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人狼シグはわからない  作者: たっこ
第四章:クレグ攻防戦
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耳あるものは聞け

 ノーラは、汗だくで息をしていた。

 もう何日も、へとへとだった。


 聖炎軍は、クレグ城塞を攻めている。

 何日も。

 シグとノーラは、その最前線にいた。


 当然のことだが、高く分厚い石の壁は、槍や弓矢では壊せない。

 聖炎軍は、(はし)()をかけたり、(やぐら)を組んだりすることで、壁を乗り越えようとする。

 当然、敵もそれを放置しない。梯子を押し戻して倒したり、櫓を建設する兵士たちに石や煮え湯を浴びせたりしてくる。

 聖炎軍は、盾を使い、次々と梯子を運んで、絶えず押し寄せ続ける。


 その攻勢を続けるためには、とんでもない量の材料が要るのだ。

 木材、石材、鉄に、縄。

 いくらあっても足りないほどだ。

 それを運ぶために、傭兵たちは駆り出された。


 シグは、とても優れた剣士だが、さすがにクレグの城塞を、槍や煮え湯をかわしながら突破することはできない。

 命がけで資材を運んだり、盾を押したりしていた。


 同じ現場で戦っている傭兵たちが、こう言っていた。


「ガーズィム将軍が作らせている専用の兵器が、もうじき完成するらしいぜ」


「ああ、聞いた。あと二、三日の辛抱だな」


「早くしてくれ。この門前地獄から、さっさとおさらばしたいもんだ」


 会話に参加する気はないが、ノーラもまったく同感だった。


「おい、そこの! 暇なら手伝え!

 盾が壊れた、一つ持ってこい!」


 どん、と肩をどつかれて、ノーラは思わずよろめいた。

 相手に悪意があってのことではない。ただ、誰にも余裕がないのだ。

 現に、通訳のノーラにまで、仕事を頼むくらいだ。


 ノーラは、後方へ走って、言われた盾を取りに行った。

 城壁の上から降ってくる投石や煮え湯を防ぐ盾は、最前線の兵たちにとって、命綱だ。表面に革が張ってあり、とても重たい。

 踏ん張ってみたが、とても持ち上がらない。


「ノラ。貸して。おれが運ぶ」


 シグだった。

 横からさっと手を出すと、ノーラが苦戦していた盾を、軽々と持ち上げた。


「あ、ありがとう、ごめんね、シグ。

 あなた、本当に力持ちね」


「うん。これ、前?」


「ええ、お願い……」


 言いさして、ふと、ノーラは気づいた。

 真横で並ぶと、よくわかる。

 シグの背丈が、伸びている。

 出会ったばかりの頃は、ノーラよりわずかに低かった。今では、もう追い越されそうだ。


(……この子、大きくなったわ。

 本当に、大きくなったのね)


 視線に気づいて、シグが振り向いた。

 ノーラは、自然にほほえんだ。


「ありがとう、シグ。頼りになるわ」


 シグは立ち止まり、ちょっと目を開いた。

 そして、何か言いたげに、口を動かした。


 そんな中、突然、大音声が響いた。


「……聞くがよいッ!

 心悪しき異国の兵士たちよッ!

 我が旗を見よ! そして、我が言葉を聞け!」


 城壁の上に、真っ白な旗がひらめいた。

 その旗を持っているのは、白銀の鎧を着た騎士だ。

 長い金髪が風に揺れている。

 女性の騎士だ。


 聖炎軍の兵たちは、「何だ、あれは」と、それを見上げた。傭兵たちも、つかの間、手を止めた。


 盾を運んで戻ってきたシグが、ノーラのそばにすばやく寄ってきた。


「ノラ。あの人、何て言ってる。

 おれに教えて」


「わかったわ」


 ノーラは、女騎士が用いる難解なインバル語を、シグにわかるように訳しながら、自分もその演説に耳を傾けた。


 女性は、光輪騎士団の聖騎士エルザと名乗った。


「偽りの教えに惑う者たちよ!

 そなたらが崇める炎の男神の灯火など、水の一滴、吐息ひとつでかき消える、頼りない火種にすぎぬ!」


 聖炎軍の陣に、ざわりと怒気が走った。


「母なる光の女神の御前にあっては、そなたらの戴く炎など、存在せぬも同然!

 それでもなお吠え立てるのは、女神の威光を妬む、駄々っ子の叫びに等しい!」


 ノーラは、淡々と訳す。

 シグは、じっと聞いている。


「正々堂々と努力すれば、女神は誰にでも栄光を授ける!

 だがそなたらは、怠惰と嫉妬に溺れ、汚い手段で他者から奪おうとする卑怯者!

 恥を知れ、狂える炎の(ともがら)どもよ!」


 聖炎軍の兵たちが、マンスドゥス語で一斉に怒鳴り返し始めた。


「そして……聞け、南部の裏切り者たちよ!

