炎は闇の中で輝く
※残酷な描写あり
エルザたちは、敵の妨害に対応しながら、苦労して城塞内を進んでいた。
目指すは、エルザを侮辱した、あの導師だ。
「いったい、どこに隠れている……!」
探し回るエルザたちは、ある場所に辿り着いた。
道幅が細くて天井が高い通路があり、その先が、ちょっとした広間になっている。広間には、小さな祭壇が設置されている。
兵たちが祈るために設置された、小礼拝堂だ。
その祭壇の前に、人影が見えた。
「……いたわ! 奴よ!」
エルザは、通路に駆け込んだ。
部下たちも、列を作って、それに続いた。
敵の導師、ユランサスは、ゆっくりと振り向いた。
そして、じつに優雅な仕草で、エルザたちに一礼した。
「お待ちしておりました、聖騎士殿。
先程は失礼いたしました。
無礼な物言いの数々、なにとぞご容赦のほど……」
「よくも、いけしゃあしゃあと!
貴様の命運も、ここで終わりだっ!」
「そのことですが」
ユランサスは身を起こし、誘うように、エルザに手を差し伸べた。
「一騎討ちを、申し込みたく存じます。
聖騎士エルザどの」
「……な。一騎討ち、だと……?」
エルザの背後で、部下たちもざわめいた。
一騎討ち。
誇り高きインバル騎士の作法だ。
騎士を名乗るうえで、これに憧れぬ者はない。
ユランサスは、「そのとおり」とほほえんだ。
「光耀教と、聖炎教。
インバル人と、マンスドゥス人。
女性と、男性。
立場は異なる身なれども、この戦場において、それぞれの神に最も嘉されているのは、あなたと私であることには、間違いありません。
いかがです。
我らの決闘で、神意を問おうではありませんか」
背後の部下が、「隊長……!」とつぶやいた。
エルザは答えた。
「……いいだろう。受けて立つ。
貴様が侮った私の実力を、思い知らせてやる」
「エルザ隊長っ!」
「みんなは下がりなさい。見届けてちょうだい」
「……はいっ!」
エルザの部下たちは、礼拝堂から出て、通路まで下がった。
ユランサスは、ぞろぞろと下がる騎士たちを、じっと見ていた。
そして、祭壇横の取っ手を引いた。
ガシャン、と音がして、鉄格子が落ちた。
「なっ……!」
「何だっ!?」
騎士たちがいる、狭い通路の入口と出口は、両方が鉄格子で塞がれていた。
そして、上から落ちてきたのは、鉄格子だけではなかった。
ボンッ、と音が弾けた。
「うっ、うわっ、ひッ、ギャアアアア!」
「火だ! 火が落ちてきたぞッ!」
「おい、退け!」
「どこにだよ!」
「開けろ、開けてくれ!」
「熱いッ、熱いイイイイッ!!」
「隊長! 助けてください、隊長ォッ!」
エルザは、通路の中の地獄に、後ずさりした。
そして、ばっとユランサスを振り向いた。
ユランサスの口は、三日月形に吊り上がっていた。
「き……貴様……罠だったのか!」
「簡単にかかってくれて、助かりました。
これでも、内心ひやひやしていたんですよ」
「悪魔め……! 死ねえッ!」
エルザは、薄笑いを浮かべる男に斬りかかった。
ユランサスは、腰の剣を抜いて、それを受け止めた。
燃える炎を背に、一騎打ちは幕を開けた。
ユランサスは、苦戦していた。
女とはいえ、エルザは訓練を積んだ騎士だ。そして、男とはいえ、ユランサスはただの聖職者なのだ。
(……それでも、ここは私が一人で押さえるしかない……!)
