傭兵たち
聖炎軍の正規兵たちは、占領地の治安維持のために奔走している。
それに対して傭兵は、戦いが無い時は自由らしくて、もっぱら飲み食いして騒いだり、喧嘩や博打に明け暮れたり、女を買ったりしている。
シグは、酒も飲まず、博打も打たず、女も買わない。
早朝は剣の稽古をして、あとはふらふら散歩をしたり、昼寝をしたり、公衆浴場で長風呂したりしている。
そんなぼんやりしたシグが、サルム平野の戦いにおいては、勲功第一位として、多額の報奨金をもらったという。
(この子が? まさか)とノーラは首を傾げた。
負けず嫌いの他の傭兵たちも、そう思ったようだ。
だが、報酬の金貨は確かに支払われ、シグの居宅の棚の奥に無造作に収納されている。
ほとんど使われないこの金貨が、無数のやっかみを引き寄せていた。
普通は、こうして派手に儲けたら、他の傭兵たちに気前よく酒を奢ることで、妬みを買わないように振る舞う。
シグには、そういう世知が無い。
だから、街に出るたびに、シグは傭兵たちに絡まれた。
「よう、『英雄』どの。ご機嫌はどうだ?」
「最近はママと一緒かよ?」
立ち塞がる傭兵たちに、ノーラは震えて一歩下がった。
シグの袖の端を掴んで、心の中で祈る。
(お願いだから、今日こそは、余計なことは言わないで……)
シグは、傭兵たちを見ていない。
これから、入浴の予定なのだ。
公衆浴場の方角を見ている。
そっぽを向いて無視するシグに、傭兵たちは怒りを募らせた。
「おいガキ! 聞いてんのか!」
「聞いてる」
シグは、ノーラにマンスドゥス語を習い始めた。
わかる言葉には、返事をする。
ただし、相変わらず、顔は向けない。
傭兵たちは、ますます怒った。
「舐めやがって、この犬畜生が!」
「てめえの評価は、何かの間違いだ!」
「導師サマのお気に入りだからって、調子こいてんじゃねえぞ、ガキ!」
「『調子こいてんじゃねえぞ、ガキ』」
シグは、傭兵の放った罵倒を、そっくりそのまま復唱した。
そして、ノーラに視線を向けて、ぼそりと続けた。
「……って、何?」
「お、お願い、黙って!」
ノーラの声は裏返った。
傭兵たちは、こめかみに青筋を立てて、大声でどなり始めた。
シグは、なぜか一度だけ空を見上げた。
そして、ノーラの手首を掴み、するっと横道に入った。
「おい、逃げんのか!」「ふざけやがって!」と、罵声が背中に突き刺さる。シグはそれらを意に介さず、迷い無くノーラを連れて進む。
ノーラの心臓は、ばくばく鳴った。
(ほ、本当に逃げてるの? この子、状況がわかってる? このままついて行って、大丈夫?)
とはいえ、ここで一人きりになるほうが、ノーラは余程怖い。
何も言えずに歩き続けると、再びどこかの大通りに出た。
公衆浴場の真向かいだった。
シグは、「お風呂」と言いながら、ノーラから手を離し、浴場へ向かった。
時刻は、もうじき夕方。
まだ、ぎりぎり男湯の時間だ。
ノーラは、へなへなとへたり込んだ。
シグといると、こんなことばかりだ。
(きっといつか、本当にひどい目に遭うわ……)
そして、ついにその「いつか」が来た。
食堂で夕食にありつく二人のもとへ、特にガラの悪い傭兵連中が、ぞろぞろと現れた。
そして、逃げられないように、大勢でテーブルを取り囲んだ。
リーダー格の男が、テーブルにドスンと手を突きながら、「よぉう、坊っちゃん」と、だみ声で言った。
ノーラは、おびえて身をすくませた。
(この人、ひどく酔ってるわ)
傭兵は、ジルーズという男で、名の知れた札付きのワルだった。
日のあるうちから酒を飲んで騒ぎ、暴力沙汰を繰り返す。それでいて、腕は良いらしく、取り巻きどももプライドが高い。
彼らがシグに目をつけるのは、当然のなりゆきだった。
「導師サマに、女ァ、あてがわれたんだってな。どうだ、具合は?」
「女……『あてがわ』?」
「ひひひ、まだ女知らねえのか? 教えてもらってねえのか、うん?」
「女は知ってる。教えてもらった」
「ほお?」
にやつくジルーズに、シグは平気な顔で答えた。
「『女』は、男じゃないほう」
ジルーズは、一瞬きょとんとした。
そして、取り巻きたちとともに、爆笑した。
「ギャハハ! こいつは傑作だ!」
「お勉強、がんばってるんでちゅねえ!」
「『夜のお勉強』もしてんのかあ?」
ノーラは、屈辱に青ざめた。
膝の上でぎゅっと拳を握り、うつむいて小刻みに震えた。
