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人狼シグはわからない  作者: たっこ
第一章:ノーラ
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役立たず

 ネロエーシャは、民にまぎれて、聖炎軍の動向を観察した。


 彼らは、イスオドスの王都に根を下ろした。そして、軍団の下働きの労働者を募集し始めた。

 ネロエーシャは、ノーラという偽名を使って、応募者の列に紛れ込んだ。


 彼女に割り当てられたのは、炊事の仕事だった。

 しかし、王族としての生活しか知らないノーラは、下女としては役立たずだった。


 包丁が怖くて、食材を切れない。

 手が汚れる仕事を、思わずためらう。

 料理の経験が無いせいで、何事も手際が悪い。


 一日じゅう身を粉にして働くこと自体が初めてで、年かさの他の女たちからは、「若いのに怠け者だ」となじられた。

 何度も、何度も頭を下げた。

 くたくたになるまで働いて、疲れ果てて眠りに就くだけで、ノーラの時間は使い果たされた。


 この日もまた、ノーラはあちこちで邪魔にされて、「あんたは、これでも捨ててきな!」と、調理場から追い払われた。

 押し付けられたのは、野菜くずだ。これは、家畜の餌にする決まりだ。

 ノーラは、みじめさからうつむいて、くずかごを手に、厩舎へと向かった。


 厩舎には、黒い鎧の兵たちがいた。

 聖炎軍の主戦力。南の海の向こうにある砂漠の国、『マンスドゥス王国』の正規兵だ。

 騎兵の彼らが世話しているのは、馬ではなく、見知らぬ動物だった。


 とても背が高い。

 たてがみはない。

 顔つきは、馬に似ておらず、どこか歪んでいる。

 何より気味が悪いのは、山のように盛り上がった、背中に並ぶ二つのコブだ。


 それは「(らく)()」と呼ばれていた。

 このインバレラ帝国にはいない動物だ。


 もごもごと絶えず口を動かす、薄気味の悪いその騎獣に、ノーラは怖がって二の足を踏んだ。

 道行く荷馬も、厩舎の前では立ちすくみ、そばには近寄りたがらない。

 駱駝の体臭は、馬を怯えさせるようだ。

 ノーラは、くずかごを兵に渡すと、足早にその厩舎を去った。


 とぼとぼと歩いて調理場へ戻る。

 その道中で、ノーラと同じインバル人の親子連れが、褐色肌のマンスドゥス兵に、笑顔で挨拶をしていた。

 ノーラの胸が、きりりと痛んだ。


(街を占領する軍団の兵に、どうして市民は好意的なの?

 どうして……彼らは、ラヌスを殺したのよ?)


