表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人狼シグはわからない  作者: たっこ
第二章:ユランサス
9/36

復讐者

 ユランサスは、インバレラ帝国で生まれた。

 父は交易のために訪れていたマンスドゥス人、母はインバル人の商家の娘だ。

 彼は、混血児であった。


 とある商談で父と母は出会った。

 二人は愛し合い、母の腹にはユランサスが宿った。

 そのことを知ってか知らずか、父は身ごもった母を置き去りにしてマンスドゥスに帰国し、その後二度と戻らなかった。


 私生児を産んだ母は、実家から勘当された。

 親戚にも友人にも見放され、どこにも行く宛がなかった。


『それでも、光耀教ならば。きっと弱者に手を差し伸べてくださるはず』


 母は、隣町で光耀教の教会に身を寄せ、住み込みで司祭の仕事を助けることになった。


 だが、この司祭が性根の腐った悪党だった。

 財産も身寄りもない子連れの女を手篭めにして、妾として好き放題に扱った。


 光耀教の聖職者は、位階によらず妻帯できる。

 だが、弱みに付け込んで女をなぶるのは、明らかに教義に反していた。


 しかし、それを訴えたところで、いったい誰が信じるだろう?

 かたや、地域の信望厚い司祭。

 かたや、父親のない混血児を連れた女だ。

 人々がどちらの言い分を信じるかなど、目に見えていた。


 母は、自分と子の生活のために耐えた。





 幼年期のユランサスに、友人はいなかった。


 インバル人の金の髪と、マンスドゥス人の褐色の肌。

 明らかに異人の血を引く幼子は、奇異の目に晒され続けた。


 だから、町へは行きたがらなかった。

 時折聞こえる母の悲鳴に、耳を塞いで耐えながら、それでも教会の中に閉じこもっているしかなかった。


 そんな彼でも、否応なしに、他人と接する機会があった。

 光耀教の日曜礼拝。

 近隣の人々が集まり、教会で祈る日があった。


 この日は、性根の汚れた司祭も、上辺を優しく繕い直し、ユランサスら母子を助手として、光耀教徒たちに向かって、ありがたいお説教を語るのだ。

 礼拝がひと通り済んだ後、人々は司祭に群がって、日頃の困りごとを話したり、くつろいだ雑談をしたりして、世間話に花を咲かせる。


 そして、そんな大人たちに連れてこられた子どもたちは、親の井戸端会議が終わるまで、暇を持て余して過ごすのだ。

 ユランサスにとっては、苦難の時間であった。


『あんたの母さん、莫迦なことして、家を追い出されたんだって、本当?』


 意地の悪い笑みを浮かべながら、取り巻きの子どもたちを引き連れ、決まってユランサスをいじめたがる少女がいた。

 この街で一番大きな交易商の娘だった。


『莫迦なこと、って、あんたのことでしょ?

 そんな肌の子、見たことないわ。

 目の色だって、作り物の安物硝子みたいじゃない』


『……ごめんなさい』


 ユランサスは、どうにかやり過ごそうとして、蚊の鳴くような声で謝った。

 彼女を不快にさせてしまうらしい、赤みがかった琥珀色の瞳も、地面に伏せて、目を合わさずに。

 それでも、少女はなぜか苛立って、執拗にユランサスをいじめた。


『謝れば良いって思ってるんでしょ?

 なによ、あたしが悪いみたいじゃない』


『……ごめんなさい。ぼく、そんなつもりじゃ……』


『じゃあ、何よ! ……変な色の目のくせに!

 ちょ、ちょっとくらい、こっち向いたらどうなのよ!』


 少女が、一歩詰め寄った。

 ユランサスが、そのぶんだけ逃げた。

 取り巻きの女の子たちは、それを見てクスクスと笑った。

 いじめっ子の少女は、顔を赤くして怒った。


『……ふん、だ! この……弱虫!

 あんたなんか、誰も仲良くしたがらないわ!

 あ、あたし以外は誰も、あんたなんかに話しかけたりしないんだからね!』


(そんなこと……わざわざ言われなくたって、わかってる……!)