エルザの攻撃は、鋭く、重い。
ユランサスも必死に受け止める。
しかし、彼が剣を使うのは、本来ならば、儀式で贄を屠るときだけだ。向かってくる敵と、本気で戦ったことなどない。
何度も受け損ね、傷が増えていった。
ついに、ぎりぎりの拮抗は崩れた。
苦しい姿勢で相手の剣を受け止めたユランサスに、大きな隙ができた。
エルザは、それを見逃さず、ユランサスの腹を強く蹴った。
ユランサスは、血を吐きながら、壁際まで突き飛ばされた。
床を転がり、倒れ伏すユランサスを、エルザはじっと見下ろした。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……弱い。
真っ当な手段で戦えば、貴様はこんなにも弱い」
そして、剣の切っ先を、まっすぐに突きつけた。
「光の女神は、正しい道を照らしている。
なのに、貴様は影ばかり見て、卑怯な手段で人を殺す。
……そんな貴様を、女神が救うものか!」
ユランサスの体は、動かなかった。
動かせなかった。
だが、心の底では、炎が唸った。
彼は床に這いつくばったまま、あるかなしかの声でささやいた。
「……私は、影を見てきた……。
お前には、見えぬ影を……」
その口から、ごぽりと血があふれた。
床に血だまりが広がった。
ユランサスは、血だまりに手をつき、立ち上がろうとして、必死に踏ん張った。
「お前は、知らないだろう……。
この国で、道を外れてしまった者が、どれほど踏みにじられるかを。
人々に信じられている者が、どのように弱者を食い物にするかを。
お前は、知らない……。
明るい場所しか歩いてこなかった、お前は……」
エルザは、眉をひそめた。
ユランサスは、がつり、と剣を血だまりについた。そして、汚れた剣を支えにして、震えながら上体を起こした。
「……私の母は、インバル人だ。
混血の私を産み、家を追われた。
頼れるのは、光耀教だけだった。
縋る思いで、教会に身を寄せた母を……。
司祭は、いいようになぶり、奴隷にしたのだ!」
ユランサスは、鋭い眼光で、エルザを貫いた。
エルザは、痛みを感じたように、よろめいた。
剣先が揺れた。
「う……嘘よ……。そんな……!」
「嘘であるものかッ!」
胸の裏側を、炎が焼いた。
あの日から燃え続けていた、彼の中の炎が。
ユランサスは、渾身の力を振り絞り、剣を杖にして立ち上がった。
顔を上げる。
そこには、エルザがいる。
恵まれたインバル人の女が。
目を逸らさず、ユランサスは睨んだ。
「正しい道を歩める者には、神など要らぬ。
人が寄り添い、手を差し伸べる。
だが……道を踏み外した者には、誰も寄り添わない。
……だからこそ、神が必要なのだ。
誰も寄り添おうとしない者にこそ、神が寄り添うべきなのだ!」
全身が痛い。剣が重い。
それでも、ユランサスは己の血に濡れた剣を持ち上げ、真正面からエルザにつきつけた。
彼は、叫んだ。
切れ切れの息と、熱い血とともに、ユランサスは心を吐き出して、ぶつけた。
「暖かで明るい昼には、導きの光など要らぬ……!
冷たい夜闇に惑う者にこそ、炎は灯されるべきなのだ!
光に目が眩み、足元の影を踏みにじっていることにさえ気づかぬ貴様が……その口で、神を語るな!」
エルザは、こぼれんばかりに目を見開き、じりりと後ずさった。
そして、はっとして足元を見た。
自分が下がらされたことに、動揺したのだ。
彼女は、焦って叫んだ。
「だ……黙れ……!
死ねっ、異教徒が!」
エルザの剣が、迫ってくる。
ユランサスは、震える腕で、なんとか受けようとした。
ギンッ、と、音が響いた。
ユランサスの腕には、衝撃が来なかった。
エルザの剣は、弾かれていた。
いつの間にか、窓が割れていた。
ユランサスの目の前に、灰色の影があった。
ばさりと尾が揺れる。
声が聞こえた。
「……ユラを、殺すな……!」
シグが、エルザと戦い始めた。
ユランサスは、壁にもたれ、荒い息を吐きながら、それを見ていた。
見ているだけで、わかる。
両者の差は、圧倒的だ。
シグの、鋭く、すばやく、絶え間ない斬撃に、エルザは対応しきれていない。
彼女がまだ死なずにいるのは、彼女の身を守る白銀の鎧のおかげだろう。
エルザが明らかに動揺しているのが、ユランサスにはわかった。
呼吸が短い。
瞳孔が揺れている。
やがて、裏返った声で、エルザは叫んだ。
「待って! 剣を下ろして!
