垂らした釣り針
ある日、ユランサスは部下から報告を受けた。
「亡命したはずのレバーリャ王妃が、この軍に紛れ込んでいるようです」
好都合だ、と、ユランサスはほほえんだ。
うまく使えば、ちょうど目先の困りごとを解決できる。
それというのも、反乱分子だ。
聖炎軍は、レバーリャを徹底的に弾圧し、しかし、イスオドスは慈悲によって治めた。
複数国の集まりであるインバレラ帝国内で、内部分裂を誘うためだ。
臆病者のイスオドス王は、素直にこの手にかかってくれて、従順な犬と化している。
だが、その子飼いの軍人・貴族は、まだ立場を理解していない。こちらの慈悲を甘さと見て、裏では牙を研いでいる。
ユランサスは、逆らう犬をまとめて処分したかった。
レバーリャ王妃。悪くない駒だ。
ちょうど、組み合わせて使える切り札が、彼の手元に一枚あった。
あれは、南部諸国に派兵を請われた聖炎軍が、インバレラ帝国に上陸してから、数日後。
南部の裏切り者国家どもを順に巡り、最初の決戦に備えて、各地の兵を糾合していた時期のことだ。
南部諸国のうちの一国、ススロ王国を征く途上で、山麓の小さな村に立ち寄り、糧食の供与を受けようとした。
村長は、困り果てたようすで、地にひれ伏してこう言った。
『大変申し訳ございませんが、この村には、提供できる食料がございません。
じつは、一年ほど前から、山賊に襲われ続けているのです。
その山賊が、食べ物を奪っていくのでございます』
訴えを聞き、総司令官のガーズィムは、本来ならば徴発を命じるべきところを、ススロ王国の領内であることを考慮して逡巡した。
ユランサスは、将軍に耳打ちした。
「聖炎教の慈悲を示す、よい機会です」
そして、村長にこう告げた。
「ならば、食料は不要です。その山賊は、我々が退治して差し上げましょう」
ガーズィムはこれを許可し、ユランサスに小部隊を預けると、本隊を先に進ませた。
数日おきに村に現れるという山賊は、二日目の朝にやって来た。
身を隠す素振りはなかった。
それは、奇妙な出で立ちの、人狼族の少年だった。
ユランサスは、兵をけしかけた。
あっという間に蹴散らされた。
三人だろうが、五人だろうが、ひと息の間に刃がひらめき、兵は次々倒れていった。
つい目を見張る強さだった。
ユランサスの頭の中で、計画がすばやく組み直された。
(囲まれても増援が来ない。合図に声を出しもしない。そして、あの身なりと、痩せ方。
単独犯。
飢えてのことか。
ならば、懐柔の余地がある)
ユランサスは、兵たちを止めた。
山賊は、しばし警戒して、立ち止まった。
その後、村の商店に近づき、並べられた果実を手に取った。
視線だけはユランサスらに向けつつ、山賊は、果実に歯を立て、平然と食事を始めた。
ユランサスは、慎重に進み出た。
そして、笑顔を見せながら、インバル語でゆっくりこう言った。
「こんにちは。私はユランサス。あなたのお名前は?」
山賊の耳が、ぴくりと動いた。
だが、返事は無かった。
彼は、次の果物を手にした。
(聞こえてはいる。こちらに関心もあるようだ。
言語を変えて、試してみるか)
ユランサスは、同じ内容を、いくつもの言語で話しかけた。
マンスドゥス語。セドルナ語。パナドラル語。トロラモ語。
ススロ語で、ようやく反応が得られた。
「私の言葉がわかりますか?」
「……わかる」
「私はユランサス。あなたの名前は?」
「シグレノコエイリュウ・カイデン・シグレノサナミユキハル」
これが、最初の会話だった。
ユランサスは、言葉を尽くして、彼を雇った。
そして、シグと呼ぶことにした。
イスオドス王都の街外れの空き地には、一本の木が生えている。
ユランサスが昼下がりにそこへ向かえば、思った通り、大木の根元で、シグがすやすや眠っていた。
頭の上には、鳩をのせている。
ユランサスは、思わずほほえんだ。
そして、そっと声をかけた。
「シグ。こんにちは」
ぱちり、と少年のまぶたが開いた。
どんなに油断しているように見えても、シグは、わずかなきっかけで、ただちに覚醒するようだ。
彼は、ちらりと視線をよこし、平坦な声でつぶやいた。
「こんにちは、ユラ」
「お昼寝中にすみません。隣に座ってもいいですか?」
「うん。いい」
「ありがとうございます。シグのために、おやつを持ってきましたよ。食べますか?」
「食べる」
ユランサスは、持参した小さなかごを渡して、シグの隣に腰掛けた。シグは、さっそくかごの中から焼き菓子を取って頬張った。
この、元山賊の人狼族、傭兵シグの知能や精神が、見た目より数段幼いことは、雇ってすぐにわかった。
彼は、嘘というものを知らない。
他人の心を量ることもない。
言葉を飾らない。飾る言葉がない。
悪事を企てる知恵がない。
欲望も、「ご飯」と「昼寝」の他に無い。
ユランサスの心は、歓びに震えた。
なんという奇跡。
シグこそは、完璧な存在だ。
ユランサスは、汚れた強さの持ち主だ。
人の欲望と悪意の泥を、憎悪と陰謀でかき分けながら、もがくように生き抜いてきた。
翻って、このシグはどうか?
彼には一点の汚れもない。
ただ一つ、恐るべき剣の技だけで、人の世の醜さすべてを斬り捨てて生きてきたのだ。
(シグは、天使だ。
炎の神が遣わした、私のための殺戮天使。
この子は、私の願いを叶えるために存在するのだ)
ユランサスは、シグの口元の食べこぼしを拭ってあげた。
シグは、ちらりとユランサスを見て、気にせず次の焼き菓子をかじる。
この無垢さが、たまらなく愛おしい。
彼さえいれば、何でもできる。
ユランサスは、これから新たに罠を仕掛ける。
今回はシグに力を貸してもらおう。
「ススロ語が話せる女性労働者」という、限定的な条件で募集をかけると、すぐさま一人の女が立候補してきた。
短く切った髪。汚れた装い。
「近隣の村の未亡人」だと、本人は言う。
貧しさから、報酬欲しさに軍の募集に応じたと。
ユランサスは、女の言葉をそのまま信じはしなかった。
笑顔で彼女を出迎えながら、椅子に座る所作、爪の形や、発音の癖と語彙を観察した。
そして、内心、失笑した。
(間違いない。こいつが王妃だ)
畑仕事と水仕事に明け暮れる貧しい村の女が、そうも背筋を伸ばすものか。
爪を、美しく伸ばすものか。
ゆったり優雅な発声で、異人の目を見て話すものか。
「御用に適うよう、身を尽くし」だと?
身分を隠そうという気があるのか?
(髪を切って名前を変えるだけで、別人になれると思ったのか?
愚かなことだ。
だが、今はその愚かさこそが必要だ。
レバーリャ王妃ネロエーシャ。貴様は、この国の反乱分子を釣り出すための『餌』となるのだ)
ノーラと名乗るその女を、ユランサスは、シグの世話係につけた。
シグは、他の傭兵たちに妬まれている。
面倒事に巻き込まれて、常に目立っている。
そのシグとともに行動させれば、彼女も目立つ。
王妃の顔を知る者たちは、きっとノーラに気づいて接触するだろう。
その人物は、反乱組織に繋がっている。
獲物が餌に食いついたなら、あとは一気に釣り上げるだけだ。
ユランサスは、静かにその時を待った。
■次話:『告発』