 ユランサスは、目に涙を浮かべて、その場から逃げ去ろうとした。

 少女は、それを許さなかった。


『あ、ちょっと、どこ行く気!』


 とっさに服の袖を掴まれた。

 互いの指が、ほんの少し触れた。

 ユランサスは、びくりと怯んだ。


 取り巻きの女の子たちは、『きゃあ』と顔を見合わせて、ユランサスを指して、嘲笑した。

 いじめっ子の少女が、『違うわよ』とか『こいつが勝手に』とか、何か言い立てていた。

 ユランサスは、必死に手を振り払って逃げた。


『ご、ごめんなさい。ごめんなさい!』


 彼は、女の子たちから逃げた。

 そして、薄暗い物置で、みじめさに唇を噛み、泣いた。


(どうして、こんな目にばかり遭うんだ。

 ぼくが何か悪いことをしたの?

 天の光の女神様は、正しく生きる人のことを、助けてくれるんじゃなかったの?

 ぼくが……インバル人じゃないから、女神様は助けてくれないの……?)





 ある日、ユランサスは母に呼ばれた。

 そして、『これを着てごらん』と言われ、言われるがまま服を着替えた。

 少女用の衣服だった。


 母は、過剰なほど、ユランサスを褒めた。


『とても可愛いわ。とってもあなたに似合ってる』


 そして、手を引き、背を押しながら、笑顔で彼を導いた。


『きっと、気に入ってくださるからね』


 連れて行かれた先の部屋では、太った司祭が待っていた。

 鼻の穴を醜く広げて、ユランサスを見て、喜んだ。


 ユランサスは、怯えて振り向いた。

 母は、笑顔で立っていた。

 目には、すさんだ光があった。


『お母さん、あなたのために、ずーっと、頑張ってきたのよ。

 あなたも、大きくなったでしょう。

 もう、じゅうぶんよね?

 お母さんのお仕事、代わってくれるわよね?

 あなたも、お母さんのこと、愛してるわよね?』


 母の痩せた手が、ユランサスの背を押した。

 司祭のぶくぶく太った指が、ユランサスに伸びてきた。


 少年は叫んだ。





 ユランサスは必死に逃げた。


 脱げた靴は放り出し、乱れた衣服もそのままに、必死に走って町まで逃げた。

 普段、出歩くことがなかったから、道も方角もわからない。

 とにかく、あの教会に背を向け、息を切らして死に物狂いで駆けた。


(嫌だ。助けて。お願い、誰か)


 しかし、助けてくれる「誰か」の顔など、ひとつも思い浮かばない。

 彼の狭い世界には、母と司祭しかいなかった。

 その二人ともが、もう敵だった。

 大人たちも、信用ならない。毎週の日曜礼拝で、司祭の本性に気づかずに談笑している大人たちなど。


 そして、神にさえ、ユランサスは頼れないのだ。


(ぼくが悪いの?

 生まれてきたから?

 どうして、ぼくだけがこうなの?)


 涙で視界が歪んだままで、ユランサスは走り続けた。

 前もろくに見えていないせいで、どん、と何かにぶつかった。


 ユランサスは、地面に倒れた。

 息を切らして、それを見上げた。

 いじめっ子の少女が、目を見開いて立っていた。


(どうして。よりによって、こんな時に)


 ユランサスは、その場で凍りついた。

 心が冷えていくのを感じた。

 おしまいだ。


 少女の手が、ユランサスに伸びてきた。

 ここで捕まってしまうのだ。

 ユランサスは、ぎゅっと目を閉じ、身をすくめた。


 しかし、腕も肩も掴まれなかった。

 頬に、何かの温度が触れた。

 それは少女の指だった。


『ど、どうしたの、あんた。大丈夫……?』


 少女はしゃがみ、ユランサスに目を合わせた。

 そして、少年の着ている服と、その乱れにちらちらと目をやり、いじめてくる時とは違う声で、ユランサスにどぎまぎとささやいた。


『何か……あったの?

