第1話 断罪は歓声の中で
※本作の主人公は「冤罪で断罪された可哀想な令嬢」ではありません。
彼女は実際に増税を承認し、辺境を切り捨てました。
その結果、領地は荒廃しました。
これは、
後悔から始まる物語ではなく、
逃げなかった悪役の物語です。
甘い逆転劇ではありません。
制度と数字で国を守ろうとする、静かな政治劇です。
それでもよろしければ、
どうか最後までお付き合いください。
王都の大広間は、祝祭みたいに明るかった。
天井から垂れる緋色の幕。燭台の列が黄金の光を揺らし、貴族たちの宝石がそれを受けて瞬く。どこかで弦楽器が鳴っている。裁きの場にしては、あまりに華やかだ。けれど、その華やかさは私を生かすためのものじゃない。私を見世物として仕上げるための飾りだと、ひと目で分かった。
中央の石畳は冷たく、膝が痛い。跪く姿勢が長い。背筋を伸ばしたまま、私は呼吸だけを整えた。泣き叫んでも、弁明しても、この場の結末は変わらない。——いや、変えられない。変えられる余地があるなら、ここは最初から“裁き”ではなく“交渉”になっている。
壇上に立つのは王の代理、法務卿。朗々とした声が、装飾だらけの空間に反響する。
「公爵令嬢アレクシア・ヴァレンタイン。貴殿を、国家秩序紊乱の罪により、爵位剥奪の上、辺境レヴァン領へ追放とする」
歓声が起きた。拍手が混じった。あからさまな喜びの吐息さえ聞こえた。私の背後に並ぶ衛兵たちが一瞬だけ身じろぎする。ここがどんな場か、彼らも分かっている。人が落ちるのを楽しむ空気は、剣より危険だ。
法務卿が羊皮紙を捲る。
「罪状。第一に、王都商会の取引妨害および強制的契約破棄の斡旋。第二に、反対派貴族の虚偽告発の助長。第三に、辺境諸領への臨時増税案の主導。第四に、教会財務監査の凍結を通じた公金流用の黙認——」
言葉が刃物みたいに並べられていく。私は静かに聞いた。列挙されるたび、記憶の中で書類の匂いが蘇る。署名の感触。封蝋の重み。赤い印章。あの頃の私は、確かに迷いなく手を動かしていた。
私は“善人”ではなかった。——それだけの話だ。
斜め前に王太子エドガーがいる。淡い金髪、慈悲深い顔。民衆から愛される人形みたいな男。彼が少しでも目を向けてくれたなら、きっと私は本能的に微笑んだだろう。けれど彼は私と視線を合わせない。いや、合わせられない。ここで私を見れば、彼の中の“優しい王太子”が壊れる。
私は小さく息を吐いた。
政治だ。
彼の優しさは真実だ。けれど優しさは、剣にもなる。剣は抜かれたときにだけ血を流すのではない。抜かれる前から、誰かを震え上がらせる。彼の優しさは、私を切り捨てるための正当性を与えた。私は長年、彼の理想主義を鼻で笑ってきたが——その理想が、いま私の首に縄をかけている。
「異議はあるか」
法務卿が問う。形式だ。ここで私が叫べば、哀れな芝居として記録され、もう少しだけ“優しい処分”に見える。そういう装置。
私はゆっくりと顔を上げた。
視線の先、貴族たちの目は期待で濁っている。泣け、取り乱せ、跪いて赦しを乞え。そうすれば自分たちは“正しい側”として安心できる。彼らは私の罪より、私の崩れた姿が見たい。
口角がわずかに動く。笑ったつもりはない。筋肉が勝手にそういう形を作る。私は自分の“悪役”の癖を、こんな瞬間にも自覚した。
「異議はございません」
ざわめきが走った。拍手は止まり、代わりに空気が冷える。期待していた見世物が、思った通りの動きをしないからだ。
王太子が、初めて私を見た。怒りというより困惑の色。彼は前に出て、私の前に立つ。
「……反省の色が見えぬな」
その言葉に、笑いが漏れそうになった。反省? 反省とは、許される余地がある者のための儀式だ。この場に許しは最初から用意されていない。用意されているのは、切断だけ。
私は言うべきではない言葉を選びかけた。舌先が勝手に冷たくなる。——だから私は本当に悪だったのだ。こういう時、相手の感情を計算してでも生き延びる術があるのに、私はそれを“卑しい”と切り捨て、かわりに正しさを武器にしてきた。
