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人狼シグはわからない  作者: たっこ
第五章:灰は灰に
34/36

炎は闇の中で輝く

※残酷な描写あり

 エルザたちは、敵の妨害に対応しながら、苦労して城塞内を進んでいた。

 目指すは、エルザを侮辱した、あの導師だ。


「いったい、どこに隠れている……!」


 探し回るエルザたちは、ある場所に辿り着いた。


 道幅が細くて天井が高い通路があり、その先が、ちょっとした広間になっている。広間には、小さな祭壇が設置されている。

 兵たちが祈るために設置された、小礼拝堂だ。

 その祭壇の前に、人影が見えた。


「……いたわ! 奴よ!」


 エルザは、通路に駆け込んだ。

 部下たちも、列を作って、それに続いた。


 敵の導師、ユランサスは、ゆっくりと振り向いた。

 そして、じつに優雅な仕草で、エルザたちに一礼した。


「お待ちしておりました、聖騎士殿。

 先程は失礼いたしました。

 無礼な物言いの数々、なにとぞご容赦のほど……」


「よくも、いけしゃあしゃあと!

 貴様の命運も、ここで終わりだっ!」


「そのことですが」


 ユランサスは身を起こし、誘うように、エルザに手を差し伸べた。


「一騎討ちを、申し込みたく存じます。

 聖騎士エルザどの」


「……な。一騎討ち、だと……?」


 エルザの背後で、部下たちもざわめいた。

 一騎討ち。

 誇り高きインバル騎士の作法だ。

 騎士を名乗るうえで、これに憧れぬ者はない。


 ユランサスは、「そのとおり」とほほえんだ。


「光耀教と、聖炎教。

 インバル人と、マンスドゥス人。

 女性と、男性。

 立場は異なる身なれども、この戦場において、それぞれの神に最も(よみ)されているのは、あなたと私であることには、間違いありません。

 いかがです。

 我らの決闘で、神意を問おうではありませんか」


 背後の部下が、「隊長……!」とつぶやいた。

 エルザは答えた。


「……いいだろう。受けて立つ。

 貴様が侮った私の実力を、思い知らせてやる」


「エルザ隊長っ!」


「みんなは下がりなさい。見届けてちょうだい」


「……はいっ!」


 エルザの部下たちは、礼拝堂から出て、通路まで下がった。

 ユランサスは、ぞろぞろと下がる騎士たちを、じっと見ていた。


 そして、祭壇横の取っ手を引いた。

 ガシャン、と音がして、鉄格子が落ちた。


「なっ……!」


「何だっ!?」


 騎士たちがいる、狭い通路の入口と出口は、両方が鉄格子で塞がれていた。

 そして、上から落ちてきたのは、鉄格子だけではなかった。


 ボンッ、と音が弾けた。


「うっ、うわっ、ひッ、ギャアアアア!」


「火だ! 火が落ちてきたぞッ!」


「おい、退け!」


「どこにだよ!」


「開けろ、開けてくれ!」


「熱いッ、熱いイイイイッ!!」


「隊長! 助けてください、隊長ォッ!」


 エルザは、通路の中の地獄に、後ずさりした。

 そして、ばっとユランサスを振り向いた。


 ユランサスの口は、三日月形に吊り上がっていた。


「き……貴様……罠だったのか!」


「簡単にかかってくれて、助かりました。

 これでも、内心ひやひやしていたんですよ」


「悪魔め……! 死ねえッ!」


 エルザは、薄笑いを浮かべる男に斬りかかった。

 ユランサスは、腰の剣を抜いて、それを受け止めた。


 燃える炎を背に、一騎打ちは幕を開けた。





 ユランサスは、苦戦していた。


 女とはいえ、エルザは訓練を積んだ騎士だ。そして、男とはいえ、ユランサスはただの聖職者なのだ。


(……それでも、ここは私が一人で押さえるしかない……!)


