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人狼シグはわからない  作者: たっこ
第一章:ノーラ
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傭兵たち

 聖炎軍の正規兵たちは、占領地の治安維持のために奔走している。

 それに対して傭兵は、戦いが無い時は自由らしくて、もっぱら飲み食いして騒いだり、喧嘩や博打に明け暮れたり、女を買ったりしている。


 シグは、酒も飲まず、博打も打たず、女も買わない。

 早朝は剣の稽古をして、あとはふらふら散歩をしたり、昼寝をしたり、公衆浴場で長風呂したりしている。


 そんなぼんやりしたシグが、サルム平野の戦いにおいては、勲功第一位として、多額の報奨金をもらったという。


 (この子が? まさか)とノーラは首を傾げた。

 負けず嫌いの他の傭兵たちも、そう思ったようだ。


 だが、報酬の金貨は確かに支払われ、シグの居宅の棚の奥に無造作に収納されている。

 ほとんど使われないこの金貨が、無数のやっかみを引き寄せていた。


 普通は、こうして派手に儲けたら、他の傭兵たちに気前よく酒を奢ることで、妬みを買わないように振る舞う。

 シグには、そういう世知が無い。

 だから、街に出るたびに、シグは傭兵たちに絡まれた。


「よう、『英雄』どの。ご機嫌はどうだ?」


「最近はママと一緒かよ?」


 立ち塞がる傭兵たちに、ノーラは震えて一歩下がった。

 シグの袖の端を掴んで、心の中で祈る。


(お願いだから、今日こそは、余計なことは言わないで……)


 シグは、傭兵たちを見ていない。

 これから、入浴の予定なのだ。

 公衆浴場の方角を見ている。


 そっぽを向いて無視するシグに、傭兵たちは怒りを募らせた。


「おいガキ! 聞いてんのか!」


「聞いてる」


 シグは、ノーラにマンスドゥス語を習い始めた。

 わかる言葉には、返事をする。

 ただし、相変わらず、顔は向けない。

 傭兵たちは、ますます怒った。


「舐めやがって、この犬畜生が!」


「てめえの評価は、何かの間違いだ!」


「導師サマのお気に入りだからって、調子こいてんじゃねえぞ、ガキ!」


「『調子こいてんじゃねえぞ、ガキ』」


 シグは、傭兵の放った罵倒を、そっくりそのまま復唱した。

 そして、ノーラに視線を向けて、ぼそりと続けた。


「……って、何?」


「お、お願い、黙って!」


 ノーラの声は裏返った。

 傭兵たちは、こめかみに青筋を立てて、大声でどなり始めた。


 シグは、なぜか一度だけ空を見上げた。

 そして、ノーラの手首を掴み、するっと横道に入った。

 「おい、逃げんのか!」「ふざけやがって!」と、罵声が背中に突き刺さる。シグはそれらを意に介さず、迷い無くノーラを連れて進む。

 ノーラの心臓は、ばくばく鳴った。


(ほ、本当に逃げてるの? この子、状況がわかってる? このままついて行って、大丈夫?)


 とはいえ、ここで一人きりになるほうが、ノーラは余程怖い。

 何も言えずに歩き続けると、再びどこかの大通りに出た。


 公衆浴場の真向かいだった。


 シグは、「お風呂」と言いながら、ノーラから手を離し、浴場へ向かった。

 時刻は、もうじき夕方。

 まだ、ぎりぎり男湯の時間だ。


 ノーラは、へなへなとへたり込んだ。

 シグといると、こんなことばかりだ。


(きっといつか、本当にひどい目に遭うわ……)





 そして、ついにその「いつか」が来た。

 食堂で夕食にありつく二人のもとへ、特にガラの悪い傭兵連中が、ぞろぞろと現れた。

 そして、逃げられないように、大勢でテーブルを取り囲んだ。


 リーダー格の男が、テーブルにドスンと手を突きながら、「よぉう、坊っちゃん」と、だみ声で言った。

 ノーラは、おびえて身をすくませた。


(この人、ひどく酔ってるわ)


