計算違い
「では、その女が反乱分子に与したという確たる証拠は、得られなかったのだな」
夕暮れの薄暗い室内で、ガーズィムは静かに言った。
シグたちを招いた昼食会の、その日のうちに、ユランサスは彼を呼び出していた。
「お前がその傭兵から聞き出した情報のとおり、市街地の複数の場所で、隠された武器を押収した。証言に名前が挙がった者たちも捕縛し、現在は尋問中だ。
しかし、旗頭を逃がしたのは痛手だな。
指導者が無事では、奴らに再蜂起の希望を残してしまったことになる」
ユランサスは椅子にも座らず、いらいらと室内を歩き回った。かつかつといつまでも響き続ける足音が耳障りだ。
「……聞こえていなかったはずがない。しかし、過ぎてしまったことだ。後からでは確かめようがない……」
独り言のようにそれらを言うユランサスを見て、ガーズィムはため息をつく。
「座ったらどうだ。お前らしくもない」
ユランサスはぴたりと立ち止まった。
そして、がたんと大きな音を立てて椅子を引き、どさりと座った。
机に行儀悪く両肘を立てて、組み合わせた両手の指を落ち着き無く擦り合わせる。その音が、また室内に響いた。
「……捕らえた犬どもは、何か吐きましたか。あの王妃を潰せる材料は?」
「特には。軟弱な聖職者どもは、『レバーリャの王妃が我らを導いてくださる』などと言っていたが、その人相や使っている偽名については知らないようだ。
王妃は、組織内でも限られた幹部たちとしか、直接的な接触はしなかったらしい」
「忌々しい……!」
鋭い舌打ちが鳴った。
ガーズィムは、無言でユランサスを見た。
ユランサスは、落ち着こうとして、深く息をした。
「……決定打が無い。
この状況では、あの女がレバーリャ王妃であるとして、公に処分できない。確実な証拠が無い者を殺してしまっては、市民の反感を招く。
悪い印象は広まりやすい。これまでの工作が無駄になる……。
それに、シグのことも問題です。
シグは……あの女を気に入ってしまった。引き離せば、シグの心が離れてしまう。あれほどの精鋭を失うことは、聖炎軍にとっても大きな損失……」
見かねたガーズィムが、指摘した。
「あの傭兵にそこまでこだわる必要があるのか?」
ユランサスがぴたりと動きを止めた。
ガーズィムは、物分りの悪い生徒に言い含めるように、落ち着いた声でじっくりと語った。
「確かに腕は良いが、所詮は一兵士としてだ。
我らがマンスドゥスの軍では、個の武勇より、連携を重んじる。先のサルム平野でも、実際に勝敗を決めたのは騎兵だろう。
お前は何かとあの傭兵を気に掛けるが、そこまでの価値は……」
ガーズィムは言葉を途切れさせた。
ユランサスは、ガーズィムを見ていた。
まばたきひとつせず。
異様な雰囲気に気圧されるガーズィムに、ユランサスは遅れて笑った。
「……彼は、必要ですよ。将軍」
声は、半音低かった。
ガーズィムは、それ以上何も言わなかった。
ユランサスが指を擦り合わせる音だけが、再び部屋に響いた。
ガーズィムは、首の裏に嫌な汗を感じた。
(こいつは、こんな男だったか……?)
ユランサスとは、それなりに長い付き合いだ。
彼が本当は慈悲深い導師などではなく、計算高く冷酷な側面を隠し持っていることを、ガーズィムはとっくに知っていた。
だが、今の彼は、それとはさらに何かが違う。
(何をそんなに焦っている? 計算違いの一つや二つ、これまでも立て直してきただろう。
何が、いつもと違うというのだ……?)
ユランサスの脳内を、怒りと謀略が目まぐるしく駆け巡っていた。
「……価値。そうだ、価値だ。
王妃そのものに力があるわけではない。あの女に向けられる、犬どもの期待。それだけが王妃の価値なのだ。ようは、それさえ破壊すればいいのだ。
残党どもが、二度と立ち上がれぬように。あの王妃の持つ、象徴としての価値を、完全に失わせることさえできれば……」
ユランサスは、ふっと黙った。
そして、急に穏やかな声になって、ガーズィムににこりとほほえんだ。
「……将軍。ひとつ、良い手を思いつきましたよ」
■次話:『聖炎の儀』




