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第四話 賢者マルキス

「うーん。いまひとつだな」

 ぼさぼさ頭の少年が魔術の訓練に励んでいた。少年のそばには、様子を見守るエルフが一人立っている。眼鏡の奥で緑に輝く瞳と、端正な顔つきは、彼の並々ならぬ知性と思慮深さを物語っていた。

「だめだよマルキスー。ぜんぜんできないんだ」

 少年は忌まわし気な視線を形が崩れた泥の塊に向けた。残骸には四肢の痕跡が見て取れた。首の付け根や、頭部に相当する部分もあった。それらは少年が泥人形を作り上げようとして、失敗してしまった痕跡だった。

「おかしいな。うまくいくはずなんだがねえ」

 マルキスと呼ばれたエルフは、手も、口も動かすことなく泥から人形を作り上げる。混沌とした泥の塊が秩序だって組み合わさり、人の形をとっていく。形が出来上がると、泥を削り、顔や頭髪、手足の輪郭が整えられる。何分もしない間に、ふてくされている少年と瓜二つの姿をした人形が誕生した。

「ほら。ね」

 泥人形はニッコリと笑みを浮かべて少年に手を振っている。少年は短気を起こして泥人形を踏みつけて破壊した。

「あらら。そっくりだったのに」

「俺には魔法なんて使えないよマルキス」

「ダン、これは魔法じゃない。魔術だ」

「じゃあ、俺には魔術なんて使えないよマルキス」

「やれやれ。…………ダン、知能を有する生命であれば、訓練を積めば誰でも少しくらいは使えるようになるんだよ」

 マルキスの声は穏やかで聞いている者を抱擁する力があった。だが彼の横でいじけているダン少年には、あまり効果はないようだった。

「魔法、魔術って言ってるけどさ、なにが違うの?」

「良い質問だ!」

 マルキスは待っていましたと言わんばかりの表情をダンに向ける。彼は自分が持つ知識や知恵を、誰かに伝えることが好きだった。エルフ族の英雄、ラナリアにしたように、目の前の人間族の少年にも様々な叡智を授けていた。

「ダン。魔法と魔術は、はた目からだと似ているか、まったく同じに見えるかもしれない。ダンには同じに見える。そうだろう?」

「うん」

 ダン少年は素直に頷く。マルキスは彼の素直さを高く評価していた。その気持ちこそが、ありとあらゆる知識を取得する助けとなり、未来を切り開いていく糧になるとマルキスは信じていた。

「よしよし。じゃあ説明しよう。マナについては分かっているね?」

「マナ? なんだそれ」

「説明してなかったかな。悪かった。最近どうも物忘れがね。……マナというのは、私たちが暮らす世界に溢れている、目に見えないエネルギーなんだ」

「へえ。俺にもあったりするの?」

「ああ、あるよ。私もあるし、今吹いている風にもある。そこら中に転がっている石ころや岩にもある。泥にだってあるんだよ」

「へ~……」

 ダンは周囲を見渡す。彼らは今断崖にあり、周囲には石ころや岩くらいしかない。あとは目の前で粉々になっている泥が転がっている程度だった。崖の下を見れば、森が広がっている。青々とした葉が太陽光を受け止めていた。

「そこでまず魔術だ。魔術とは言ってしまえば、目に見える物質に対して、外からマナを通して作用を加える術式のことなんだ。ダン、今、君の目には何が見えるかな?」

 ダンはマルキスの言葉を聞き再び周囲を見渡す。

「石、岩、森、泥」

 見えたものを簡潔に答える。マルキスは頷くと再び話始めた。

「そうか。じゃあまた泥で考えてみよう。見ての通り、泥はばらばらになっていて、乾き始めている。これは分かるかな?」

「うん。まあ」

「では泥を集めてまた塊にしようとしたら、どうすれば良い?」

「水に濡らしてこねくり回す」

「どうやって?」

「水は、どっかから持ってきてかける。泥は手で集めて、こねこねする」

「水をかけられた泥、手で集められた泥、こねられた泥、それぞれ共通点があるんだが解るかい?」

「共通点…………」

 少年は腕を組んで考え始めた。泥をまじまじと見ながら、頭をひねって考えている。

「あ。人の手だ。人の手」

 ダンの言いたいことを、彼の言葉が常に正確に表現できている訳ではなかった。マルキスはダンが「泥は外部からの影響でそうなる」と、言いたいのだと理解した。そしてダンの出した答えは正確だった。

