人狼シグ
翌朝、まだ日も昇らぬうちから、ノーラはシグに揺り起こされた。
「ノラ、起きて」
「えっ……? ま、まだ暗いわよ……」
「ケイコの時間」
「ケイコ?」
「型稽古」
有無を言わさず庭まで引っ張りだされる。
シグは、ノーラを庭の隅に座らせると、自分は広い中央まで進み出て、腰の剣を抜いた。
そして、素振りを開始した。
(……ああ、剣の訓練のことね。でも、なにもこんな時間から始めなくたって……)
ノーラは、眠い目を擦りながら、シグの素振りを眺め続けた。
彼の素振りは奇妙だ。
レバーリャの騎士たちがよくしていたように、上から下へ、右から左へ、単純に振り抜くだけではない。
踊るような足さばきで、いくつもの軌跡がなめらかに繋がる。
ノーラは、最初は興味深く眺めたが、同じ素振りが百回、二百回と繰り返されるうちに、さすがに眠気のほうが勝ってきた。
(これ、私が見ている必要があるのかしら……)
シグの型稽古は、日の出まで続いた。
他の人々も目覚めて動き出した頃、シグは街の食堂に向かった。
食事が出てくるなり、シグは懐から二本の棒を出して、パンに突き立てた。
思わず大声が出た。
「た、食べ物で遊んではいけません! パンに棒を刺さないで!」
「なんで」
「なんでじゃありません! 棒はしまって! パンは手でちぎるの!」
「……わかった」
シグは棒を片付け、パンを手でちぎって食べた。
ほっとひと息つくノーラの目の前で、今度はシグはスープの器を持ち上げて、口につけた。
ズズッと啜る音が響いた。
ノーラはまた大声を上げた。
「や、やめなさい! 犬や猫じゃないのよ! スープの器を持ち上げないで! 音を立てて啜らないで!」
「なんで」
「なんでもです!」
「わかった」
シグはスープの器を置いたが、そのまま固まった。
「どう食べるの」
「……まさか、スプーンを知らないの?」
シグは、手渡されたスプーンを、人差し指と親指でつまみ上げた。
「すーぷは、すーぷんで食べる……?」
「ス・プ・ー・ン、です!」
ノーラは、シグにスプーンを正しく持たせ、その使い方を叩き込んだ。
なんとか食べさせ終わる頃、ノーラのぶんのスープはすっかり冷めていた。
朝食が終わり、疲労困憊のノーラを連れて、シグは街中を散歩し始めた。
通りの向こうから、荷車を曳く男がやってきた。
ノーラは端に寄り、荷車のために道を空けた。
シグはまっすぐ歩き続けた。避ける素振りがない。
「シグ、前を見て!」
「見てる」
「なら、ちゃんと避けて!」
距離は、いよいよ詰まってくる。
荷車の男が叫ぶ。
「おい、危ねえぞ!」
シグは、ぶつかる寸前に、ひょいっと横に跳んでかわした。
荷車の男は、腰を抜かした。
青ざめるノーラに、シグは言った。
「避けた」
「……よ、避けたじゃないわよ! 危ないでしょ!」
「当たってない。危なくない」
「危なかったわよ!」
シグは、無言で首を傾げた。
騒ぎを見ていた通りの人々は「なんだ、あいつ」とざわついていた。
正午の鐘が街に響くと、シグはノーラの手を引っ張って、迷い無くどこかへ歩き出した。
「シグ、どこへ行くの?」
「お風呂」
「え?」
「お風呂入る」
連れて行かれたのは、街の公衆浴場だった。
シグは、「一緒に入る」と言って、更衣室へノーラの手を引いた。
ノーラは、全力で抵抗した。
「い、嫌よ、やめてちょうだい!」
「なんで」
「な、なんでって……男女で一緒に入るだなんて……」
ノーラは、逃げようと身を引いたが、シグの力は意外にも強い。
彼が傭兵なのだと思いだして、ノーラは急に怖くなった。
傭兵は、素行が悪いものだ。
「お、お願いだから、一人で行って」
「……ユラは、一緒にいなさいって言った」
「そんな!」
ノーラは、青くなった。
まさか、そんな「世話」までさせようと、あの導師は「女性」を募集していたのか。
震えるノーラに、シグは首を傾げるばかり。
騒ぐ二人へ、浴場の管理人が顔を出して、ぼそりと言った。
「今の時間は男だけだよ。女は夕方」
「え」
ノーラは、周りの人々を見た。
入っていくのは、男性だけだ。
公衆浴場の入り口の壁には、「男:昼と夜、女:朝と夕」と、時間帯ごとの区分がしっかり書いてある。
管理人は、白けた顔で引っ込んだ。
ノーラは、恥ずかしくて真っ赤になった。
シグだけが、無表情で首を傾げていた。
ノーラは、何度も振り返るシグの背を押して、どうにか一人で風呂に行かせた。
彼は、次の鐘が鳴る時刻まで、長々と風呂に入った。
(溺れたんじゃないでしょうね)と、ノーラは外でやきもきしたが、シグは全身からほかほかと湯気を上げながら、平然と出てきた。
それから、街で昼食をとった。
シグはまた妙な棒を出した。
ノーラはフォークの使い方を教えた。
食堂からの帰り道、シグは急に道から外れて、いくつもの裏道を通った。
スカートの裾を引っ掛けながら、ノーラは必死についていった。
到着したのは、日当たりの良い空き地だった。
シグは、木陰で昼寝を始めた。
ノーラは疲れてへたり込んだ。
街へ夕食をとりに行った。
シグは、今度は麺を啜った。
ノーラは、再びフォークを教えた。
一日が終わり、軍に与えられた居宅に帰った。
寝台の前で、「一緒に寝る」と言うシグを、「一緒に寝ません!」と叱りつけて、ノーラは自分の寝台にくたくたになって潜り込んだ。
(炊事係だった時とは、まったく別の疲れだわ……)
ノーラは、夢も見ずに眠った。
そして、翌日未明、またシグに叩き起こされた。
そんな生活が、何日も続いた。
この日も、ノーラは薄暗い中、ほとんど白目になりながら、シグの稽古を見学させられていた。
ただ、これでもシグはまだ「性質が良い」ほうなのだ。
彼との生活で何より苦痛なのは、彼に絡んでくる他の傭兵たちの存在だった。
■次話:『傭兵たち』




