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人狼シグはわからない  作者: たっこ
第四章:クレグ攻防戦
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歩み寄る二人

「ノラ、見て。蝶が飛んでる」


 シグが指すので、ノーラはそちらに目を向けた。確かに、ひらひらと蝶が舞っている。

 ノーラはほほえんで答えた。


「本当ね。羽が灰色だわ。シグにそっくり」


「おれ、蝶なの?」


「似てるわよ。シグが剣のお稽古するとき、くるくる回るでしょう。そっくりよ」


 シグは、じっと蝶を観察した。それから、ぼそりとつぶやいた。


「そうでもない……」


 口調がやけに重々しくて、ノーラはつい吹き出した。

 街は、朝日に温もって、活気にざわめきつつあった。





 ノーラは、引き続きシグの世話係を務めていた。


 夫と子を失わせた聖炎軍への憎しみは残っている。

 だが、復讐心は消えていた。

 自分に復讐を果たすだけの力が無いことを思い知ったし、何より、シグを利用してしまったことへの罪悪感が強かった。


 ノーラは、シグが哀れでならない。


 二人が和解したあの日から、ノーラはシグの生い立ちについて、何日もかけて聞き出した。

 彼は奴隷ではなかった。

 ヒノワ国の騎士階級の末裔だった。

 そして、虐待を受けていた。

 だから見た目よりも幼く、物事を考える力が未発達なのだ。


 シグは、善悪の判断がつかない。

 人を殺すことを、悪いことだと教えられていない。

 それをユランサスに利用されている。

 野蛮ではなく、無知なのだ。


 このままでは、シグはろくな目に遭わない。

 ノーラは、シグが人の心を理解できるようにしてあげたかった。きちんと自分の足で立って、歩けるようにしてあげたかった。





 最近、シグは他人に逆らう。

 「他人の言いなりにならないで」という、ノーラの教えに取り組んでいる。

 傍から見れば、反抗期の子どものようだ。


 この日も、シグは「自分で決める」を試した。


 道端を、イスオドス人の老婆がよろよろと歩いていた。重そうな荷物を抱えている。


 ノーラは、「重そうね」とつぶやいた。

 シグは、その声に反応し、老婆を見た。


「……重いのは、悪いこと?」


「どうかしら。おばあさんに聞いてご覧」


「うん。おばあさんに聞いてみる」


 シグは、老婆に駆け寄って、たどたどしいインバル語で話しかけた。

 老婆は、目を丸くしていた。

 ノーラは、それを黙って見ていた。


(……ずいぶん話せるようになったわ。

 『りんご』ばかりだったのが、嘘みたい)


 シグは、最終的に「おばあさんは重い。おれは重くない。おれが運ぶ?」と申し出た。

 老婆は、気兼ねして縮こまった。


「いいえ、そんな、兵士さんに運んでいただくなんて」


 こうした遠慮の表現は、まだ難しかったらしい。シグは、振り返ってノーラを見た。

 ノーラは、シグに教えてあげた。


「おばあさんは、自分で運ぶと言っているわ」


 シグは、じっと考えた。


「……でも、『()()み』は良くない。

 おばあさんの言うこと、違うかもしれない。

 おれは自分で決める。……から、おれが運ぶ」


 シグは、老婆の重い荷物を軽々と持ち上げた。

 老婆は、「あわわ」と目を丸くした。


「これ、どこに運ぶの?」


「あのう、そのう、なら、私の家まで……」


 シグは、老婆に案内されて、彼女の家まで運んであげた。

 老婆は、ぺこぺこ頭を下げて、シグに感謝した。

 二人になってから、シグはかすかに笑った。


「おばあさんの言う通りにしなくて、合ってた。

 おれが自分で決めてよかった」


 ノーラも、「そうね」とほほえんだ。

 最近の彼は、笑顔が出てきた。


 そこへ、大通りの真ん中を、一台の馬車が駆け抜けた。

 やけに速度を出している。人々は、あわてて道の端に寄った。


 御者は、黒い鎧を着ていた。

 褐色肌。マンスドゥス兵だ。


 ノーラは、ついシグの袖を握った。


(……近頃、聖炎軍の兵たちは、ぴりぴりしている。

 そう遠くないうちに、また戦が始まる)


 愛想が良かった兵たちの笑顔が抜けてきた。

 市内の巡回の人数が増えた。


 気のせいなら、いい。

 でも、きっと気のせいではない。

 彼らは、決してインバル人たちと仲良くしに来たのではない。ラヌスを殺した聖炎軍は、ここで次の支度をしていただけだ。


「……シグ。しばらく、気をつけて過ごしましょうね」


 シグは「うん」と軽くうなずいた。そして、ノーラの手を袖からほどき、代わりに手を繋いでくれた。

 ノーラの胸に、温かいものと、冷たい不安が広がった。


(彼はこれまで、いつでも誰かの言いなりだった。だから迷わなかった。

 でも、今は自立しようとしている。たくさん迷っている。

 ……これから、再び戦場に出たとき、その迷いがシグを(おびや)かすかも知れない。

 私のしていることは、本当に正しいの……?

