第五話 魔の物
「まあ、そんな感じで魔術やら剣の手ほどきを受けてたんだよ」
ダンの視線は、師の同胞であるオリヴィアに向けられていた。オリヴィアは身を乗り出してダンの話に聞き入っていた。興奮と羨望が表情に浮かんでいる。
「す、すごい……。凄すぎます! 仲間が聞いたら羨ましがること間違いありません!」
「そうか?」
「ええ! もちろん! だって賢者マルキスですよ!? 羨ましい…………。言葉では言い表すことができません」
その後もオリヴィアはダンの話で気になった点を列挙し、数々の質問をダンに浴びせていた。
「……それで、その賢者マルキスから賜ったという剣は?」
「ああ。これだ。見てみるか?」
「いいんですか!?」
「ああ。俺を切り殺さなければ」
「そんなことしません!」
頬を膨らませムスっとした表情をオリヴィアは浮かべる。ダンは「すまない」と笑いながら剣をオリヴィアに手渡した。
オリヴィアは拝領するように受け取り、しげしげと賢者の造った剣を眺めていた。剣の柄に不思議な紋章が描かれていたが、オリヴィアの意識は刀身に集中していた。焚火の光を受けて剣が鈍い光を放った。その光を見たオリヴィアは目を見開き声高に叫んだ。
「こ、これ……ヴァレリア鋼ですよ!」
「なんだそれ? そんなにすごいのか?」
「なんだそれって、ダンさんご存知ないのですか!?」
「ああ。興味がなくてな」
マルキスは剣をダンに手渡した時、ヴァレリア鋼のことを話していたが、ダンの耳には届いていなかった。
ヴァレリア鋼は鉄よりも堅い珍しい鉱物だった。起源は、オリンシアで語り継がれている伝説にあった。
この世界は二体のドラゴンの身体から創造されたと伝説は語る。ドラゴンの名を、ヴァレリア、オリカルクムという。ヴァレリアは大地を、オリカルクムは海の礎となった。オリンシアに広がる草原や、平野はヴァレリアの腹から産まれ、山や渓谷、丘はヴァレリアの背中に生えていた棘の名残であるとされる。また大陸全土を流れる川や、点在する湖はヴァレリアの血潮が長い時間をかけて薄まったもので、今の形となったのは、水の流れによる浸食が所以だとされている。
ヴァレリア鋼は、ヴァレリアの涙が凝結し固まった物あるとされ、大昔から非常に稀少な鉱物であった。
一方オリカルクムから産まれた海には、オリカル鋼と呼ばれる鉱物が存在し、オリカルクムの涙が起源とされている。
伝説で二体のドラゴンについて触れているのは、世界創造期と呼ばれる一篇のみだった。他にドラゴンを描いている物は一切ない。
ヴァレリア鋼とオリカル鋼は、オリンシアの歴史上で度々姿を見せていた。ドワーフ族とマーメイド族との貿易で、取引されていた記録も存在する。オリカルクムから産まれた海を住処としているマーメイド族にとって、オリカル鋼は親しみのある鉱物だった。ヴァレリア鋼と比べ産出量が多く、そのほとんどをマーメイド族が独占している。加工もしやすく汎用性に優れているため、過去には人間族がオリカル鋼の利権を獲得しようとたくらみ、マーメイド族を別の海へ移住させる計画があった。だが現地を訪れていた責任者が相次いで病死し、計画はとん挫した。
マーメイド族の陰謀だとする声が国務省、軍務省から上がっていたが、オリカル鋼は強い毒性があり、人間族では扱え切れないことが判明した。それ以降、政府の間でオリカル鋼の話題が出たことはない。人間族はオリカル鋼の生産者ではなく、消費者に回ることを余儀なくされた。
ヴァレリア鋼はオリカル鋼ほどの産出量はなく、決まった場所から採掘されるわけでもなかった。ヴァレリア鋼発見の報告があったのは、魔王が滅んで新たに創られた暦である、王歴五〇年代が最後だった。発見した人物は他でもないエルフ族の賢者マルキスであった。
後年、マルキスが持ち帰ったヴァレリア鋼は魔法で加工され、彼の弟子となった少年に授けられた。このことを知っているのは、マルキスとダンの二人以外にはなかった。だが今晩、秘密を共有する輪の中にもう一人が加わった。
「はじめて見ました…………」
「にしてはよく分かったな」
「何度も聞かされてましたから。賢者マルキスがヴァレリア鋼を発見されてから、エルフ族の中で話題になって。まさかダンさんが持っていたなんて」
オリヴィアの手付きは、愛する者を愛撫するかのようで、その姿はダンの本能を焦がし、欲望の火をくすぶらせていた。
「我慢、我慢……」
「なにかおっしゃいました?」
「…………いいや」
「ところで、賢者マルキスとは今もやり取りをされているんですか? もしよければ…………その」
「死んだよ」
「………………え?」
ダンの言葉にオリヴィアは愕然とする。賢者マルキスがまだ存命だと思っていたからだ。偉大な賢者が死んだ、なぜ?