 エルザの攻撃は、鋭く、重い。

 ユランサスも必死に受け止める。

 しかし、彼が剣を使うのは、本来ならば、儀式で贄を屠るときだけだ。向かってくる敵と、本気で戦ったことなどない。

 何度も受け損ね、傷が増えていった。


 ついに、ぎりぎりの拮抗は崩れた。

 苦しい姿勢で相手の剣を受け止めたユランサスに、大きな隙ができた。

 エルザは、それを見逃さず、ユランサスの腹を強く蹴った。

 ユランサスは、血を吐きながら、壁際まで突き飛ばされた。


 床を転がり、倒れ伏すユランサスを、エルザはじっと見下ろした。

 そして、ぽつりとつぶやいた。


「……弱い。

 真っ当な手段で戦えば、貴様はこんなにも弱い」


 そして、剣の切っ先を、まっすぐに突きつけた。


「光の女神は、正しい道を照らしている。

 なのに、貴様は影ばかり見て、卑怯な手段で人を殺す。

 ……そんな貴様を、女神が救うものか!」


 ユランサスの体は、動かなかった。

 動かせなかった。

 だが、心の底では、炎が唸った。

 彼は床に這いつくばったまま、あるかなしかの声でささやいた。


「……私は、影を見てきた……。

 お前には、見えぬ影を……」


 その口から、ごぽりと血があふれた。

 床に血だまりが広がった。

 ユランサスは、血だまりに手をつき、立ち上がろうとして、必死に踏ん張った。


「お前は、知らないだろう……。

 この国で、道を外れてしまった者が、どれほど踏みにじられるかを。

 人々に信じられている者が、どのように弱者を食い物にするかを。

 お前は、知らない……。

 明るい場所しか歩いてこなかった、お前は……」


 エルザは、眉をひそめた。

 ユランサスは、がつり、と剣を血だまりについた。そして、汚れた剣を支えにして、震えながら上体を起こした。


「……私の母は、インバル人だ。

 混血の私を産み、家を追われた。

 頼れるのは、光耀教だけだった。

 縋る思いで、教会に身を寄せた母を……。

 司祭は、いいようになぶり、奴隷にしたのだ!」


 ユランサスは、鋭い眼光で、エルザを貫いた。

 エルザは、痛みを感じたように、よろめいた。

 剣先が揺れた。


「う……嘘よ……。そんな……!」


「嘘であるものかッ!」


 胸の裏側を、炎が焼いた。

 あの日から燃え続けていた、彼の中の炎が。


 ユランサスは、渾身の力を振り絞り、剣を杖にして立ち上がった。

 顔を上げる。

 そこには、エルザがいる。

 恵まれたインバル人の女が。

 目を逸らさず、ユランサスは睨んだ。


「正しい道を歩める者には、神など要らぬ。

 人が寄り添い、手を差し伸べる。

 だが……道を踏み外した者には、誰も寄り添わない。

 ……だからこそ、神が必要なのだ。

 誰も寄り添おうとしない者にこそ、神が寄り添うべきなのだ!」


 全身が痛い。剣が重い。

 それでも、ユランサスは己の血に濡れた剣を持ち上げ、真正面からエルザにつきつけた。

 彼は、叫んだ。

 切れ切れの息と、熱い血とともに、ユランサスは心を吐き出して、ぶつけた。


「暖かで明るい昼には、導きの光など要らぬ……!

 冷たい夜闇に惑う者にこそ、炎は灯されるべきなのだ!

 光に目が眩み、足元の影を踏みにじっていることにさえ気づかぬ貴様が……その口で、神を語るな!」


 エルザは、こぼれんばかりに目を見開き、じりりと後ずさった。

 そして、はっとして足元を見た。

 自分が下がらされたことに、動揺したのだ。

 彼女は、焦って叫んだ。


「だ……黙れ……!

 死ねっ、異教徒が!」


 エルザの剣が、迫ってくる。

 ユランサスは、震える腕で、なんとか受けようとした。


 ギンッ、と、音が響いた。


 ユランサスの腕には、衝撃が来なかった。

 エルザの剣は、弾かれていた。


 いつの間にか、窓が割れていた。

 ユランサスの目の前に、灰色の影があった。

 ばさりと尾が揺れる。

 声が聞こえた。


「……ユラを、殺すな……!」





 シグが、エルザと戦い始めた。

 ユランサスは、壁にもたれ、荒い息を吐きながら、それを見ていた。


 見ているだけで、わかる。

 両者の差は、圧倒的だ。

 シグの、鋭く、すばやく、絶え間ない斬撃に、エルザは対応しきれていない。

 彼女がまだ死なずにいるのは、彼女の身を守る白銀の鎧のおかげだろう。


 エルザが明らかに動揺しているのが、ユランサスにはわかった。

 呼吸が短い。

 瞳孔が揺れている。

 やがて、裏返った声で、エルザは叫んだ。


「待って! 剣を下ろして!