「そうだ。泥が独りでにそうなっているんじゃない。人為的な、時には自然的な、外部の力によって、水に濡れるし固められるんだ」

「でも、それが魔術とどう関係あるの?」

 もっともな疑問だった。

「ダン、さっき私の言ったことを思い出してごらん。魔術とはなにか。物質に対して」

「外からマナを通して作用を加えること……。作用って?」

「力の働きのことだよ」

「力の働き……。じゃあマナに働きかけて、水に濡らしたり、泥を固めたりすることができるってこと?」

「そういうことだ。そしてマナに働きかけるには必要なモノがある。なんだか解るかい?」

「……! 呪文だ!」

「ご名答!」

 マルキスはダンに賞賛の拍手を惜しみなく送る。ダンは少し照れたような表情を浮かべ、それを隠すように視線を泥に戻した。

「呪文でマナに働きかけて、物質に力を及ぼすんだ。慣れない内は、マナの力によって泥を濡らしてもらったり、固めてもらったり、とそう考えた方が分かりやすいかもしれない。それが魔術なんだ」

「へ~。よくできてるんだな。なんで呪文を使ってそんなことができるの?」

 単純な質問だが、呪文とマナの関係を解明できている者は、マルキスを含めていなかった。呪文を唱えれば、マナに働きかけることができる。その事実だけが、オリンシアの世界に知られている。

「それがよく分かっていないんだ。私も研究を続けているが、はてさて」

 マルキスが肩をすくめて見せた。ダンは、師でも分からない知らないことが世界にはあるのだ、と驚愕の思いを抱いていた。

「じゃあさ、魔法ってなに?」

「魔法は目に見える物質に加えて、空間に対して作用を及ぼしたり、物質が持つ性質を可逆的、もしくは不可逆的に変化させることができる術式のことだよ。呪文を通して、マナに働きかけるという基本的な原理は魔術と同じなんだ。異なるのは、空間に影響を与えることができる、対象となった物質の性質を変えることもできれば、元に戻すことができるというのと、魔法は魔術を包括しているということなんだ」

「なんか、難しそうだな……」

 ダンの印象は間違っていなかった。魔術は呪文を正確に唱えられる能力さえあれば、基本的に誰でも行使することができる。魔術の質は、術者が魔術によってなにを成すかというイメージを明瞭にできるかどうかで決まるが、行使することに関しては個人の資質による差はほとんどない。口を動かせることができるか、思考の中で呪文を唱えられるか。この二点に、魔術を行使できるか否かが集約される。言葉を持ち、なんらかの文明圏で生活を営んでいる者であれば、種族問わずに魔術を友として生きていくことは可能だった。

「ああ難しい。魔術とは比べものにならないくらいね」

 一方魔法は、魔術を行使する条件に加えて、本人の資質、素養が必要となる。資質、素養とは受け継がれてきた血脈や、精神力、思考力、想像力などを指す。知的生命に宿るこれら無形の概念は、本人の努力だけでは改善のしようがない部分もある。

 その中で最も重要なのは、精神力だった。それは、しわも、染みも一つない真っ白な紙に例えられる。だが紙は一度でも握りつぶされたり、インクを落とされたりすると、決して元の姿に戻ることはない。先天的に潔白の精神力を持っていたとしても、後天的な理由で傷を負えば魔法使いにはなれない。生まれながら精神力に傷を負っている者は論外だった。

 精神力ほどではないが思考力、想像力も重要だった。これらには魔法であっても、魔術であっても変化を及ぼすことはできない。実物の紙であれば、魔法、魔術で汚れを消し去ることはできる。しかし、汚れたという事実までは消せない。そうなってしまった精神力、思考力、想像力は紙と違い元に戻すことはできない。事実を消すことももちろん不可能だ。そのためどのようなことにも動じない、並外れた力を秘めた者だけにしか、魔法使いを名乗ることは許されなかった。これは外野からの審判ではなく、魔法使いという頂へ続く道の特質だった。

 ダン少年の師であり、育ての親でもあるマルキスは賢者と称される魔法使いだった。彼は愛弟子であるラナリアの死にすら動揺することはなかったし、嘆き悲しむこともなかった。

