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「お疲れ様でした。お先に失礼します」
井戸端会議を再び始めたおば様方に挨拶をして控え室を出ると、構えたように前田さんが私を引っ張ってエレベーターに乗せた。
「一階に行くチャンスを狙って佐藤さん掴まえようと待ってたの! どうどう? 葉山さんとの同居は」
「……同居って言ってもまだ一日ですし、あんまり分かりません」
期待したような目で私を見る前田さんは、解答を聞くなり唇を尖らせてつまらなそうな顔をした。
「まぁ、それもそうか。いいのいいの!葉山さんが佐藤さんを怖がらせてないならオッケーだから」
「あははは……」
怖い印象はなかなか抜けません、というよりさっきもっと怖いと思いました。なんて言えずにから笑いする私に前田さんは首を傾げて不思議そうな表情になる。
「あ、そういえば夕方からも入るって?大丈夫なの?」
気を取り直した前田さんは手にした書類を脇に抱えてポケットから携帯を取り出す。社員は緊急連絡の時の為に携帯を所持して良い事になっている。
マニキュア一つ塗られていない短い爪は配膳婚礼スタッフとしての鏡だ。前田さんは人一倍清潔を気にして爪を常に短くしている。
「大丈夫です。配置は葉山さんが考えてくれるそうで…………す」
「へぇー、昨日話したの? ねぇ、昨日そういう話しを家でしたの?」
言ってからまずいと思った。葉山さんが事前に私に話したというのを自ら暴露したようなもので、案の定前田さんは楽しそうに瞳を輝かせる。
「……そう、ですね」
「良いね、初初しいね!」
しまったと困惑する私と対照的に前田さんはひどくご機嫌で親指を立てた。こういうやり取りに慣れていない私はどんな反応をしたらいいか分からなくてつい困ってしまう。
前田さんの詮索が激しくなる前にエレベーターは到着を知らせてくれて、ホッと胸を撫で下ろしながら私は前田さんとその場で別れた。
ホームセンターまでは歩いて十五分。マナーモードにしていた携帯を出して折り返し電話を掛ける。
「もしもし、佐藤です。……はい、夜勤務可で大丈夫です。すみません、突然変えたりして」
担当者はがっはっはっと豪快に笑いながら気にしなくていいと言ってくれた。何でそんなに上機嫌なのか分からないまま電話を切って駅の方向へ歩いていく。
渡された鍵はしっかり持っている。着くまで無くさないようにしなくちゃいけないと思う余り周りへの注意力が発散して、電柱とハグしそうになったのは誰にも見られていないと思いたい。
適当なカフェで遅くなった昼食を済ませ、目的地のホームセンターの入口を潜る。「合鍵作ります」と書かれたポスターのある方へと向かい、カウンターで複製を依頼した。
店員が合鍵を作っている間、時間を潰そうとふらふらとキーホルダーを見て回る。出来るならキーケースが欲しい所だが、ネットカフェ生活という多大な浪費をしていた私に今現在キーケースを買う余裕は余り無い。
それなら、と分かりやすい目印としてキーホルダーが良いと思い立ち、売り場を見て回ったけれど。
「中学生みたいなやつしかない……」
蛇柄だったりキラキラしたストラップだったりと子供向けのキーホルダーが並んでいるばかりで、シンプルでつけやすそうなものが見当たらない。妥協したとしてもピンク色の変なカエルのストラップがいいとこだ。
「……まぁ、いっか」
基本的に大雑把。それは性格だけじゃなく考え方にも適用されて、ピンク色のカエルのストラップを一つと青色の馬のストラップを一つ手に取る。どちらも消費税抜きで百円だ。馬は葉山さんの鍵につける嫌がらせ用で、ピンクのカエルは自分用。
無言で引きちぎってしまいそうな葉山さんがどんな顔をするか少し楽しみに思う辺り、さっき怒られたばかりだというのに私は随分と神経が図太いらしい。
レジに向かいキーホルダーの購入を済ませて鞄に入れる。
「……よし、十五分経ったかなー」
腕時計を確認して経過した時間をざっと見ると、言われた待ち時間ぴったりが過ぎていてスムーズに運ぶ流れに何だか嬉しくなった。
キョロキョロしながらカウンターに顔を出せば問題なく作製は終わっていて、支払いと共に鍵を渡された。複製してくれた店員さんにお礼を言いながらホームセンターを後にし、手頃なベンチに腰掛ける。
忘れないうちに、と取り出したキーホルダーを鍵へつけていると携帯が着信を知らせた。
「はい、佐藤です。――お疲れ様です」
「無事に作れたか?」
「はい。今さっき作り終わりました。葉山さん、休憩ですか?」
「ああ。昼は?」
「カフェでハムとレタスのサンドイッチを食べました」
「……ハムとレタスが好きなのか?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど……。タマゴとどっちにしようかちょっと悩みました。葉山さんお昼は食べましたか?」
「弁当食った」
「配達のやつですか?」
「ああ」
「そうなんですか」
「…………」
「…………」
会話が続かない……!
気まずい私の心境と葉山さんの心境は今同じになっているような気がする。
そもそも何で電話を掛けて来たんだろうかと葉山さんそっちのけで考え始めた私に、微かな呟きのようなものが耳をかすって行った。
「――ろ」
「はい?」
「帰りは待ってろ。今日はそんなに変わらない筈だ」
「あ、はい。分かりました。どこで待てばいいですか?」
「駐車場。俺の車は分かるだろう?」
「多分分かります」
「多分?」
「分かります!」
「なら良い。じゃあな」
「はい。失礼します」
さて、どうしよう。
多分覚えているけれど、車種や車名は全く分からない。自動車なんてものに今まで縁がなかった私は、そういう事にかなり疎い。知っている車なんて父親が乗っていたケイというものしか知らないのである。
ケイというのが車名なのか車種なのかすら知らない筋金入り。勿論身分証明書は免許証がないので健康保険証。顔写真が必要な場合は、保険証を出して質問に答える事で免除され、父親の名前や生年月日を確認される事になる。
自動車学校に行って勉強するお金も時間もない私には、自分の記憶を頼りに葉山さんの車を探し当てることしか出来ない。
黒かった……と思う。小さくは無かった、ような。
曖昧な記憶を探りながら携帯を鞄になおして時間を見る。
只今、午後十六時四十五分。あと少しで十七時。
夕方の入り時間は十八時だからのんびり戻ったら良い頃になるかも知れない。一先ず立ち上がってホテルがある方向へと歩き出す。
午後からは婚礼、結婚式だ。ジューンブライドに憧れて結婚式を行う人はここ数年で少なくなってしまったけれど、それでも予約はそこそこ入る。
一生に一度の結婚式、人によっては数回経験する事もあるけれど、やっぱり一度だけの人の方が圧倒的に多い。幸せに満ち溢れた約二時間を、最大限のサービスで更に幸せになって貰いたい。花嫁だけじゃなく招待客にまで幸せが伝染するように、気持ちの良いサービスと精一杯の心遣いで披露宴を成功させる。
それが私に、私達婚礼スタッフに任された重要な仕事。
「うん、頑張ろう」
踏み出す一歩は迷いなく。
一分一秒悔いのない時間を過ごして貰う為に、いつも全力でお客様に接する事を忘れない。
――オープンから笑顔で!
「……よし。笑顔で」