 私が戦いたい相手は、君じゃない!」


 シグは、嵐のような攻撃を止めた。

 油断無く剣を構えているが、一定の間合いを保っている。エルザの言い分を、聞くつもりなのだろう。

 エルザは、必死に呼吸しながら、言い募った。


「私は……子どもを、殺さない。

 だから、君とは戦えないの。

 私と君は、敵じゃない……!」


 シグは、じっと黙った。

 考えているのだ。

 通訳につけたレバーリャの王妃が言っていた。今のシグには、自分で考える力があると。

 やがて、彼は答えた。


「ユラを殺さないで。それなら、おれも殺さない」


「わ、わかったわ。導師も殺さない……」


 そのエルザの声に混じる震えを聞いて、ユランサスの心は、ぴんと張り詰めた。

 嫌な予感がする。

 あれは、追い詰められた人間の出す声だ。


 本人は、嘘のつもりではないようだ。

 だが、精神が乱れた人間は、何をしでかすかわからない。


 そして、シグは、嘘を知らない。


 シグは「わかった」と素直にうなずき、剣を鞘に収めた。そして、ユランサスの方に歩み寄ってきた。

 かすかな声が、ユランサスの耳に届いた。


「いや……いやよ……。

 殺されたく、ない……」


 エルザの肩が、小刻みに震えている。


(……まずい!)