 ラナリアもまた、師と同様に当時の仲間の死を悼むことを許されなかった。たとえその感情を持っていたとしても、そのことを認めてはならなかった。

「で、実際なにができるの?」

「一つずつ見ていこうか。あそこを見ていてごらん」

 マルキスはなにもない、石ころが乱雑に転がっている空間を示した。ダンは師の言葉に従いその場所に視線を注ぐ。

「……」

 マルキスが小さくなにか呟いた。すると空間がほんの一瞬だけ歪んだかと思うと、清らかな水を湛えた池が出現した。

「え!」

 ダンは目の前で起きたことが信じられず、思わず駆け出していた。池に顔を近づける。池は磨かれた鏡のように、ダンの顔を、背後に広がる青空を反射していた。

 ダンはそばにあった石ころを落としてみた。音と水面にわずかなさざ波が立った。落とされた石ころは、水底で文句の一つも言わず佇んでいた。

 ダンはおそるおそる手を入れる。冷やりとした気持ちの良い感触が手を包み込む。そのまま石ころを拾い上げる。手のひらに乗せた石ころは、濡れた体に太陽の光を浴びて、きらきらと輝いていた。手を払うと、水滴が光の粒となって飛散する。その動きに合わせて、地面には水玉模様が広がっていく。確かに水は、池は存在しているようだった。

「すごいだろう?」

 自慢気な表情を浮かべたマルキスが、ダンの背後から声をかける。

「うん! これすごいよ! 飲めたりするの?」

「ああ。きっと美味しいよ」

 そう言い終えるやいなや、ダンのそばに屈みこんだマルキスは両手で池の水をすくい取り、口へ運ぶ。ごくごくと美味しそうな嚥下音がダンの耳を刺激する。

「うん、おいしいね」

 マルキスの言葉を聞いてダンも同じように水をすくい飲んだ。全身を冷水が駆け巡っていくのを感じる。「生き返った」という表現がまさにぴったりだった。

「すごいねマルキス。魔法ってさ」

 マルキスに向けたダンの瞳には、未知なる事柄への期待感と、師への尊敬の念が入り混じった、生き生きとした輝きが宿っていた。

「そうだろう。これが空間に作用を及ぼすことができるっていう魔法の一つ目の特徴だよ」

「あの池はマルキスが創ったの?」

「ああ。魔法は、マナに働きかけて、無から望むモノを生み出すことができる。その逆もね。これは魔術では決してできないことなんだ。もう一度、池を見ててごらん」

 ダンは視線を池に戻した。

「……」

 マルキスが再び口を動かした。ダンは言葉の意味こそ分からなかったが、それが魔法の呪文であることは理解できた。

 マルキスが呪文を唱え終わると、澄んだ水を湛えていた池が、音もなく姿を消した。

「!?」

 池が出現した時と同等か、それ以上の驚きがダンから沸き上がった。さっきまで確かにあったはずなのに。腕を伸ばし、地面に触れる。先ほどとは違い、陽光に温められた無機質な感触が、まだ乾ききっていない掌に広がった。

 ダンが手を離すと、手形が岩の地肌に浮かびがっていた。小さな、見るからに弱々しい手だ。その横にマルキスも手を置いて手形を残した。マルキスの手は指が細長く、掌もダンと比べて二回り以上は大きかった。

「記念に遺しておこうか」

 ダンの返事を待たずに、マルキスは異なる音韻の呪文を唱えた。手形は刺青のように岩の地肌に馴染んでいき、それぞれにダンの名前とマルキスの名前が刻まれた。

「今のも魔法?」

 ダンは手形と刻まれた名前を指していた。

「どちらかと言えば魔術かな」

「へえ~。すごいや。……ところでさっきの池はどうなったの?」

「消えたよ。この世界にはもう存在しない」

「どこにも?」

「どこにも」

 自分の手を濡らした池は、もうこの世界のどこにも存在しない。ダンは師の言葉が脳内に浸透するのを待った。

 背筋に寒気が走る。魔法とはいとも簡単にモノを生み出したり、消し去ることもできる。ダンにとってその事実はむしろ恐ろしく感じられた。モノを消し去る……。

 ある一つの考えが頭をよぎる。ダンは恐ろしいイメージを頭から振り払おうとしたが、一度湧いてしまったイメージはダンの脳内にしつこく居座った。少年は師に助けを求めた。どうか自分の想像が間違っていますようにと願いを込めて。

「魔法ってさ……人間も消せるの?」

「……消せる」

 師からの返答は短く、忌避感を抱かせる冷ややかさがあった。池の水で感じた、心地の良い冷たさとは真逆に感じた。

 ダンの悪いイメージは否応なく膨張していき、いつしか彼の頭の中は音もなく消えていく人間の姿で埋め尽くされた。彼の思考を支配していのは純粋な恐怖だった。ダンは以前にも一度、同じ恐怖に支配されたことがあった。自分の目の前で、家族を、友人を切り刻んでいく男たち。「逃げて…………!」こと切れる直前の母が発した最期の言葉。その言葉が自分に向けられていたのをダンは解っていた。

