第9話 黒字の影
合同委員会の設置から二週間。
数字は、わずかに動いた。
教会の未報告寄進の一部が公表され、医療費へ正式に組み込まれた。塩の在庫は商人ギルドとの再契約により安定。違法な横流しも減少。
そして——
「月次収支、赤字幅が三割縮小」
ハロルドの声は震えていた。
執政室の空気が変わる。
私は帳簿を確認する。
収入増加ではない。
支出の整理だ。
無駄の削減。
契約の再構築。
監査の効果。
小さな、だが確かな前進。
「黒字化の目処は」
セドリックが答える。
「このまま推移すれば三ヶ月後」
三ヶ月。
冬の真ん中。
私は頷く。
「油断しない」
「当然です」
彼は淡々としているが、視線の奥にわずかな変化がある。
評価だ。
赦しではない。
——
広場に掲示された数字を前に、民衆はざわめく。
「赤字が減った?」
「本当か?」
ガルドが腕を組んで立っている。
「数字だけだ」
誰かが言う。
「だが嘘ではない」
少しずつ、空気が変わる。
支持ではない。
疑念の中に混じる“可能性”。
その夜、私はひとりで城壁の上に立った。
冷たい風が頬を打つ。
遠くの灯りが揺れる。
「順調ですね」
セドリックが隣に立つ。
「順調という言葉は嫌い」
「なぜ」
「油断を呼ぶ」
沈黙。
彼が静かに言う。
「父も同じことを言っていました」
私は視線を動かさない。
「あなたは父を潰した」
「ええ」
「ですが今、あなたは父が目指した形に近づいている」
胸の奥に、鈍い痛み。
「それは皮肉?」
「事実です」
風が強まる。
「黒字は影を生みます」
セドリックが続ける。
「余剰が出れば、分配を求める声が出る」
「当然だ」
「教会も商人も、次を狙います」
「分かっている」
私は城下を見下ろす。
数字は安定に向かう。
だが安定は、欲望を呼ぶ。
翌日、ヴァルターが現れる。
「黒字が見えてきたな」
「まだだ」
「だが見えた」
彼は笑う。
「ならば減税だ」
「早い」
「支持が上がるぞ」
私は即答する。
「支持は目的ではない」
「だが必要だ」
「今は違う」
ヴァルターは肩をすくめる。
「冷たいな」
「一貫している」
彼は去る。
次に現れたのはルカだった。
「教会は医療拡充を求めています」
「予算内なら」
「余剰を回せば可能です」
「余剰は備蓄へ」
「また数字か」
「また冬だ」
ルカは悔しげに拳を握る。
「あなたは人を信じない」
「信じるから管理する」
彼は言葉を失う。
——
その夜、セドリックが静かに言う。
「あなたは人気を捨てています」
「元からない」
「今なら取り戻せます」
「取り戻せば、また迷う」
私は帳簿を閉じる。
「私は一度、迷って署名した」
増税承認書。
「二度目はしない」
セドリックは黙る。
彼は理解している。
私の冷酷さが、恐れから生まれたことを。
だが今は違う。
逃げないための冷酷。
数日後。
月次報告が出る。
赤字、さらに縮小。
黒字目前。
城館の廊下で、使用人たちの会話が聞こえる。
「もしかして……」
「本当に立て直すのか?」
その声は小さい。
だが確かだ。
私は執政室に戻り、静かに呟く。
「まだだ」
黒字は目的ではない。
黒字は、次の戦いの始まり。
支持はまだ低い。
教会は様子見。
商人は利を計算。
だが秩序は崩れていない。
私はペンを握る。
悪役のまま。
だが今回は、舞台のためではない。
レヴァン領の灯は、確実に強くなっている。
そしてその影もまた、濃くなっていた。
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