「反省はしております」
自分でも意外な言葉が出た。嘘ではない。反省はしている。だがそれは、涙や謝罪の形ではない。反省とは、因果の再計算だ。何を捨て、何を守り、どこで間違えたかを見直すこと。
王太子は私の瞳を覗き込み、そして痛そうに眉を寄せた。彼は私を悪人だと信じたい。信じなければ、彼は自分が政治のために人を切ったことを認めることになる。優しい彼にそれは耐えられない。
法務卿が言葉を継ぐ。
「追放先、レヴァン領は長年の赤字と治安悪化に苦しむ。そこで余生を過ごせ」
余生。
二十三歳の余生。
その語の重さが、ようやく胸の奥に染みた。私は痛みを感じるのが遅い。痛みは数値化できないから、私はいつも後回しにしてきた。
私の脳裏に、白紙の書類が浮かぶ。私の署名が入る前の、無垢の紙。そこに私は筆を置いてきた。増税の承認。監査の凍結。取引停止の要請。正しいと信じていた。——正しいというより、必要だと信じていた。
必要。必要。必要。
私はその言葉で何人を潰した?
何人の生活を、紙の上の小さな線に変えた?
「アレクシア・ヴァレンタイン。王都への再入は禁ずる。婚約は破棄され、以後、王家との縁は絶たれる」
最後の宣告が落ちると同時に、拍手が戻った。人々は安心したのだ。物語は予定通り悪役が退場し、舞台が浄化された。これで彼らは、明日も眠れる。
私は立ち上がる許可を待つ。立ち上がって歩き出す。背筋は曲げない。曲げた瞬間、見世物の完成に手を貸すことになる。私は最後まで、私の顔を保つ。
通路の脇、誰かが囁く。
「やっと消えるのね」
「レヴァンだって? あそこは地獄よ」
地獄。そうだろう。私はそこを地獄にする側だった。
大広間の扉が開いた瞬間、冷たい外気が流れ込んだ。王城の外は夕暮れで、空は赤く、塔の影が長く伸びている。石畳の上に用意された馬車は黒塗りで、まるで棺だ。
私は最後に一度だけ振り返った。
王太子がこちらを見ている。目が合う。彼の瞳には、勝者の安堵と、敗者への憐れみが混じっていた。私はそれを受け取らない。受け取れば、私は彼に救われたことになる。私は救われたくない。救いは、私がしたことの重さを軽くするから。
馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
動き出す振動が腹の底に響く。王都が遠ざかる。車輪の音が、私の中で何かを削り取っていく。
窓の外、民衆が集まっている。罵声は届かない距離なのに、口の形だけで分かる。“悪役”。“魔女”。“帰るな”。私は目を逸らさなかった。目を逸らしたら、私が罪から逃げたことになる。
胸の奥に空洞が広がっていく。
怒りではない。
悔しさでもない。
ただ、役割が消えた。
王都で私は“勝つために悪でいる”という役割を演じてきた。嫌われることを恐れ、先に冷酷になった。そうすれば傷つかないと信じて。
けれど今、観客のいない舞台に放り出される。
私は誰のために悪だった?
——自分のためだ。
答えが出てしまうのが怖くて、私は窓に映る自分の顔を見た。疲れている。けれど泣いてはいない。泣けないのかもしれない。泣くには、誰かに許される前提が必要だから。
私は小さく呟く。
「レヴァン領……」
私が数字だけで切り捨てた土地。私の署名で息を詰めた土地。私はそこへ行く。これは罰ではない。因果だ。私が起こした波が、最後に私の足元へ戻ってくる。
雷鳴が遠くで鳴った。冬を告げる音。
私は目を閉じる。自分に言い聞かせるように、静かに言った。
「嫌われることに慣れましょう」
覚醒なのか、堕落なのか、まだ分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
次は——言い訳はしない。
馬車は王都を離れ、暗い街道へ入っていった。
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