第5話 救済の値段
塩の放出から三日後、城館前の広場には奇妙な空気が漂っていた。
暴動は起きていない。
だが静まり返ってもいない。
民衆は待っている。
結果を。
私は広場へ出た。意図的だ。噂は制御できないが、姿は見せられる。
老兵ガルドが腕を組んで立っている。視線はまだ鋭い。
「塩は足りるのか」
「足りない」
正直に答える。
どよめきが走る。
「ではどうする」
「足りる量まで減らす」
「減らす?」
「配給を段階制にする。子供と高齢者を優先。保存義務違反には罰金」
怒声が上がる。
「また締め付けか!」
「神父様はもっと配ると言っていた!」
マルケスの名が出る。
私は頷く。
「司祭は救済を約束するでしょう」
「お前は何を約束する」
沈黙が落ちる。
私は広場を見渡す。
痩せた母親、震える子供、疑う商人、怒る若者。
「冬を越すことを」
短い言葉。
「越せるかどうかは、あなたたちの協力次第です」
「脅しか!」
「現実です」
空気が凍る。
ここで甘い言葉を言えば、私は支持を得られる。
だがそれは春に裏切る。
私は続ける。
「配給の記録を公開する。帳簿は城館に掲示する。誰がどれだけ受け取ったか、誰でも見られるようにする」
ざわめきが変わる。
「透明化だ」とセドリックが小さく呟く。
「不正は消える。だが不満は増える」
「承知している」
そのとき、群衆の後方からルカが進み出る。若い神学生。目は燃えている。
「神は平等です。あなたの配給は選別だ」
「神は飢えを止めるか」
「祈りは人を強くする!」
「塩は肉を守る」
言葉が衝突する。
ルカは一歩踏み込む。
「あなたは冷酷だ!」
私は静かに言う。
「ええ」
周囲がざわめく。
「冷酷でなければ、四千人を守れない」
ルカは言葉を失う。
マルケスが遠くから見ている。微笑みは消えていない。
私は宣言する。
「今夜から段階配給を開始する。違反者は罰金。再犯は拘束」
歓声はない。
ただ重い沈黙。
広場を離れる途中、セドリックが横に並ぶ。
「支持率は下がりました」
「測定したの?」
「顔を見れば分かります」
私は苦笑する。
「あなたは嫌われる」と彼は言う。
「必要なら」
「必要です」
即答。
執政室へ戻ると、ハロルドが報告する。
「商人ギルド長ヴァルターが面会を求めています」
「通しなさい」
ヴァルターは分厚い外套を脱ぎながら言う。
「塩税を撤廃したとか」
「一時的に」
「我々は損をした」
「あなた方は横領に加担した」
空気が冷える。
ヴァルターは肩をすくめる。
「商売は風を見る。あなたは風が強い」
「戻る気は」
「条件次第だ」
「条件を」
「教会と敵対するなら、我々は中立だ。だが利益は保証してもらう」
セドリックが口を挟む。
「保証はできません」
「では我々も保証しない」
静かな駆け引き。
私は机に指を置く。
「塩の流通を再開すれば、次期穀物契約を優先する」
「書面で」
「もちろん」
ヴァルターは目を細める。
「あなたは冷たいが、計算は早い」
「それだけが取り柄です」
彼は笑った。
「では、様子を見ましょう」
商人が去る。
室内に静寂が戻る。
私は椅子に沈む。
小さな勝利。だが代償は大きい。
「あなたは橋を焼きながら渡っている」とセドリック。
「焼かないと戻れない」
「戻る気は?」
「ない」
窓の外、配給の列ができている。
秩序は保たれている。
だが信頼はない。
私は帳簿を開く。
黒字の兆しはまだ遠い。
塩の値段は、金貨では測れない。
それは支持であり、怒りであり、恐れだ。
私は静かに呟く。
「救済の値段は高い」
セドリックが応じる。
「統治の値段はもっと高い」
私は頷く。
冷たい冬が、確実に近づいている。
そして私は、まだ迷っている。
だが立ち止まらない。
嫌われることに慣れるまで。