「マルキスは死んだ。本人は寿命だと言っていた」
「それで………………?」
「俺は聞いたよ。『魔法で寿命を伸ばすことはできないのか?』って。だがマルキスは首を横に振って『命は天命に任せたい』とだけ言った。なぜだと思う?」
「それは…………」
オリヴィアが持っているマルキスに関する情報はあまりにも少ない。エルフ族の中で語られている伝説的な内容と、ダンの話から受けた印象しかない。
だがマルキスも賢者以前にエルフだ。エルフであるならば自然を尊ぶ。無益に抗い、不必要に力を振りかざすことはしないはず。
「自然の流れに任せたいから…………だと思います」
「たぶんな」
オリヴィアの答えにダンも賛同を示した。「命は天命に任せたい」彼はそう口にした。おそらくマルキスは寿命を伸ばす方法を知っていた。だが敢えてそうはしなかった。
彼は過去に魔法や魔術を駆使し、自然の道理から外れた行いをしてきたから、と考えていたのかもしれない。だから、せめて自分の命だけは時の流れに委ねた。そうしたかったのではないか。マルキスは自分の過去について多くを語らなかったため、これはダンの憶測でしかなかった。だがダンは、これはこれでマルキスらしい考え方だと笑みをこぼした。
「俺が持ってるマルキスの形見はそれだけだ」
「そうなんですね…………賢者マルキスの遺品はどうなってしまったのでしょうか…………」
「さあな。見取るのを許されなくて、俺は、追い出されたから。その後どうなったか分からない。…………今度墓参りに行くのもいいかもしれん」
「………………その時は、私もご一緒してよろしいでしょうか」
マルキスとダンの関係は水と魚のようだとオリヴィアは思う。日々教えを授ける師と、比類なき賢者から知識や知恵を吸収する少年。
二人の姿がオリヴィアの脳内で鮮明に描かれた。その空間、二人の間に他の誰も立ち入ってはならない。そんな気がしてくる。二人だけの大切で、優しい時間。だが、オリヴィアもまた同胞の死を悼みたいという望みがあった。これは本能的なものだ。賢者マルキスは人知れず死んでしまった。誰からも看取られることもなく、たった独りきりで。それは彼が望んだことであろうとオリヴィアもダン同様に考えていたが、知ってしまった以上そのまま放置するわけにもいかなかった。エルフ族の矜持がそれを許さなかった。
「ああ。きっと先生も喜ぶだろう」
ダンはオリヴィアから剣を返してもらうと、立ち上がって夜空にまたたく星空を突きさすように、切っ先を天高く掲げた。星の輝きを受けて剣が煌めく。ダンの追悼の意に対して、マルキスが応えている。ダンはそう信じた。
「すみません。せっかく楽しい話をしていたのに」
「いいさ。マルキスの話を続けていたら、いつかは言っていた。謝ってもらう必要はない」
「そうですか……。…………そうですね。ありがとうございます」
オリヴィアの声は次第に、明るく穏やかな声に戻っていった。
「その剣、賢者マルキスが魔法で加工したって言われてましたけれど、なにか特別なことができるんですか?」
「ああ」
ダンが剣を構えて柄を強く握る。空気に向かって一閃振ると、剣は鞭のようにしなやかな流線形の軌跡を描いた。オリヴィアが目をぱちくりさせて、剣に視線を向けると、剣は元の形に戻っていた。
「こんな風になるんだよ。鞭みたいだろ。鞭の状態だと、刃渡りが広くなって、敵を捉えられる距離も長くなっている。『鞭のような複雑な軌道を描く動きは読まれにくい。読めたとしても剣に比べると時間がわずかにかかる。これは攻め手としては非常に有利だからね』ってマルキスが。もちろん普通の剣としても使うことはできる」