王妃だった頃、こんな輩に侮辱されたことなんて、なかった。
シグは、いまいち理解していない。
彼がわかるのは、簡単な言葉だけ。込められた揶揄は、わからないのだ。
ジルーズは、いやに親しげに、シグの肩をぽんぽんと叩いた。
「それなら、男は知ってるのかぁ? 俺達が教えてやろうか、ええ?」
シグは、自分の肩に載せられた毛むくじゃらの手をちらりと眺め、無視して食事を再開した。
苦手なスプーンを使って、スープを一口ゆっくり飲む。
余裕ぶった態度を見せられて、ジルーズは声を一段低くした。
「……せっかくだ、てめえのママにも教えてやるよ」
ジルーズの取り巻きの一人が、ノーラの肩を掴んで立たせた。
ノーラは、恐怖に悲鳴を上げた。
「いやっ、やめて!」
「おら、こっち来い!」
「いやよ! 助けて、誰か助けて!」
ジルーズは、にたにたと笑った。
シグは、スプーンを置いて、静かに立った。
「……男も知ってる。教えなくていい」
「ああん?」
「『男』は、ちんちんがあるほう。
あなたは……」
その時のシグの動きを、誰もはっきりと捉えられなかった。
気がついたとき、ジルーズはたたらを踏んで、一歩下がった。
彼の股ぐらから、血が出ていた。
シグの手には、抜き身の剣が握られていた。
いつ抜いたのか、誰にも見えなかった。
シグは、床にぽとりと落ちた代物と、ジルーズの股ぐらを見比べて、平坦な声でつぶやいた。
「ちんちんがくっついてない。あなたは、『女』」
時が止まった。
次の瞬間、ジルーズの上げた絶叫と、傭兵たちのものすごい怒号が、食堂の空気を揺らした。
「ぶっ殺せ!」
傭兵たちは得物を抜いて、次々とシグに殺到した。
ノーラは悲鳴を上げながらその場にしゃがんだ。目をつぶり、耳を塞いで、必死にやり過ごそうとした。そうしてさえいれば、嵐が過ぎていくと信じて。
しかし、様子が妙だと気づく。
剣が打ち合う音がしない。
怒号は、次第に悲鳴に変わる。
彼女はそっと薄目を開けた。
そして、ぎょっとして、見開いた。
シグが、舞うように戦っていた。
切っ先が、彼を中心にして、無数の美しい弧を描く。
血飛沫が、その軌跡をなぞる。
彼の体は、まるで重みが無いようだった。流麗で迷いのない足捌きで、軽やかに人の間を縫った。
それに比べれば、ごろつきたちの動きは、どたばたと拙く見えるほどだ。
シグに届く刃など無かった。
反対に、彼の剣は、そのことごとくが、狙い通りに敵に届いた。
傭兵たちがすべて倒され、うめきながら床に伏せるまで、それほど時間は必要なかった。
転がされた男たちと、倒された椅子や卓の中心で、シグは、いつもどおり落ち着いて、剣についた血を、ぴっと払った。
荒れた空気が、ようやく静まりかけた、その時。
周りで見ていた野次馬が、「あっ!」とひと声叫んだ。
ノーラは、(えっ?)と振り向いた。
ヒュッと音を立て、何かが飛んだ。
シグは、すばやく片腕を振った。
「ぎゃっ!」と、誰かが悲鳴を上げた。
きょろきょろ辺りを見渡して、いったい何が起こったのかを、ノーラは遅れて理解した。
物陰にいた傭兵の一人が、シグの背中に、投げナイフを投げたのだ。
シグは、そちらを見もせずに、剣だけ振って弾き返した。
弾かれたナイフの刃は、投げた傭兵の目を潰した。
野次馬たちが騒ぎ立てる中、ノーラはよろよろと立ち上がって、シグに震える手ですがりついた。
「し、シグ……。あの、け、怪我は? 怪我してない?」
「してない」
「そ、そうなのね。……あの、シグ、どうしてナイフが飛んで来たって、見ないでわかったの?」
「え? 音、聞こえたから」
「音……?」
「飛ぶ音。……聞こえないの?」
音で?
ノーラは、愕然とした。
音だけで、ナイフが来る向きも、速度も、完璧にわかるわけがない。
(何なの、この子。何者なの……)
ノーラの膝が、わけのわからぬ恐怖に震えた。
そこへ、「何事だ!」と、マンスドゥス語が響きわたった。
黒い鎧の正規兵たちが、続々と食堂に入ってきた。
誰かが、通報してくれていたのだ。
兵たちは、きびきびと規律正しい仕草で、野次馬を追い払い始めた。
歩み寄ってくる兵士の姿に、(ああ、助かった……)と、ノーラは思った。
しかし、兵士の浮かべる表情は、険しいものだった。
彼は、ノーラとシグをねめつけ、厳しい声音でこう告げた。
「抵抗せずについてこい。騒動に関わった者は、全員、連行する」
■次話:『ひと振りの剣』