 調理場に帰ると、現場を取り仕切る老女が「遅い!」とノーラを人前で怒鳴った。

 女たちは、ばかにして鼻を鳴らしたり、くすくすと笑いあったりした。

 ノーラは「すみません」と謝って、大鍋の前に駆け寄った。

 この料理も、敵兵の腹を満たすのだ。そう思うと、さらに手がにぶって、ますます老女に叱られた。


 疲れと悲しみが、ノーラの気力を奪っていった。





 復讐の算段を立てる暇も無いまま、何日も過ぎた。

 ある日、調理場にマンスドゥスの兵がやってきて、告げた。


「この中に、ススロ語を話せる女性はいないか。特別の仕事を依頼したい」


 通訳が、兵の言葉を、インバル語に直した。

 女たちは、顔を見合わせて「ススロ語だって?」と首を傾げた。


 ノーラだけが、目を見開いた。

 彼女は、かつてレバーリャの王妃で、その前はルブハクの王女だった。

 幼い頃から高度な教育を受けていたため、インバル語だけでなく、ススロ語やマンスドゥス語も巧みに話す。

 この時も、通訳が訳すよりも前から、兵の布告を理解した。


「あの……私、ススロ語がわかります」


 ノーラは手を挙げ、おずおずとインバル語で言った。

 通訳が、おっ、と顔を向けた。

 マンスドゥス兵が片眉を上げるのをみて、ノーラはさらに言い募った。マンスドゥス語で。


「このとおり、マンスドゥス語も話せますわ。そのお仕事、私がお受けいたします」


 兵は、笑顔で「助かる」と言った。

 炊事係の女たちは、無能なノーラが流暢な異国語を話すことに、目を剥いて驚き、ざわめいた。

 ノーラは胸を張った。ほんの少しだけ、良い気分だった。





 ノーラは、兵士に連れられて、軍の施設が多く集まる区画へと案内された。

 明るい小部屋に通されたノーラを、ひとりの青年が笑顔で出迎えた。


 蜂蜜色の波打つ髪。ぶどう酒色の優しげな瞳。

 肌の色は兵たちと同じ褐色だが、鎧ではなく優雅な衣をまとい、武器ではなく杖を手にしていた。


 青年は、ノーラにほほえんだ。そして、見事なインバル語で言った。


「ご足労いただきありがとうございます。私の名前はユランサス。『(せい)(えん)(きょう)』の導師です」


 ユランサスは、ノーラに椅子を勧めた。

 ススロ語話者が必要な仕事の依頼者は、このユランサスらしかった。彼は、事情を説明した。


「ある傭兵の、面倒を見てほしいのです。生まれが異国で、言葉が通じにくいので、他の傭兵と衝突しています。それを解決したいのです」


 どんな傭兵だろう、とノーラは想像を働かせた。

 遠い異国の、協調性のない傭兵。

 荒々しい大男や、冷酷な戦士を想像して、ノーラは今さら怖気づいた。


 部屋の扉が叩かれて、「お連れしました」と声がかかった。

 ユランサスは、「本人が来ましたよ」とノーラにささやいてから、扉の向こうで待つ兵士に「通してください」と返事をした。


 扉が開き、ひとつの影が、足音も無く入ってきた。

 ノーラは、ごくりと唾を飲んだ。


 初めに驚いたのは、(えっ、子ども……?)ということだった。

 入ってきたその傭兵は、ノーラとそれほど背丈の変わらない、ひとりの少年だった。


 灰色の狼の耳。ばさりと揺れる尾。

 見慣れぬ衣服に身を包み、腰には剣を帯びている。

 目つきは鋭く、表情にはほほえみの欠片すら無い。


 傭兵は、名乗りもしなかった。

 値踏みするように、ノーラの全身をじっと見た。

 ユランサスが、代わりにノーラに教えてくれた。


「彼の名前は、シグ、といいます。

 見ての通りの(じん)(ろう)(ぞく)。つまり『ヒノワ国』の出身です。

 ヒノワ語と、ススロ語しか話せません」


 ノーラは、身を固くして、うなずいた。

 人狼族。精強で獰猛な民族と、噂に聞く。

 彼の機嫌を損ねてはならない。

 ひりつく喉を唾でうるおし、うやうやしく腰をかがめて、ノーラはシグに向かって、丁重なススロ語で挨拶した。


「お初にお目にかかります、ノーラと申します。微力ながら、シグ様の御用に適うよう、身を尽くしてお仕えいたします」


 シグは、何も答えなかった。

 ただ、鋼色の瞳を、獣のようにすっと細めた。

 ノーラは、顔をこわばらせた。

 まさか、さっそく不興を買ってしまったのだろうか。でも、どうして?


 無言のシグと、おびえるノーラ。

 それを見かねたユランサスが、助け舟を出した。彼は、柔らかい声でシグに言った。


「シグ。今日はあなたに紹介したい人がいます。こちらのノーラさんです」


「のーら……」


「ノラ、のほうが呼びやすいですか?」


「ノラ?」


「そう、ノラさんです。あなたの新しいお手伝いさんですよ」


「……こんにちは、ノラ」


「挨拶できて、えらいですね。シグ、あなたは難しいお話は苦手ですよね?」


「うん」


「ノラは、頭の良い人です。これからはノラと一緒にいて、色々なことを教えてもらってくださいね」


「わかった」


 シグは、その場につっ立ったまま、こくりと小さくうなずいた。

 ユランサスは、ちょっと苦笑しながら、改めてノーラに言った。


「……彼のススロ語の習熟度がわかりましたね?

 それでは、これからこの子のことを、どうかよろしくお願いします」


 ノーラは、あっけにとられた。

 こんな話は、聞いていない。

 途方に暮れるノーラのことを、シグは、耳だけをぴこぴこ揺らして、無表情のまま見つめていた。


■次話:『人狼シグ』

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