私が戦いたい相手は、君じゃない!」
シグは、嵐のような攻撃を止めた。
油断無く剣を構えているが、一定の間合いを保っている。エルザの言い分を、聞くつもりなのだろう。
エルザは、必死に呼吸しながら、言い募った。
「私は……子どもを、殺さない。
だから、君とは戦えないの。
私と君は、敵じゃない……!」
シグは、じっと黙った。
考えているのだ。
通訳につけたレバーリャの王妃が言っていた。今のシグには、自分で考える力があると。
やがて、彼は答えた。
「ユラを殺さないで。それなら、おれも殺さない」
「わ、わかったわ。導師も殺さない……」
そのエルザの声に混じる震えを聞いて、ユランサスの心は、ぴんと張り詰めた。
嫌な予感がする。
あれは、追い詰められた人間の出す声だ。
本人は、嘘のつもりではないようだ。
だが、精神が乱れた人間は、何をしでかすかわからない。
そして、シグは、嘘を知らない。
シグは「わかった」と素直にうなずき、剣を鞘に収めた。そして、ユランサスの方に歩み寄ってきた。
かすかな声が、ユランサスの耳に届いた。
「いや……いやよ……。
殺されたく、ない……」
エルザの肩が、小刻みに震えている。
(……まずい!)
ユランサスは、シグを止めようとした。
だが、その前に、叫び声が響いた。
「……嫌あああッ!」
エルザが、剣を振り上げた。
目には、涙がにじんでいた。
声は、取り乱し、ひび割れていた。
シグの反応が、一瞬遅れた。
シグの右足に、銀色の刃が食い込むのが、いやにゆっくり見えた。
赤い血が飛び散った。
一拍遅れて、シグは飛び退った。
「……えっ。
……なんで……?」
「し、死にたくない……。
私……私は、こんなところで……!」
ユランサスは、ほとんど無意識に、短剣を抜いた。
そして、それを腰だめに構えた。
このやり方なら、自分にもできる。
聖騎士の鎧は、見栄えを重んじ、背面は意外なほど簡素だ。
エルザは、完全にシグだけを見ている。
シグだけを恐れている。
ユランサスは、残った力を振り絞り、駆けた。
刃は、エルザの背に、深々と刺さった。
「ははは……。
はは、はははは、はははははっ!」
ユランサスは、倒れたエルザを見下ろしていた。
もう動かない。
血は、どくどくとあふれ、床に拡がっている。
死んだのだ。
インバル人。
光耀教徒。
女。
ユランサスを苦しめたものは、死んだのだ。
「はははははっ! ははははははっ!」
腹の底から、笑いがあふれて、止まらなかった。
ユランサスの暗い過去が、脳裏に次々と蘇ってきた。
耳を塞いでも聞こえる、母の悲鳴。
太った司祭の、下卑た笑い声。
指差して笑う子どもたち。
なじってくる商家の娘。
ささやかれる噂。
嘲る声。
少女服。
司祭のにやけ面。
母のすさんだ眼差し。
「はははは……。ははは……」
過去が、蘇る。
司祭が出かけて帰らぬ日。
絵本を読んでくれた母の声。
幼いユランサスは、母に尋ねた。
『ぼくがいないほうが、幸せだった?』
母は、目をうるませ、彼の金の髪をなでた。
手のひらの温度。優しかった、その手つき……。
「は…………」
ユランサスは、膝から床に崩れ落ちた。
気づけば、頬は濡れていた。
「……お母さん……。
ぼくたち、これで、もう……」
顔を覆った。
涙が、あとからあとからあふれてきた。
止まらなかった。どうしても。
ユランサスは、血だまりの中に座り込んで、子どものように泣きじゃくった。
どれほどそうしていただろう。
ユランサスの涙が尽きた時、顔を上げれば、すぐ横にシグの姿があった。
寄り添っていてくれたのだ。
ユランサスは、くしゃりと笑んだ。
「……ありがとう、シグ」
「うん、ユラ」
「足、痛みますか……?」
「うん。痛い……」
「そうですよね……。
ごめんなさい、シグ。ここでは、手当をしてあげられません」
「うん。……がんばる」
ユランサスは、シグの腕を、そっと引き寄せた。
