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人狼シグはわからない  作者: たっこ
第三章:シグ
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時雨野真見征春

 時雨(しぐれ)()(さな)()(ゆき)(はる)は、人狼族の武人である。


 (かばね)は時雨野、(あざな)は真見、(いみな)は征春。

 歳は数えで十六だ。

 時雨(しぐれ)()()(えい)(りゅう)(かい)(でん)を受け、現在は『聖炎軍』の(しょっ)(かく)となっている。


 人狼族は、遠き東国『日輪国(ひのわのくに)』の民だ。

 時雨野家は、武勇を誇る名門だった。

 しかし、不名誉な事情で国を追われ、遥かインバレラ帝国が一角、ススロ王国へと落ち延びた。

 以来、御家再興の時に備え、時雨野は技と血だけは絶やさぬように努めてきた。


 と、(さな)()の祖父が言っていた。

 真見はよくわかっていない。

 彼が生まれた場所は、日輪国ではなく、ススロ王国だ。日輪国のことは、祖父の話の中でしか知らない。


 ぼうっとしながら、朝食の汁物を啜っていたら、それを見た()()がため息をついた。


「シグ、前にも言ったでしょう。スープを飲むときは、音を立てない。器を持ち上げない。ほら、スプーンを使って」


 また叱られてしまった。

 真見は、「わかった」とうなずいて、野良の言うとおりにした。このやり方は、とても食べにくい。


 「おいしい?」と野良が言うので、「おいしい」と答えたら、野良の眉尻がへなっと下がった。





 真見は、莫迦だとよく言われる。

 実際、真見は、他の人とは色々と違うようだった。





 真見の鋼色の両目は、他人とは違うらしい。


 常に焦点が合っていない。

 視界全体をぼんやりと眺め、変化をいち早く察知する。それでいて、目に映る人間や動物のすべてを精緻に捉えている。

 もしも彼らが自分を殺そうとしたとき、どのような動きで襲ってくるのか、あらゆる経路と力の加減を網羅的に予測している。


 今、この瞬間も、道端にいる肌の黒い兵士の筋肉の動きを、真見の瞳は映している。

 彼が槍を持ち上げてこちらへ投げてくる場合の、槍の穂先が通り得る軌跡をすべて予測している。


 けれども、人の表情を読み取って見分けるのは、とても苦手だ。


 食堂で、真見をじっと見ている女給がいた。

 怒っているのかと思って「ごめんなさい」と伝えたら、不思議そうに首を傾げていた。


「シグ。謝ってるけど、何かしたの?」


「ううん。……あの人、いつも怒ってる?」


「え? いいえ。いつも笑いかけてくれているわよ。彼女、あなたのことを『素直でかわいい子ですね』って褒めてたわ」


「野良、『素直でかわいい』って何」


「……あなたみたいな子のことよ」


 野良の説明は、いまいちよくわからない。





 真見の狼の両耳は、他人とは違うらしい。


 周囲の音を立体的に感じ取る。

 矢羽根の立てるかすかな風切り音を決して聞き逃さず、その矢が何秒後に届くのか、距離と速度を聞き分ける。

 ついさっき、ビィン、と鳴った弓弦の音が、この街の北の空き地の隅の木陰で鳴らされたことがわかる。


 けれども、人の声を聞いて感情を察するのは、とても苦手だ。


 今も、隣の傭兵たちが、わあわあ話し合っているけれど、よくわからない。

 よくわからないので黙っていた。

 「聞いてんのか!」と怒鳴られた。


「聞いてる」


 きちんと返事をしたのに、もっと大きな声が降ってきた。

 何を言っているかわからなくて、野良に意味を聞いてみた。


「『調子こいてんじゃねえぞ、ガキ』って、何」


「お、お願い、黙って!」


 なぜなのだろう。わからない。

 とにかく、野良の言うとおりにする。


 それからすぐにお風呂に行った。

 一刻後に真見が戻ると、野良は「あのね」と真見に言った。


「人の話を聞くときは、ちゃんとその人の方を見なさい。

 体を向けて、目を合わせるの」


「なんで」


「そうでないと、きちんと話を聞けないでしょ」


 聞こえるのに。

 真見は、首を傾げ、耳を伏せた。





 真見の静まり返った思考は、他人とは違うらしい。


 周囲のあらゆる形と音が、無限に記録され続ける。

 身の回りで動くものたちが、自分をどのように攻撃するか、無数の類型を演算している。

 自分がそれらをどう殺せるか、常に検討し更新している。


 けれども、言葉の指す意味を理解し、言葉で答えるのは、とても苦手だ。


 市場の店先で、野良は真見に言った。


「いい、シグ? これは『りんご』。言ってご覧」


「コレハリンゴ」


「そう。これはりんごよ。次に、これは『くるみ』」


「コレハクルミ……」


「そうよ。いい調子ね! シグ、あなたのインバル語の発音、とても上手よ」


 真見は黙った。

 『コレハ』……ではない。

 混乱する真見に、野良は尋ねた。


「さあ、シグ。言ってご覧。これは何?」


「コレハナニ……?」


「し、シグ、あなた、わかってないのね……」


 野良の眉が、ふにゃふにゃと曲がった。

 その野良の後ろで、果物屋の男が、大きな箱をどすんと積んだ。

 真見は、その音と形から、箱の重さを理解した。


 箱は、高く積まれている。

 この重さ。この位置。硬さ。

 野良は、遅くて、柔らかい。脆い。


 真見は、無言で野良の腕をとった。

 そして、ぐいぐい引っ張って、果物屋から距離を取った。


「ちょ、ちょっと、シグったら、お勉強は!?」


「……コレハリンゴ」


「ど、どれのこと!?」


 真見は、そのまま裏路地に入った。

 野良は、「もう、シグ……!」と、着いてきた。

 遠くから、野良がさっきまで立っていた位置に、重い箱が崩れる音を聞いた。





 真見は、いつも独りだった。

 彼は、他者がわからなかった。

 人々も、彼を理解しなかった。


 他人とふれ合うための力を、彼は持ち合わせていなかった。

 彼の感覚と能力は、戦闘のためだけに偏っていた。

 殺人のための兵器だった。


■次話:『小波』

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