神の怒り
※残酷な描写あり
エルザらがカスラージュへ帰った、その日の晩。
見張りのクレグ兵は、奇妙なものを目撃した。
「あれ……あの影、いったい……。
……まさか、動いてるのか?」
兵士は、瓦礫をまたぎつつ、おそるおそる歩いた。
この見張り塔は、助勢に来た聖騎士たちが城外に出て交戦した折、胸壁を崩されてしまって以降、見晴らしが良くない。
欠けた壁際までなんとかにじり歩き、兵士は、気をつけて外を覗いた。
そして、ヒュッと息を呑んだ。
ゴロゴロと鳴る、低い音。
キリキリと軋む、縄の音。
ゆっくりと形を変える、巨大な影。
兵士は、大慌てで喇叭を吹き、叫んだ。
「しゅ、襲撃だあっ! 夜襲だぞっ!
投石攻撃が来るぞおっ!」
それは、大型の投石機だった。
聖炎軍が、陣屋の後方で製作していた、攻城兵器だ。
完成したのだ。
夜闇にまぎれて、前進させてきたのだ。
急報に叩き起こされたクレグの兵士たちが、ばたばたと城壁に登った。
「壊せ! 壊すんだっ! 急げ!」
弓や弩が、ありったけ放たれた。
しかし、当たらない。
夜だからだ。狙いがうまく定まらない。
そうこうしているうちに、投石機の支度が整った。
木製の長大な腕が、ぶうん、と唸って、跳ね上がる。
その腕から、何かが放たれた。
それは、クレグの誇る城壁を飛び越えて、街の中に着弾した。
夜闇に、赤い点が灯った。
誰かが悲鳴を上げた。
「火だ! 火をつけられた!」
そんな莫迦な、と、誰もが思った。
彼らを束ねる総督は、常々こう言い、皆を励ましていたのだ。
『聖炎軍の連中は、イスオドスで、市民に寛容に振る舞った。
寛容っつうのは、まあ、おべっかだな。
ご機嫌取りに必死になったんだ。
なぜかってえと、市民に嫌われたくないからだ。
あいつらは、人が暮らす街を欲しがってる。
つまり、兵は殺すが、民は殺さない。
……っつうわけで、このクレグでも、戦って死ぬのは俺たち穀潰しの男どもだけだ。
女房、子どもは、心配いらねえ。
な、だから、全力で踏ん張ろうや!』
城壁の兵たちは、呆然と市街地を見下ろした。
炎は、ろくに狙いも定めずに、手当たり次第に投げ込まれる。
街が、紅蓮に染まっていく。
兵士の一人が、取り乱して叫んだ。
「おいッ! どうしてだよッ!
聖炎軍は、民は殺さないんじゃなかったのかよッ!
死ぬのは、俺らじゃなかったのかよッ!」
「お、落ち着け……」
「落ち着いていられるかッ!
俺の息子が、まだ街にいるんだッ!
『お父さんと一緒にいる』って、避難を断って!」
泣きながら叫ぶその父親を、隣の兵士が揺さぶった。
「冷静になれっ! できることは、一つだ!
あの投石機を壊すんだ!
炎は、他の連中が消し止める! 俺らは、ここで戦うんだ!」
息子を持つ兵士は、何度も肩を叩かれて、がくがくとうなずいた。
「……そ、そうだな。そうだ。やるしかねえ。
……やってやるッ!」
「よし、その意気だ!」
兵士たちは、再び気力を取り戻した。
そんな彼らの頭上に、影が落ちた。
そして、炎が包み込んだ。
総督は飛び起き、兵を引き連れて市街地へ急行していた。
彼は、大声で怒鳴った。
「消し止めろッ! 井戸水を使えッ!
住民を叩き起こして、街の北側に移動させろッ!
家を壊すんだ! 延焼を防げッ!」
兵士たちは、機敏に動いた。
ここは、彼らの街だ。眠っているのは、彼らの家族なのだ。
すぐ近くに、また火が降ってきた。
ボンッと爆ぜる音。何かが割れる音。
「火壺だな……! 厄介なもん使いやがって!
おい、こっちにも水持ってこい!」
兵士たちは、井戸から水を汲み、次々と他の兵に手渡した。回ってきたそれを受け取った総督は、「おらよっ!」と炎に水をぶちまけた。
火は、消えなかった。
ごうっとうなりを上げ、勢いを増して燃え盛った。
総督は、桶を抱えたまま、絶句した。
「な……なんだと……?
