カスラージュ決戦
ペルン王国。
王自ら兵を率いて、カスラージュへ急行。
カスラージュ王国。
自国の兵と命運を、光輪騎士団に託す。
レノワ王国。
引きこもりで有名なこの山国さえ、兵を派遣。
もはや後がない北部三国は、打倒聖炎軍のためにようやく団結し、連合軍を形成した。
クレグ陥落の報を受けてから、聖炎軍がカスラージュの国境を跨ぎ越えるまで、ほんの僅かな日数しかなかった。
しかし、なんとか聖炎軍と同数の三万人を結集させることができた。
決戦場の名は、国名と同じ、カスラージュ平原。
時は、聖輪暦一〇九七年八月十五日。
両軍は、南北に布陣して睨み合った。
これが世に言う、『カスラージュの戦い』である。
男は、布陣を整える両軍の動きを、馬上で静かに眺めた。
アソディオ・ロスロルド・デ・ペルン。
インバレラ帝国皇帝にして、ペルン王国国王。
この地のすべてのインバル人の命運を背負う男だ。
その表情は、静かに凪いでいた。
彼は、己の敗死を覚悟していた。
集まった兵は、「わずか同数」なのだ。
サルム平野で、聖炎軍は、二万の数の不利を覆して圧勝している。
クレグは小国ながら善戦したが、それは堅固な城塞都市で籠城戦術を取ったからだし、その結末は聞いてのとおりだ。
ここで負けたら、インバレラ帝国は終わりだ。
アソディオは、最も信頼を置いている、自国の老将軍を呼び寄せた。
そして、彼にだけ聞こえる声で、ささやいた。
「余が討たれたら、迷うことはない。
即座に降伏せよ。
インバレラは斃れても、インバル人は生きる」
将軍は、くわっと目を見開いた。
しかし、濃い髭に覆われた口が、異議を申し立てることはなかった。
彼は、主君の覚悟を理解していた。
皇帝は、たとえ死しても、役目がある。
その首で、購うべきものがある。
今回の場合、それは同族人たちの命だ。
それだけは、何としてでも、守らねばならない。
そのためには、己のみならず、妻や子の首まで敵に捧げる覚悟であった。
彼は、一人の女の夫、一人の子の父ではない。
インバル人の父なのだから。
老将軍は、苦しげな声で、「御意」と答えた。そして、寂しそうに、こうつぶやいた。
「……この状況。
どうしても、サルム平野が思い出されますな」
「そうか。そなたは、あの場にいたな。
せっかく生きて帰ってくれたのに、その後は、責任問題でわずらわせてしまい、すまなかった」
「なんの。わしが負けたのが悪いのです。
たくさんの若者たちを、死なせてしまいました」
老将軍は、遠い目をした。
「今は亡き、レバーリャの国王……。
ラヌス陛下は、立派な方でした。
城で待つ奥方様を、それは心配しておいででした」
「素晴らしい男だったのだな」
「はい。最期まで、勇敢でした」
「そうか。
……それに比べて、余は、ひどい男だ」
苦笑するアソディオの肩を、老将軍が、ぽん、と叩いた。
そして、二人は顔を上げ、運命をまっすぐに見据えた。
正午。
無情にも、戦いは始まった。
戦況は、まさにサルム平野の再現のように思われた。
互いの盾兵ががっぷりと組み合う。
その後背から、矢の応酬が交わされる。
マンスドゥスの駱駝騎兵らは、北部連合軍の側面を叩くため、一気に回り込み、攻め寄せてきた。
ペルンの軍勢は、サルム平野を知っていた。
あの惨劇を、繰り返すわけにはいかない。
そのため、あらかじめ側面に盾兵を置き、長槍で敵の騎兵を退けた。
だが、カスラージュ国軍や、レノワ国軍は、そうではなかった。
戦列は乱れ始め、一方的な狩りが始まった。
アソディオは、ぎりりと歯ぎしりをした。
(あちらへ、応援を向かわせるべきか!?
しかし、我が軍の編成を崩し、共倒れするわけには……!)
混乱の中で、「諦めるな!」と、誰かの声が響きわたった。
女性の声だった。
高く澄んでいて、よく通り、両軍の雄叫びの中でも際立って聞こえた。
「正義のもとに戦うものを、女神は必ず救いたもう!
踏みとどまれっ!
味方を信じよっ!」
派手に振られる旗があった。
白地に金の光耀十字。
(光輪騎士団の、聖騎士か……)
声と旗に励まされ、周囲の味方に、わずかだが士気が蘇った。集団に統率が戻り、「おおっ!」と掛け声が交わされ始める。
(……悪くはない。味方の鼓舞は重要だ。
だが、『心』だけでは、焼け石に水だ。
何か、『勝機』を見出さねば……)
アソディオは、どうにかそれを見つけようと、せわしなく戦場を探った。
まさにその時だった。
「おお……! 光の女神よ!」
「我らも、ようやく目が醒めた!」
誰かが、応えるように、大声で叫んだ。
そして、信じがたいことが起こった。
最前列。敵方の、聖炎軍の盾兵たち。
その背後に、白い旗が上がった。
紋章は、黄金の光耀十字。
光耀教の女神を表す、その旗が。
「我らは、惑わされていた! 操られたのだ!」
「今こそ、真なる光の女神のもとへ!」
「聖騎士様に続け! 異教徒を倒せ!」
敵軍から、大量の矢が放たれた。
しかし、味方には当たらなかった。
聖炎軍から放たれた矢は、北部連合軍ではなく、マンスドゥスの騎兵隊の頭上に降り注いだ。
(……今だッ!)
アソディオは、目を見開いた。
そして、大音声で、味方に告げた。
「神の奇跡は示されたッ!
南部諸国は、我らの味方だッ!
誇り高きインバル人たちよ!
みな、今こそ奮い立て!
今や、数の利はこちらにある!
異教徒どもを打ち倒すのだ!」
北部連合軍の兵たちは、みな、一斉に奮い立った。
地を揺るがすような雄叫びがとどろいた。
自軍の兵を指揮しながら、アソディオも猛った。
もはや、これは「負け戦」ではない。
勝てる。
彼の目は、敵の本隊を睨んだ。
そして、真紅の旗のもとに立つ、敵の将軍と導師を見つけた。
アソディオは、剣の切っ先でそれを示し、叫んだ。
「あれを討ち取れッ!
インバル人を殺した将軍を!
民の心を惑わした邪教徒を!
敵の親玉の首を獲れッ!」
■次話:『地獄の撤退戦』




