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「“――片付け始め。佐藤さんは事務所まで。”」
「“――佐藤、了解しました。”」
静けさを取り戻した会場内は、披露宴の余韻で甘い香りがする。
「あーあ、誰かさんも流石にもう愛想尽かされたんじゃないの?」
宮坂さんの嫌味を受け流せないのは、心に余裕が無かったからかも知れない。大好きな会場の空気も何だか息苦しく思えた。
怒られたくて怒られてるんじゃない。失敗を被りたいと思ってる訳でもない。
――少し、疲れていたのかも知れない。
だから、
「伝達事項すら伝えられない人に言われたくありません。ケーキ入刀の時は暗かったから見えませんでしたけど、ビール瓶落としましたよね。割れなくて良かったですね? 絨毯の上なら音もしませんし」
気付いたら、宮坂さんに言い返していた。
ぷっつんと切れた私は容赦なく宮坂さんを責めようとする。真っ赤になった宮坂さんとぎょっとした周りの女の子を見て、はっと我に返った私は目を伏せた。
言ってしまった。つい。宮坂さんはじわりと涙を我慢するように目を赤くして唇を一文字に結ぶ。
「……あんたに、あんたに言われなくても分かってるわよ!」
職場でこうやって言い合うこと自体がもう社会人として駄目だ。それが分かってるのに、挑発されると乗ってしまう子供な自分が嫌だった。
「すみません、言い過ぎました」
「思ってもない癖にっ……簡単に謝るの止めなさいよ!」
そうですね、とは言えなかった。
社会人として謝るのを止める訳にはいかないし、悪いと思ったから謝っている。世渡り下手な私にはいつだって謝ることしか出来なかった。
「……チーフに呼ばれているので、失礼します」
嫌味ったらしい自分に自己嫌悪する。宮坂さんは更に私を睨み付けて、真っ赤な鼻頭のまま片付け作業に向かった。
「失礼します。佐藤です」
事務所のドアをノックして中に入ると、葉山さんと芹澤さん、前田さんとチーフが輪になっていた。
私に気付いたチーフは片手を挙げて微笑むけれど、強張った表情しか出来ない私は俯きがちにチーフのデスクに向かう。
「あのね、佐藤さん」
さっきまで怒っていたのが嘘みたいに、穏やかな声音でチーフは話し掛けて来た。
「はい」
目を見て会話をしなくちゃいけないと分かっているのに、なかなか顔を上げられない私にチーフはゆっくり話始める。
「肩肘を、張りすぎていると思う。佐藤さんが頑張ってるのは充分に分かってるよ。でもね、少し力を抜いてみなさい。周りには沢山のスタッフがいる」
「はい」
「全部自分の責任だと思わなくていいんだよ。派遣スタッフの失敗が全部佐藤さんのせいじゃない。失敗は失敗した当人のせいなんだから、リーダーだからって頑張り過ぎなくていい」
「……すみません」
「謝る必要はないよ。佐藤さんがそうなるのをずっと見ていて、何も言わなかった私達にも責任はある。若いからって色眼鏡で見て、佐藤さんの頑張りを更に助長させてしまったね」
唯一感情をはっきり見せる前田さんは申し訳なさそうに眉をよせて私を見ていた。芹澤さんと葉山さんは無表情で、じっと私を射抜く。
「……それは、違います。チーフや他の人は私を普通に見てくれてました」
「頑張り続けた佐藤さんは、少し意固地になってるね。佐藤さんは万能じゃない。みんなもそうだ。誰も万能じゃないんだよ」
見上げる私にチーフは頷く。
「黒服の仕事は黒服に任せて、失敗したスタッフの後始末は当人にさせなさい。佐藤さんの笑顔はお客様を安心させる。大丈夫、何か問題が起きても黒服が対処する。その為に居るんだから」
―――分を弁えろ、ということ。
遠回しの注意は多分そう言う意味で、冷水を浴びせられたように私は固まった。
スタッフが出過ぎたことをするな、というチーフからの優しい牽制。失敗したなら失敗した当人に任せて自分のことを全うしろ。そう言うことだ。
「今日はもう上がって。片付けはいいから、明日からまた宜しく頼むよ」
言い聞かせるように言ったチーフに頷くことしか出来なかった。
ショックで覚束ない頭で退勤時間を書いて、一人ひっそりと控え室で着替える。気が付いたらホテルの外で暗くなった空をぼんやり見上げていた。
「でしゃばり過ぎ……」
あれもこれも。
そうやって自分を保ってきた。
人一倍頑張って、成果を出したら周りの大人が認めてくれるような気がして、走り出したら止まれなくなっていた。
学歴とか年齢とか、そんなもので評価されたくなくて、がむしゃらに仕事に打ち込んだ私は手を抜くことが出来なくなった。
どうやって休めばいいかも分からない。
これじゃあ、ただの大人になりたい子供そのものだ。
未成年、派遣、天涯孤独、中卒。
雁字搦めになった私に、休憩という道は見えなくなって。
「――うまく、いかないなぁ」
元から人付き合いは下手くそだった。集団で行動する女の子より、野外で遊ぶ男の子に混ざるような私は中学でもどこか一線引かれていた。トイレもさっさと一人で済ますし、彼氏なんて存在にも目がいかなかった。
バスケットに真剣なチームメイトは私だけ、その癖打ち上げなんかには呼ばれない。中学を卒業したら、友達らしい友達なんて一人ですら居なくなった。
集団の中で立ち回るのが、私はひどく下手だ。いつしか周りには誰も居なくなって、唯一たまに話していたおっさんは死んでしまった。
「……ほんと、へったくそ」
自嘲して歩き出す。葉山さんに合わせる顔がない。
投資だと言ってくれたのに、初っぱなから躓いた私に落胆しているのは目に見えていた。
事務所のお姉さんに預けた鍵は、葉山さんの自宅のもの。お姉さんは渡すのを嫌がったけれど、押し付けるようにしてお願いした。
落とし物、多分葉山さんのです、なんて嘘までついて引き渡した二つの鍵。
駐車場と反対に歩き始めた私は可愛く泣くことも出来なくて、込み上がる涙を必死に我慢した。泣いたら負け、そんな強がりと意地が抜けきれない。
必死になって来た三年間は簡単に無くせるようなものじゃない。
タイミングをはかったように震えた着信は、綺麗なお姉さんからのもの。
「めいこさん……」
「美月ちゃん! 今なにして…」
「――めいこさぁん!」
「ええええ! どうしたの美月ちゃん!」
慌てふためく明子さんは、二十分と掛からずに直ぐに会いに来てくれた。




