聖炎軍の思惑
「そ、そんなことは、認められぬ!」
会談の場で取り乱すインバレラ帝国の諸王を、ユランサスは穏やかな笑みを崩さずに見つめた。
ユランサスは、『聖炎教』の導師だ。
インバレラ帝国を腐らせる邪教『光耀教』を討ち滅ぼし、インバル人たちを炎によって正しき道へ導くため、マンスドゥス王国から海を渡ってやって来た。
というのが、表向きの彼の立場だ。
「落ち着いてください、陛下。
至極真っ当なことではありませんか」
ユランサスは、自分の倍も歳上の男たちを、ほほえむことで黙らせた。
態度だけは温和に保ち、『この件に交渉の余地はない』と、遠回しに告げながら。
南の海の向こうの『マンスドゥス王国』は、『聖炎教』の支配圏だ。
一方、この『インバレラ帝国』では、『光耀教』が信じられている。
インバレラ帝国は、複数の国の集合体だ。皇帝は、光耀教の枢機卿らの選挙で決まる。
北部諸国は、歴史的に光耀教との結びつきが強い。このため、帝位を独占していた。
南部諸国は、裕福でありながら冷遇された。その鬱憤を溜め続け、ついに、マンスドゥス王国に派兵を願う密使を送ってきたのだ。
その建前が、次のとおり。
「腐敗した光耀教を倒し、人心を正してほしい」
彼らの思惑はわかっていた。
しかし、利害は一致していた。
マンスドゥス王国はこれを受諾。聖炎教の導師を含む一万人の軍団を、インバレラ帝国に派遣した。
これが、聖炎軍の襲来の舞台裏であった。
そして、この会議場で慌てふためいているのも、聖炎軍に来援を願った、南部諸国の王たちだった。
サルム平野では、合計二万の兵を出して聖炎軍に与し、結果としてレバーリャ王ラヌスを死に追いやった連中である。
(浅はかなことだ。自分たちが呼び寄せた軍が、従順な猟犬だとでも思っていたのか?)
内心ほくそ笑むユランサス。
この日、彼が要求した内容は、イスオドスの王都近郊に建造中の、マンスドゥス兵用の仮設住宅群を、正式に『イスオドス新街』として行政区化すること。
そして、新街の施設建造にあたる現地の職人たちへの給与を、イスオドス王宮の予算から支払わせることだ。
降伏したイスオドスの財産を奪って、自分たちが甘い蜜を吸えると勘違いしていた南部諸国の王たちは、ここにきてユランサスの手腕に焦りを見せている。
彼らの一人、聖炎軍に上陸用の港を提供した、セドルナ王国の国王が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「イスオドス王宮の金をイスオドス市民にばらまいて、後で自分たちが金欠になっても知らんぞ!」
ユランサスは、慈悲深い笑みを作って答えた。
「労働に対する正当な対価ですよ。
神の名のもとに、人の労苦は報われなくてはいけません」
王たちは、悔しげに引き下がった。
予定通りに合意を取り付け、会議場を後にしたユランサスは、そのまま王宮内にある執務室へと向かった。
かつて王の私室だった部屋は、今では聖炎軍の指揮所だ。
重厚な扉の向こうでは、総司令官のガーズィム将軍が、地図を広げて待っていた。
黒髪を短く刈り込み、無駄のない体つきをした、実直な壮年の男だ。
「遅かったな。首尾は?」
「上々。ただ、よく鳴く豚たちでした」
ユランサスの軽口には取り合わず、ガーズィムは黙って椅子を促した。
着席するなり、本題に入る。
「我らを急かす内容の手紙がまた届いた。
本国は、新しい領地に飢えている」
「焦りは禁物ですよ、将軍。軍を動かし、諸王を血祭りに上げるだけでは、この土地は真の意味では我々のものにはならない。
ま、そのあたりは私にお任せを。
実際、軍の方はどうです? サルム平野での戦による消耗は、もう立て直せましたか?」
「兵站は安定しつつある。補給線も整った。
部隊の再編も終わり、戦える形には戻っている」
「さすがですね、将軍。
ですが、もうしばらくお待ちを。行政だけでなく、世論も重要。じっくり進めさせてください。
なに、心配は無用です。本国の家臣団も、血抜きが済んだばかりの肉より、きちんと調理して皿に並べられた料理を食べたがることでしょう。
成果さえ見せれば、多少待たせても問題ありません」
「……政治はお前の領分だ。
俺は軍を整えておく。好きに動け」
ガーズィムの端的な了承に、ユランサスは満足し、にこりと笑んだ。
二人は、信頼関係にあった。
話し合いを終え、上機嫌で街を歩いていると、インバル人の町娘に挨拶された。
「導師様、こんにちは! 今日も良いお天気ですね」
この娘は、先日聖炎教に改宗した。
こうしたインバル人の姿は、珍しいものではなくなってきた。
ユランサスは、笑顔で応じた。
「ええ、こんにちは、イレネさん。過ごしやすい日が続いて何より。お元気でしたか?」
「はいっ! あの、新しい街を作るお話、導師様が進めてくださってるんですよね。
ありがとうございます。お父さんが喜んでいました。あの、私のお父さん、大工をしていて」
寄ってきて隣を歩く娘にほほえみを見せながら、ユランサスは頭の中で、すばやく住民の情報を浚った。
「ええ、プリニオ氏ですね、存じております。
職人ギルドのほうからも、確かな技術と誠実なお人柄を聞き及んでおります。ふさわしい報酬で報われるべきお方です」
「わ、お父さんのこと、ご存じなんですね。
嬉しいです、私の家のこと、気にかけてくださって」
「当然のことです。イレネさんたちは、私と同じ聖炎教徒。大切な家族のように思っていますとも」
「え、えへへ。そうなんですか。
あの、私、この前、南部の人たちに乱暴されそうになって……でも、聖炎軍の方々が助けてくれたんです」
ユランサスは、よし、と思った。
民心を動かす、都合のよい事件だ。
浅はかな南部諸国と扱いにくい傭兵たちを『悪玉』にしつつ、マンスドゥス兵を『善玉』に見せる演出は、うまくいっている。
しかし、あくまで表向きは、気遣うように眉をひそめた。
「それは……怖い目に遭われましたね。大丈夫でしたか、イレネさん?」
「は、はい! もう全然! 兵士さんたち、すぐ来てくれて」
イレネは慌てて、顔の前で両手をぱたぱた振った。
「そうですか……。安心しました。
神のしもべたる我々は、いつでもあなたをお守りします。どうぞ頼りにしてくださいね」
素朴な町娘イレネは、ユランサスの優しげな容貌に、頬を赤く染めている。
ユランサスは内心で罵った。
(顔を晒して歩くなど、我が国では娼婦の振る舞いだ。炎の神に従うのならば、卑しい姿で街をうろつくな)
その後も、ユランサスはイレネの歩幅にあわせてゆっくり歩きながら、にこやかに雑談を続けた。
そして、去っていく彼女の背中に、穏やかに手を振って見送った。
建前は宗教のため。
実情は政治的支配のため。
それが此度の聖炎軍の侵攻の動機である。
だが、ユランサス個人には、もう一つの動機があった。
彼は、インバレラ帝国と、光耀教と、そして女性を憎んでいた。




