていた葉山さんが耳に当てる。
「――ああ。後で説明する」
それだけ喋って勝手に通話を切った葉山さんを見上げると、そのまま雪崩れ込むように倒れ込まれた。
「葉山さん?」
体重を支えきれずにフローリングの床に倒れた私の後頭部は、しっかり葉山さんの手のひらで覆われていて痛みを殆ど感じなかった。
私に覆い被さった葉山さんは無言のままだけれど、呼吸が僅かに可笑しかった。
「葉山さん、もしかして……」
もぞもぞと葉山さんの下から這い出して、額に手を当てる。
――多分、熱がある。
まるでスイッチが入ったかのようにダッシュをして自室に戻り、小さい瓶に入った市販の解熱剤を手にリビングへ戻る。
俯せになった葉山さんを仰向けにして、テレビの横の棚から体温計を取り出し冷蔵庫へ向かう。
冷蔵庫の隅に置いてあった冷却シートを手に葉山さんの元へと戻り、体温計を脇に差し込む。
ちょっと行儀が悪いけれど、膝で葉山さんの脇と身体に隙間が空かないよう固定しながら冷却シートを額に貼った。
苦しそうな葉山さんは、呼吸だけを一生懸命していてその様子に気持ちが焦る。
差し込んだ体温計は割りと早い段階で鳴り、示した体温は三十八度三分。
「……これはヤバいです、葉山さん」
聞こえやすいように耳元へ顔を近付けて、一応確認してみる。
「病院行きますか?」
返答なし。葉山さんの手を握って、もう一度聞いてみる。
「行くならそのまま、行かないなら力を少しだけ込めて下さい」
本当に少しだけだったけれど、込められた力に浅く頷く。
「だと思いました」
どう見ても病院嫌いそうな葉山さんに、わざわざ聞くだけ野暮だったかも知れない。流石に熱が更に上がった場合は問答無用で連れていこうと決意して、葉山さんの首の裏に腕を入れる。
「ベッドまで行けますか?そこまでなんとか頑張って下さい」
「……悪い」
「いきますよ、せーのっ!」
よっこいしょと持ち上げたけれど、バランスを崩しそうになって慌てて力を込める。
火事場の馬鹿力と言うやつかも知れない。ふらりと立ち上がった葉山さんの腕を首周りにかけて、ずりずりと引き摺るようにして部屋まで行く。
途中、洗濯かごが邪魔で足で避けたのは勘弁して欲しい。今回限りだと誓います。
「あとちょっと……!」
部屋に引き摺り込んでぐらぐらと揺れる身体を必死に保ちながら、葉山さんをベッドまで連れて行く。
漸く辿り着いたベッドに半ば投げるようにして葉山さんを寝かせ、シャツのボタンを外していった。
「……さっきから、ずっと思ってたんですけど」
――宮坂さんの香水の匂いがします。
言い掛けて、止めた。今はそんな事を気にしている場合なんかじゃない。
「断じて変態じゃないですから」
制服を脱がせながら聞こえているかどうかも分からないけれど、何となく言い訳をしつつ手早く済ませる。
息苦しそうな葉山さんを見る限り、何かを口には出来なさそうだと判断して今直ぐに薬を飲ませるのも諦める。飲み物だけは用意しておこう。
葉山さんの部屋を出て、胸につっかえたものに溜め息を吐く。
「休み、だったんだ」
葉山さんの自室に貼られた勤務表には今日が休みだと書かれていた。
もちろん、私は聞いてない。しかも、帰って来なかった。
芹澤さんのあの様子じゃ、昨夜葉山さんと宮坂さんに何かあったのは一目瞭然だ。
拗ねたような、寂しいような気持ちになりながら、私の休日は幕を開けた。