「すごい……。どうやって切り替えているのでしょう」
「これだよ」
ダンはオリヴィアに剣の柄に描かれている紋章を見せた。
「ここに俺の思念を送り込むことによって制御できるみたいだ。さっきも話したが俺は魔法どころか、魔術でさえろくに扱えなかったからな。マルキスが気を利かせてくれたのさ」
自嘲と師を自慢する雰囲気がダンの声にはあった。
オリヴィアは、先ほどは気にもとめなかった紋章を観察する。一目見ただけで、この紋章は非常に高度な魔法によって作られていることが分かった。それにしても、他者の思念を媒介し、それを魔法に変えてヴァレリア鋼の性質、形状を変化させるとは。オリヴィアは賢者マルキスに畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
紋章から目を離し、ダンに視線を戻す。ダンは少年のような笑みを浮かべていた。
「楽しそうですね」
オリヴィアも思わず笑みをこぼす。マルキスの最後の弟子が、ダンでよかったと心の底から思った。
「まあな。剣を振り回すことにかけては才能があったから」
「……頼りにさせてくださいね。ダンさん」
「ああ」
その会話を最後に、二人はそれぞれ床に就いた。
ダンは背中に土の冷たさを感じながら、ヘブンズフィールで聞いたオリヴィアの話を反芻していた。
エルフの魔術を受け付けない体と、毒。長年の"仕事"で培ってきた経験が、警戒を呼び掛けている。ある物質や、性質に対する耐性を持っていることは、生物としては当たり前だし不思議ではない。生き物は種族関係なくそうして進化してきた。だがダンは納得できずにいた。妙に引っかかる。突如として現れた未確認の魔物。そいつは毒をまき散らし、エルフの森を壊死させている。彼らの武器や魔法は、まったくもって役に立たない。まるで狙いすましたかのような特性。
俺が魔物なら、とダンは思考する。
俺が魔物なら、相手の攻撃が効かないと分かっているのであれば、真っ先に本丸を狙うだろう。「魔物は獲物を前にして舌なめずりをするような愚かな存在ではない。真っ先に最短距離で首を狙う。首を飛ばされて生きながらえる者は存在しない。奴らはそれを知っている。一撃必殺が彼らの常套手段なんだよ」というマルキスの言葉を思い出す。
ダンは魔物を知らないが、マルキスは知っていた。多くは語らなかったが、魔物と戦ったこともある。ダンはマルキスの言葉を信じていた。それ故、オリヴィアたちを襲っている魔物の行動に違和感があった。まるで狩りを楽しんでいるような。それともマルキスの知っている魔物とは性質が異なるモノなのだろうか。短期間に生物が劇的に進化したり、変容したりしてしまうことなどあり得るのだろうか。それも現代のような、緩慢とした環境の下で。
「………………まさかな」
飛躍した思考を払拭しようとする。だが、あり得ない話ではない。誰がなんのためにそんなことをしているのかは分からないが、可能性としてはあり得る。
この魔物は自然的に発生したのではない。人為的な存在だ。自然が産み出したモノではなく、邪悪な意志を持つ誰かによって造り出されたモノ。
だとすれば、エルフ族は実験か、狩りの対象だ。
ダンは横目にオリヴィアを見た。オリヴィアは背中を向け、安らかな寝息をたてていた。