 ユランサスは、シグを止めようとした。

 だが、その前に、叫び声が響いた。


「……嫌あああッ!」


 エルザが、剣を振り上げた。

 目には、涙がにじんでいた。

 声は、取り乱し、ひび割れていた。

 シグの反応が、一瞬遅れた。


 シグの右足に、銀色の刃が食い込むのが、いやにゆっくり見えた。

 赤い血が飛び散った。

 一拍遅れて、シグは飛び退った。


「……えっ。

 ……なんで……?」


「し、死にたくない……。

 私……私は、こんなところで……!」


 ユランサスは、ほとんど無意識に、短剣を抜いた。

 そして、それを腰だめに構えた。

 このやり方なら、自分にもできる。

 聖騎士の鎧は、見栄えを重んじ、背面は意外なほど簡素だ。


 エルザは、完全にシグだけを見ている。

 シグだけを恐れている。


 ユランサスは、残った力を振り絞り、駆けた。


 刃は、エルザの背に、深々と刺さった。





「ははは……。

 はは、はははは、はははははっ!」


 ユランサスは、倒れたエルザを見下ろしていた。


 もう動かない。

 血は、どくどくとあふれ、床に拡がっている。


 死んだのだ。

 インバル人。

 光耀教徒。

 女。

 ユランサスを苦しめたものは、死んだのだ。


「はははははっ! ははははははっ!」


 腹の底から、笑いがあふれて、止まらなかった。

 ユランサスの暗い過去が、脳裏に次々と蘇ってきた。

 耳を塞いでも聞こえる、母の悲鳴。

 太った司祭の、下卑た笑い声。

 指差して笑う子どもたち。

 なじってくる商家の娘。

 ささやかれる噂。

 嘲る声。

 少女服。

 司祭のにやけ面。

 母のすさんだ眼差し。


「はははは……。ははは……」


 過去が、蘇る。

 司祭が出かけて帰らぬ日。

 絵本を読んでくれた母の声。

 幼いユランサスは、母に尋ねた。

 『ぼくがいないほうが、幸せだった?』

 母は、目をうるませ、彼の金の髪をなでた。

 手のひらの温度。優しかった、その手つき……。


「は…………」


 ユランサスは、膝から床に崩れ落ちた。

 気づけば、頬は濡れていた。


「……お母さん……。

 ぼくたち、これで、もう……」


 顔を覆った。

 涙が、あとからあとからあふれてきた。

 止まらなかった。どうしても。

 ユランサスは、血だまりの中に座り込んで、子どものように泣きじゃくった。


 どれほどそうしていただろう。

 ユランサスの涙が尽きた時、顔を上げれば、すぐ横にシグの姿があった。

 寄り添っていてくれたのだ。

 ユランサスは、くしゃりと笑んだ。


「……ありがとう、シグ」


「うん、ユラ」


「足、痛みますか……?」


「うん。痛い……」


「そうですよね……。

 ごめんなさい、シグ。ここでは、手当をしてあげられません」


「うん。……がんばる」


 ユランサスは、シグの腕を、そっと引き寄せた。

 シグは、おとなしく身を寄せた。

 素直だ。ユランサスはほほえんで、彼に告げた。


「シグ。ここから逃げなさい。

 もう、大丈夫です。

 このお城を出て、南に行きなさい」


「南……イスオドス?」


「そう、イスオドスです。よくわかりましたね。

 そこで、ノーラがあなたを待っています。

 ノーラに会えたら、二人で一緒に、ススロへ逃げなさい」


「イスオドスに行って、ノラと会って、ススロに行く」


 シグは、ユランサスの指示を、自分の言葉で繰り返し、「わかった」と言った。


「ユラも行こう。ユラもおれと一緒に逃げて。

 三人でススロに行こう」


 ユランサスは、つい笑った。

 シグなら、そう言うと思っていた。


 そして、最後の嘘をついた。


「私は、まだ仕事が残っているんです。

 大丈夫、後から行きますよ。

 先に行ってください。ススロで会いましょう」


「……わかった。ススロで待ってる。

 またね、ユラ。お仕事がんばって」


「ええ。シグ、気をつけて」


「うん」


 シグは、素直にうなずいた。そして、来る時に使った割れ窓から外に出ていった。

 ユランサスは、その背を見送った。


(さよなら、シグ)


 目を閉じて、深く呼吸する。

 顔を拭く。これから行う仕事に、涙の痕跡は無い方が良い。


 立ち上がる。

 エルザの屍の首元を掴む。

 取っ手を動かす。鉄格子が開いた。

 燃え尽きた騎士たちの残骸を踏み越え、屍を引きずり、城壁の上へ上がっていく。


 空の端が、赤く燃えていた。

 夜は明けたのだ。

 ガーズィムと約束した五日目の朝だ。


 ユランサスは、重い屍を引きずりながら、北側の壁際ににじり寄った。

 そして、何度か息を吐いて、呼吸を整えた。


 眼下の敵を睨む。

 肺いっぱいに、空気を吸い込む。

 そして。


「はははははは!

 見るがよい! 邪教徒どもよ!」


 追討軍の兵どもが、声に驚き、一斉に顔を上げた。

 彼らに見せつけるために、ユランサスは、エルザの屍を持ち上げた。

 白銀の鎧が、長い金髪が、よく見えるように。


「見よ!

 『聖騎士』は、死んだ!

 私が殺したのだ!

 偽りの神を信じ、私に挑んできた女は!

 やはり、ただの思い上がった小娘だったのだ!」


 人々が、ユランサスの方を指差し、口々に騒ぎ出した。

 無数の叫びが、眼下にこだました。


「おいっ、死体だ!」


「莫迦な……! あれは……!」


「エルザ殿か!?」


「『聖女』が……!」


 ひときわ大きい怒鳴り声が聞こえた。


「おのれ……許すまじ!

 みな、征くぞ!

 あの悪魔を討ち取り、『聖女』を取り戻すのだ!」


 地を揺るがすほどの雄叫びがとどろいた。

 ユランサスは、満足してそれを聞いていた。


(これで、もう投石機は使えまい)


 『聖女エルザの遺体の奪還』。

 『カスラージュへの遺体の護送』。

 光輪騎士団は、否応なくこれらの任務に就くことになる。


 遺体の損傷を防ぐためには、投石も、火計も使うことができない。彼らは、城塞内に押し入り、地道に戦うしかない。

 そして、光輪騎士団がカスラージュに帰れば、追討軍の人員も減る。

 これで、ガーズィムの率いる本隊は救われる。


(あとは、せいぜい目立ってやるか。

 『大将首』を獲れば、連中も落ち着くだろう)


 ひゅっ、と音がして、肩に衝撃が走った。

 見れば、矢が刺さっていた。

 怒り狂った敵の兵士が、下から射たのだろう。

 鼻を鳴らして、ユランサスは立ち上がった。


「どうした、狙いが甘いぞ!

 貴様らの心臓は、肩にあるのか?

 それとも……私が怖くて、手が震えたか?」


 両腕を広げ、声を張り上げて、ユランサスは笑った。


「当てられるものなら、当ててみろ!

 神は、我が身を守りたもう!

 女にへつらう腰抜けどもに、この私が殺せるものか!

 ははははっ! ははははははっ!」


 空に、高笑いを響かせる。

 心は、かつてなく晴れやかだ。

 怒号を浴び、無数の敵の矢に晒されながら、ユランサスは、シグが無事に生き延びることを、ただ静かに神に祈った。


■次話:『ただいま』

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