シグは、おとなしく身を寄せた。
素直だ。ユランサスはほほえんで、彼に告げた。
「シグ。ここから逃げなさい。
もう、大丈夫です。
このお城を出て、南に行きなさい」
「南……イスオドス?」
「そう、イスオドスです。よくわかりましたね。
そこで、ノーラがあなたを待っています。
ノーラに会えたら、二人で一緒に、ススロへ逃げなさい」
「イスオドスに行って、ノラと会って、ススロに行く」
シグは、ユランサスの指示を、自分の言葉で繰り返し、「わかった」と言った。
「ユラも行こう。ユラもおれと一緒に逃げて。
三人でススロに行こう」
ユランサスは、つい笑った。
シグなら、そう言うと思っていた。
そして、最後の嘘をついた。
「私は、まだ仕事が残っているんです。
大丈夫、後から行きますよ。
先に行ってください。ススロで会いましょう」
「……わかった。ススロで待ってる。
またね、ユラ。お仕事がんばって」
「ええ。シグ、気をつけて」
「うん」
シグは、素直にうなずいた。そして、来る時に使った割れ窓から外に出ていった。
ユランサスは、その背を見送った。
(さよなら、シグ)
目を閉じて、深く呼吸する。
顔を拭く。これから行う仕事に、涙の痕跡は無い方が良い。
立ち上がる。
エルザの屍の首元を掴む。
取っ手を動かす。鉄格子が開いた。
燃え尽きた騎士たちの残骸を踏み越え、屍を引きずり、城壁の上へ上がっていく。
空の端が、赤く燃えていた。
夜は明けたのだ。
ガーズィムと約束した五日目の朝だ。
ユランサスは、重い屍を引きずりながら、北側の壁際ににじり寄った。
そして、何度か息を吐いて、呼吸を整えた。
眼下の敵を睨む。
肺いっぱいに、空気を吸い込む。
そして。
「はははははは!
見るがよい! 邪教徒どもよ!」
追討軍の兵どもが、声に驚き、一斉に顔を上げた。
彼らに見せつけるために、ユランサスは、エルザの屍を持ち上げた。
白銀の鎧が、長い金髪が、よく見えるように。
「見よ!
『聖騎士』は、死んだ!
私が殺したのだ!
偽りの神を信じ、私に挑んできた女は!
やはり、ただの思い上がった小娘だったのだ!」
人々が、ユランサスの方を指差し、口々に騒ぎ出した。
無数の叫びが、眼下にこだました。
「おいっ、死体だ!」
「莫迦な……! あれは……!」
「エルザ殿か!?」
「『聖女』が……!」
ひときわ大きい怒鳴り声が聞こえた。
「おのれ……許すまじ!
みな、征くぞ!
あの悪魔を討ち取り、『聖女』を取り戻すのだ!」
地を揺るがすほどの雄叫びがとどろいた。
ユランサスは、満足してそれを聞いていた。
(これで、もう投石機は使えまい)
『聖女エルザの遺体の奪還』。
『カスラージュへの遺体の護送』。
光輪騎士団は、否応なくこれらの任務に就くことになる。
遺体の損傷を防ぐためには、投石も、火計も使うことができない。彼らは、城塞内に押し入り、地道に戦うしかない。
そして、光輪騎士団がカスラージュに帰れば、追討軍の人員も減る。
これで、ガーズィムの率いる本隊は救われる。
(あとは、せいぜい目立ってやるか。
『大将首』を獲れば、連中も落ち着くだろう)
ひゅっ、と音がして、肩に衝撃が走った。
見れば、矢が刺さっていた。
怒り狂った敵の兵士が、下から射たのだろう。
鼻を鳴らして、ユランサスは立ち上がった。
「どうした、狙いが甘いぞ!
貴様らの心臓は、肩にあるのか?
それとも……私が怖くて、手が震えたか?」
両腕を広げ、声を張り上げて、ユランサスは笑った。
「当てられるものなら、当ててみろ!
神は、我が身を守りたもう!
女にへつらう腰抜けどもに、この私が殺せるものか!
ははははっ! ははははははっ!」
空に、高笑いを響かせる。
心は、かつてなく晴れやかだ。
怒号を浴び、無数の敵の矢に晒されながら、ユランサスは、シグが無事に生き延びることを、ただ静かに神に祈った。
■次話:『ただいま』