 その、まさか、ひどいことされそうになったの?』


 ユランサスは、呆然と少女を見つめた。

 彼が、瞳の色を隠さず、真正面から彼女を見たのは、この時が初めてだった。

 少女は、頬をじわじわ染めて、もじもじしながら、小声で言った。


『あの……な、何があったか、知らないけど……。

 困ってるなら、あたし、その……』


 ユランサスは、急に腑に落ちた。


(ああ。

 この人、ぼくが好きなんだ)


 今まで彼女から受けた仕打ちが、パズルのようにぴたりと組み合わさった。


 どす黒い嫌悪が胸を染めた。

 少女に対する無数の罵倒が、嵐のように頭の中を駆け巡った。

 その黒い嵐の中心に、静かな思いがぽつんと生まれた。


(利用してやろう。この女を)


(誰も助けてくれないのだから)


(自分の力で、助かるしかない)


(周りを使って。どんなことをしても)


(こいつは、きっと操れる……)


 ユランサスは、おずおずと少女の手に触れた。


 少女は『えっ』と肩を跳ねさせて、わずかに後ろに身を引いた。

 ユランサスは、逃さず詰め寄り、両手で彼女の手を握った。

 そして、弱々しく見えるように、声を震わせて、途切れ途切れに訴えた。


『ぼく……、ぼく、もう帰れないんです』


『え、あ、……あんたの家って、教会よね』


 ユランサスは、うなずいた。

 そして、静かにうつむいた。


『もう帰れない。帰りたくない。

 ……でも、きっと、誰も信じてくれない。

 ぼくなんかの……。混血の、変な子どもの言うことなんか……』


 ユランサスは、ぎゅっと目を閉じた。

 少女の反応を予想しながら。


『あ……あたしは、信じるよ!』


 少女は、必死に言い募った。


『あたしだけは、あんたを信じる……!

 大人の言うことよりも、あんたの言うことのほうを信じてあげるから……!』


 かかった。

 ユランサスは、驚いたようにはっと顔を上げ、目を大きく見開いた。

 自分の瞳が、少女にはっきり見えるように。

 彼女はきっと、この目の色が好きだから。


『本当に……? 助けてくれるの?

 大人たちにも、誰にもぼくのこと言わない?』


『う、うん。あたし、あんたを助ける……!

 誰にも……誰にも秘密にする!

 ね、あの、あたし、あんたのために、何をしてあげればいいの……?』


『……ありがとう!』


 ユランサスは、少女に抱きついた。

 ぎゅっと、固く抱きすくめた。

 少女の首筋が赤く染まるのを見てから、その耳元でささやいた。


『……ぼくを、どこかに隠してください。

 大人たちに見つからない場所に。

 ……どこか、知らないかな?』


 少女は、ユランサスの背におずおずと手を回し、つっかえつっかえ、こう答えた。


『あ、ある……。うちの、船の倉庫。

 誰も来ないから、あそこなら……』


 船。港。

 そこならば、きっと。


 ユランサスは、光の消えた闇の中に、希望が灯ったことを知った。

 じりりと焦げる、赤い炎が。


 そして、少女に優しい声でささやいて、そこに案内してくれるよう頼んだ。





 そうしてユランサスはマンスドゥス王国へ渡り、聖炎教に保護された。


 彼は、聖炎教を知った。

 この国では、聖職者が政治に密接に関わる。

 特に『導師』は、教義の解釈を司り、法や政策を左右することさえ可能な、国の要であった。

 ユランサスは、その座を得るために、あらゆる手段を駆使した。


 敵対者たちの弱みを密かに握り、時にちらつかせ、時には暴いた。反対派に異端の疑惑をかけ、何人もの政敵を失脚させた。

 一方で、若年の者や地方の者には、過剰に寛容に振る舞った。彼らの自尊心をくすぐって、自身の信奉者に仕立て上げた。


 貧しい孤児を喜捨で救った。悪しき官吏の不正を暴いた。大衆からの支持は、わかりやすい演出で勝ち得た。

 王宮の侍女に甘くささやき、独自の情報網を作り上げた。王族からの信頼は、評判を重ねて地道に育てた。


 こうしてユランサスは、聖炎教の中枢に食い込み、国内で指折りの権力を持つ『導師』の座を手に入れた。


 彼の見出した希望の炎は、悪意と欲望を糧にして、今も胸に燃え盛り続ける。

 そして、この炎で過去を焼き尽くし、あの日々の復讐を果たすために、ユランサスはインバレラ帝国に舞い戻ってきたのだった。


■次話:『垂らした釣り針』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