なんで、火が水で消えねえんだよ……!」
後方でそれを見ていた兵士たちも、愕然とした。その瞬間にも、火の手はますます拡がっていく。
他の現場でも、消せずにいるようだ。
総督は、ぎりりと歯ぎしりし、決断した。
「おい!」と側近を呼びつける。
「……馬を集めろ。街の北だ。
逃げてきた市民を、来た順に乗せて、街の外に逃がせ。自分で走れるやつは走らせろ。
……クレグは終わりだ。後は、何人生かせるかだ」
「ぐっ……、承知しました。
総督は?」
「決まってんだろ。俺は最後だ。……行け!」
「……はいっ!」
駆けゆく側近の背を見送り、総督は兵士たちに告げた。
「穀潰しども! 最後の仕事だ!
全部の家を回って、住民を叩き起こせ!
北だ! 北に逃がせ!
女房、子どもと、てめえらの両親を逃がせッ!」
兵たちは、「はっ!」と敬礼し、三々五々に駆けていった。
総督も、片っ端から家々を巡り、羊を追い立てるようにして、人々を走らせた。
泣き叫びながら逃げ惑う人々の列に、頭上から炎の影が迫る。
その一つが、立ちすくむ婦人の間近に迫った。
総督は、思わず飛び出した。
「危ねえッ!」
婦人をその場から突き飛ばす。
総督の真横で、火壺がボンッと弾けた。
砕けた壺の破片が刺さる。そして、真っ黒な液体が、総督の背中に掛かった。
激烈な痛みが背を焼いた。
「ぐっ、あああアッ! アアアアッ!!」
「い、いやっ、総督様……っ!」
「ぐウッ……。
に、逃げろ……ッ! 立って走れ、早くッ!」
「は、は、はいっ……!」
なんとか助けた婦人の足音を聞きながら、総督は、すでに正気ではなかった。
背中に、灼熱がべったりと張り付いている。苦痛の牙をたて、肉を、命をむさぼっている。
(これが、炎の、神の……。
ちく、しょう、こんな……)
総督の最期の声は、言葉ではなかった。
彼の喉は、もう叫ぶことしかできなかったから。
その炎は、『重火炎』といった。
硫黄やナフサを燃料とするその炎は、水を掛けても消えず、却って勢いを増し、水上を燃え拡がることから、『神の怒り』とも渾名される。
聖炎教が用いる神具の一つであった。
同じ頃、城壁を挟んだ反対側でも、愕然としている男がいた。
「……火? 莫迦な、火だと!?
まさか、重火炎かッ!?
ふざけるな、誰が許可したッ!?」
叫んだのは、ガーズィムだった。
聖炎軍の総司令官。
彼にとっても、夜闇を赤く染める炎は、驚愕すべき事態であった。
大型投石機を作らせたのは、ガーズィムだ。
夜の闇にまぎれて前進させたのも、ガーズィムだ。
だが、今夜撃てとは、命じていない。
ましてや、重火炎壺を載せろ、などとは。
(俺は、城門や見張り塔を、投石で破壊する予定だった。
明日の朝から始めさせようと……。
誰だ、俺の命令に背いて、こんな真似をしでかしたのは!?)
ガーズィムは、現場に飛び出した。木製の腕を唸らせながら、次々と死の炎を投じ続ける投石機の足元へ向かった。
そして、今まさに発射杭を抜こうとしている人影に怒鳴った。
「中止しろッ!」
その兵は、一瞬びくりと肩をはねさせた。
しかし、ただちに別の怒声が響いた。
「何をしている、撃てッ!」
兵は、おびえたようにうなずき、杭を抜いた。
次の瞬間、巨大な木の腕が跳ね上がった。風を切り、うなりをあげて……火を放った。
ガーズィムは、言葉を失って、立ち尽くした。
(なぜだ。なぜ、お前が。
……ユランサスッ!!)
投石機の足元。
夜闇に浮かぶ、真紅の旗。
ユランサスが、狂ったように笑っていた。
「ふはははは! あはははははッ!
すべてだ、すべて撃ち込めッ!
我が神は炎!
我が神は夜!
我が神は死!
我が神は報い!
根絶やしだ! 卑しき女神に侍る愚民を、一人残らず焼き尽くせ!」
導師ユランサスの指示のもと、投石機は、夜闇を裂いて、死の火炎壺を投じ続けた。
ガーズィムは気づいた。
発射作業に従事しているのは、黒い鎧の正規兵ではない。
赤い肩掛けを身に着けた、聖炎教の神官たち。ユランサス直属の者たちだ。
裏で、ユランサスが動いていたのだ。
(いつからだ。なぜだ。ユランサス……)
夜空を、炎が焦がしている。
闇に、哄笑がこだましている。
解き放たれた神の怒りは、クレグのすべてを焼き滅ぼすまで、ついに燃え尽きることはなかった。
■次話:『主がそれを望んでおられる』