 そなたらの罪は重い。だが、女神は慈悲深い。

 悔い改める者には、必ず赦しを与えられるだろう!」


 南部諸国の兵たちは、揃って顔を見合わせ、声をひそめてささやき始めた。

 エルザは旗を高く掲げた。


「いまこそ目を覚ませ!

 偽りの炎による狂気から逃れ、真なる光の理性のもとへ立ち返るのだ!

 女神は、そなたらを待っておられる!」


 旗が、これみよがしに大きく振られた。

 白地に金。

 女神を表す光耀十字に、黄金の真円。

 信仰を守護する騎士団の旗だ。


 シグは、静かにつぶやいた。


「ユラは、光の女神さまが悪者で、炎の男神さまが正しいって言ってた。

 あの女の人は、光の女神さまが正しくて、炎の男神さまが悪者だって言った。

 二人は反対のことを言ってる。

 どうして、ノラ?」


 ノーラは、悩みながら、こう答えた。


「人には、それぞれ、違った立場があるわ。

 立場が違うと、物事の見え方が変わるの。

 相手にとっての『善いこと』が、自分にとっての『悪いこと』になってしまうことがある。

 ……だから、自分で決めないといけないのよ。

 二人のどちらが正しいのか、私には教えられない。

 シグ。あなたの信じる正しさは、あなたが決めて」


「……わからない、けど、わかった。

 おれ、考える。おれが決めるために」





 同じ頃、エルザの演説を聞いていたユランサスは、激怒していた。


 彼の母親は、光耀教の司祭に搾取された。

 『正々堂々とした努力』とやらは、ユランサスたちを救わなかった。


 あの女。聖騎士エルザ。

 いかにも恵まれた育ちの、美しいインバル人。


(知ったような口を聞くな、雌豚がッ!)


 忌まわしい過去が、あぶくのように脳裏に蘇る。

 狂気があふれ、理性の仮面を激しく揺らす。

 ユランサスは、ぶるぶる震える腕を、がしっと掴んで押さえた。


(……落ち着け、落ち着け、落ち着け!

 私は、もう無力な子どもではない!

 聖炎教の導師だぞ!

 卑しい豚のわめき声などに、惑わされるな!)


 そうとも、今やるべきことは、うろたえることではない。

 自軍の兵の反応を見ろ。

 心弱き者がいれば、諌め、なだめろ。

 真なる神を思い出させて、奮い立たせるのだ。


 ユランサスは、すばやく視線を巡らせた。


 最も近いのは、ガーズィムの周囲に控える側近たちだ。

 彼らは、怒号を上げる兵たちとは対照的に、冷静そのものだ。


「挑発に乗るな! 陣形を崩すな!」


「指示無く前進してはならぬ!」


 軍人らしい短い指示が飛び交い、混乱を最小限に抑えようとしている。

 問題はない。当然だ。


 次に、マンスドゥスの正規兵たち。

 通訳たちが叫ぶたび、彼らは顔を真っ赤にして、城壁に罵声を浴びせた。


「炎の神を侮辱したぞ!」


「撃ち落とせ! あの女を黙らせろ!」


 怒りは強いが、信仰心ゆえの反応だ。

 暴走しそうではあるが、まだ制御できる範囲だ。


 問題は、南部の兵士たちだ。

 彼らは互いに顔を寄せ、ひそひそとささやき合っている。


「……赦される、だと?」


「いや、罠だ。光耀教の口車だ」


「でも……女神は慈悲深い、と……」


 胸の奥がざわりと騒いだ。

 しかし、ユランサスの視線に気づくと、彼らはすぐにうつむいて、それ以上城壁を見上げようとはしなかった。


 問題ない。

 あとは、門前の傭兵たちは……


 ユランサスは、固まった。


 シグがいた。

 シグは、ノーラに通訳させながら、エルザの演説を聞いていた。

 真剣な顔で。

 何度もノーラに確かめながら。


 ユランサスの息が震えた。


「……聞くな、シグ」


 シグが奪われる。

 ユランサスのための天使が。

 偽りの神を仰ぐ、インバル人の女に。


 怒りと恐れが、ユランサスを支配した。

 彼の中で、何かが音を立てて切れた。


「……『(じゅう)()(えん)(つぼ)』を用意しろ」


「はい……?」


 そのどす黒い声を聞いて、隣にいた部下は、それが誰の声なのかを、とっさに判別できなかった。

 ユランサスは、その部下をにらみつけ、がなった。両目は赤く血走っていた。


「聞こえないのか!

 重火炎壺だ! 早くしろ!」


「あっ、は、はい、ただちに……!」


 部下は、逃げるように駆けていった。

 一人になった空間で、ユランサスは、地を這うような低い声で、静かにつぶやいた。

 城壁の上に今もひるがえる、純白の旗をにらみつけて。


「売女が。後悔させてやる。

 『炎は、簡単に消える』だと?

 いいだろう。

 まことの神威を示してくれる。

 水でも消えぬ神の炎で、女神の欺瞞を焼き尽くす……!」


■次話:『帰還命令』

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