 戦士としてのシグの強さを、私は奪っているのかもしれない……)


 ノーラの足取りは、徐々に重くなった。

 シグは、遅いノーラを引っぱって急かしたりはせず、黙って自分も歩みを緩めた。

 その優しさが、ぐるぐる巡るノーラの思いを、ますます強めた。





 そんなノーラとシグに、召喚命令が届いた。

 相手は、聖炎教の導師、ユランサス。

 あの、憎らしい、狡猾な男だ。


「いらっしゃい。どうぞ楽にしてください」


 ユランサスの笑みは、いかにも優しげだ。声音も、甘く穏やかに響く。


 しかし、ノーラは奥歯をぎゅっと噛み、警戒しながら席についた。

 この男の本性を見抜けず、油断してきたことが悔やまれる。


「ノーラ。体調はもうよろしいのですか?」


「……はい。おかげさまで」


「それは良かった。『聖炎の儀』が成功したのは、あなたの尽力あってこそ。寝込んでいたと聞き、私も心配していたのですよ」


(……どの口で……!)


 ノーラは、苦労して怒りを鎮め、「ありがとうございます」と声を絞り出した。

 この男は、敵だ。

 だけど、勝てない。

 今は、こうして耐え忍ぶしかない。


 ノーラをなぶって満足したのか、ユランサスはシグにほほえみかけた。


「シグも、よく来てくれました。あなたにお土産を持ってきましたよ」


 渡された小箱のふたを開けて、シグはつぶやく。


「お菓子だ」


「そうです。好きでしたよね?」


「うん、好き。ありがとう、ユラ。

 ノラにもあげる。一緒に食べよう」


「まあ、ありがとう、シグ。後でいただくわ」


「じゃあ、おれも『後でいただく』」


 シグは、いそいそと箱をしまいこんだ。

 ノーラは、さり気なくユランサスの様子を窺った。


 背筋が、ぞくりと震えた。

 ユランサスの表情は、抜け落ちていた。

 まばたきひとつせず、ノーラを見ていた。


(……この男、やっぱりシグに執着している。

 シグを完全に支配して、道具にしようとしている)


 シグの視線が向くと、ユランサスに笑顔が戻った。不気味なほどの変わり身だった。


 ユランサスは、本題に入った。


「……さて、こうしてお呼びしたのは、大事な連絡をするためです。二人とも、よく聞いてください」


 ノーラは、心を落ち着け、姿勢を正した。

 しかし、続くユランサスの発言には、思わず顔をこわばらせた。


「二日後、我々聖炎軍の本隊は、このイスオドスを出立し、次の場所へと向かいます。

 目標は、城塞都市国家クレグ。

 北へと続く関所の国です。

 素直に門を開けてくれれば楽なのですが……まあ、そうもいかないでしょう。戦いになることを覚悟してください」


「……覚悟、というのは」


「もちろん、シグにも参加してもらうからですよ。

 ノーラ、通訳のあなたもね」


 ノーラは、目を見開き、息を呑んだ。


(やっぱり、戦は迫っていた。

 でも、こんなに急だなんて……!)


 ユランサスは、シグににこりと笑いかけた。


「シグ。あなたの活躍、また期待していますよ。

 私たちを襲ってくる敵を、たくさん倒してくださいね」


「うん? うん、わかった。

 戦って、勝って、ユラのご飯をもらう」


「そうです。頼りにしていますよ」


 では、と言って部屋から出ていくユランサスの背をにらみつけて、ノーラは、拳をぎゅっと握った。

 そして、心の中で決意した。


(シグは……あなたの操り人形じゃない。

 れっきとした、ひとりの人間よ。

 ……守らなきゃ。芽生え始めた、シグの心を。

 敵からも、導師からも……私の手で!)


■次話:『女聖騎士エルザ』

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