 傭兵は、ジルーズという男で、名の知れた札付きのワルだった。

 日のあるうちから酒を飲んで騒ぎ、暴力沙汰を繰り返す。それでいて、腕は良いらしく、取り巻きどももプライドが高い。

 彼らがシグに目をつけるのは、当然のなりゆきだった。


「導師サマに、女ァ、あてがわれたんだってな。どうだ、具合は?」


(オンナ)……『あてがわ』?」


「ひひひ、まだ女知らねえのか? 教えてもらってねえのか、うん?」


「女は知ってる。教えてもらった」


「ほお?」


 にやつくジルーズに、シグは平気な顔で答えた。


「『女』は、男じゃないほう」


 ジルーズは、一瞬きょとんとした。

 そして、取り巻きたちとともに、爆笑した。


「ギャハハ! こいつは傑作だ!」


「お勉強、がんばってるんでちゅねえ!」


「『夜のお勉強』もしてんのかあ?」


 ノーラは、屈辱に青ざめた。

 膝の上でぎゅっと拳を握り、うつむいて小刻みに震えた。

 王妃だった頃、こんな輩に侮辱されたことなんて、なかった。


 シグは、いまいち理解していない。

 彼がわかるのは、簡単な言葉だけ。込められた揶揄は、わからないのだ。


 ジルーズは、いやに親しげに、シグの肩をぽんぽんと叩いた。


「それなら、男は知ってるのかぁ? 俺達が教えてやろうか、ええ?」


 シグは、自分の肩に載せられた毛むくじゃらの手をちらりと眺め、無視して食事を再開した。

 苦手なスプーンを使って、スープを一口ゆっくり飲む。

 余裕ぶった態度を見せられて、ジルーズは声を一段低くした。


「……せっかくだ、てめえのママにも教えてやるよ」


 ジルーズの取り巻きの一人が、ノーラの肩を掴んで立たせた。

 ノーラは、恐怖に悲鳴を上げた。


「いやっ、やめて!」


「おら、こっち来い!」


「いやよ! 助けて、誰か助けて!」


 ジルーズは、にたにたと笑った。

 シグは、スプーンを置いて、静かに立った。


「……男も知ってる。教えなくていい」


「ああん?」


「『男』は、ちんちんがあるほう。

 あなたは……」


 その時のシグの動きを、誰もはっきりと捉えられなかった。

 気がついたとき、ジルーズはたたらを踏んで、一歩下がった。


 彼の股ぐらから、血が出ていた。

 シグの手には、抜き身の剣が握られていた。

 いつ抜いたのか、誰にも見えなかった。


 シグは、床にぽとりと落ちた代物と、ジルーズの股ぐらを見比べて、平坦な声でつぶやいた。


「ちんちんがくっついてない。あなたは、『女』」


 時が止まった。

 次の瞬間、ジルーズの上げた絶叫と、傭兵たちのものすごい怒号が、食堂の空気を揺らした。


「ぶっ殺せ!」


 傭兵たちは得物を抜いて、次々とシグに殺到した。

 ノーラは悲鳴を上げながらその場にしゃがんだ。目をつぶり、耳を塞いで、必死にやり過ごそうとした。そうしてさえいれば、嵐が過ぎていくと信じて。


 しかし、様子が妙だと気づく。


 剣が打ち合う音がしない。

 怒号は、次第に悲鳴に変わる。


 彼女はそっと薄目を開けた。

 そして、ぎょっとして、見開いた。


 シグが、舞うように戦っていた。


 切っ先が、彼を中心にして、無数の美しい弧を描く。

 血飛沫が、その軌跡をなぞる。


 彼の体は、まるで重みが無いようだった。流麗で迷いのない足捌きで、軽やかに人の間を縫った。

 それに比べれば、ごろつきたちの動きは、どたばたと拙く見えるほどだ。

 シグに届く刃など無かった。

 反対に、彼の剣は、そのことごとくが、狙い通りに敵に届いた。


 傭兵たちがすべて倒され、うめきながら床に伏せるまで、それほど時間は必要なかった。

 転がされた男たちと、倒された椅子や卓の中心で、シグは、いつもどおり落ち着いて、剣についた血を、ぴっと払った。


 荒れた空気が、ようやく静まりかけた、その時。

 周りで見ていた野次馬が、「あっ!」とひと声叫んだ。

 ノーラは、(えっ?)と振り向いた。


 ヒュッと音を立て、何かが飛んだ。

 シグは、すばやく片腕を振った。

 「ぎゃっ!」と、誰かが悲鳴を上げた。


 きょろきょろ辺りを見渡して、いったい何が起こったのかを、ノーラは遅れて理解した。

 物陰にいた傭兵の一人が、シグの背中に、投げナイフを投げたのだ。

 シグは、そちらを見もせずに、剣だけ振って弾き返した。

 弾かれたナイフの刃は、投げた傭兵の目を潰した。


 野次馬たちが騒ぎ立てる中、ノーラはよろよろと立ち上がって、シグに震える手ですがりついた。


「し、シグ……。あの、け、怪我は? 怪我してない?」


「してない」


「そ、そうなのね。……あの、シグ、どうしてナイフが飛んで来たって、見ないでわかったの?」


「え? 音、聞こえたから」


「音……?」


「飛ぶ音。……聞こえないの?」


 音で?

 ノーラは、愕然とした。

 音だけで、ナイフが来る向きも、速度も、完璧にわかるわけがない。


(何なの、この子。何者なの……)


 ノーラの膝が、わけのわからぬ恐怖に震えた。


 そこへ、「何事だ!」と、マンスドゥス語が響きわたった。

 黒い鎧の正規兵たちが、続々と食堂に入ってきた。

 誰かが、通報してくれていたのだ。

 兵たちは、きびきびと規律正しい仕草で、野次馬を追い払い始めた。


 歩み寄ってくる兵士の姿に、(ああ、助かった……)と、ノーラは思った。

 しかし、兵士の浮かべる表情は、険しいものだった。

 彼は、ノーラとシグをねめつけ、厳しい声音でこう告げた。


「抵抗せずについてこい。騒動に関わった者は、全員、連行する」


■次話:『ひと振りの剣』

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