 ダンは逃げた。小さな足で懸命に森を駆けた。足の裏を切り、血が滲んでも痛みを我慢して逃げた。当てもなく逃げ続け、気が付いた時にはマルキスが目の前に立っていた。ダンは話しかけてくるマルキスを呆然と眺めていた。視界にもやがかかり景色が霞む。ダンはそのまま意識を失った。

 ダンの脳は、恐ろしいイメージに侵されていない脳内の領域に、過去の記憶を展開した。イメージと記憶とがないまぜとなって、映像は混沌と化していく。もはやなにがどうなっているのか自分でも分からなかった。

 ダンは震えながら頭を抱え込んでいた。マルキスがそっとダンの額に手を当てる。冷たい水の感触と、生命の温かさがダンの意識を捉えた。ダンは想像の世界から現実の世界へと引き戻された。脳内に巣くっていた負の想像は霧消していた。

「怖がらせてしまったね」

 マルキスが申し訳なさそうに言った。ダンは首を振って応じた。マルキスはダンの額から手を離し、ダンが落ち着くのを待っていた。

「ありがとう。大丈夫だよ。ちょっと、驚いたんだ」

「無理もない。だけど、人間や生命を消すというのは、非常に難しいんだ。さっきの池みたいに、そうやすやすと消せるものじゃない。少し性質も異なっているから」

「そうなの?」

「ああ。人間を消すとなると、空間ではなくて人間そのものに作用を及ぼさなければいけない。いい機会だから話しておこうか。マナの話はもう分かるね? ……実は生命体に宿っているマナは、無機物に宿っているもの違って、量が多いし、その構造も複雑なんだ」

「うん」

「魔法と魔術の基本的な原理は同じ。これも分かるね?」

「呪文を通して、マナに働きかける。だろ?」

「そうだ。じゃあ考えてみよう。塗り絵を想像してごらん。丸くてなんの模様も入っていない球体の絵と、複雑な大小形が異なる紋様をいっぱい持った衣服の絵、塗るのはどっちが簡単かな? 球体の方は一色を使って塗りつぶせることができる。しかし塗るときははみ出しちゃいけない。衣服の絵も同様にはみ出したらいけない。加えて衣服の方は、球体と違って、どこをどの色で塗るというのが決まっているんだ」

「そりゃ、球体の方だろう」

 考えるまでもなかった。

「そうだ。これをマナの構造の話に置き換えると、量が少なく造りも単純なマナと、量が多くて造りが複雑なマナ、働きかけるのはどちらの方が簡単か。ということになる。前者は無機物のマナで、後者は生命体のマナだ」

「前者」

「正解」

「でも難しいってだけで働きかけることはできるんだろ?」

「できるよ。だけど賢い者はそんなことをしない。なぜだと思う?」

「なぜって……………………」

「じゃあまた塗り絵で考えてみようか。さっき言った球体と衣服の絵を使おう」

 二人の前に実際に塗り絵の紙がある訳ではない。だがダンは師の言葉のおかげで二つの絵を鮮明に思い浮かべることができていた。

「ダンの言った通り、簡単に塗れるのは球体の方だ。簡単に塗れる、要点はまさにここにある。球体と衣服の絵を自分が塗っていく姿を想像してごらん」

 言われた通りにダンは想像する。球体ははみ出さなければ一色で塗って良い。想像の中の自分は数分もかけず塗り終えた。

 衣服に移る。衣服は色の指定があった。紋様も塗らなければいけない。だがダンはどこをどの色で塗ればいいのか分からない。

「なあ。服の絵ってさ」

「どこをどんな色で塗るのか自分で決めていいよ」

 マルキスは突き放すように言う。

「ちぇ」

 ダンは再び想像上のキャンバスの前に立つ。ダン画家は腕を組み、キャンバスを睨めつけ思案していた。数分後、彼はようやく色の指定を終えて塗る作業に入った。

「だー!」

 現実のダンが声をあげる。想像の中とはいえ、この作業は大いに骨が折れた。

「どう感じる?」

 笑みを浮かべたマルキスはダンに問いかける。

「疲れる」

「そう。疲れるんだよ。呪文を唱えるのは体力を必要とする。それに精神力も。しかも生命体の場合、絵のように微動だにしないなんていうことはまずありえない。対象が動けばマナの構造にもわずかな差異が生じるからね。苦労は多いし、成功する確率は極めて少ない。それだったら相手に直接魔法をかけるよりぶつける方がまだ楽、ということになるんだよ」

「魔法をぶつけるって?」

「まあ色々ね。…………詳しい話はまた今度にしようか。日暮れだ」

 ダンはマルキスの言葉で、はじめて日が傾いていることに気が付いた。

 朝から今まで、ずっとマルキスの授業を受けていたのだ。そう思うと疲れが全身に押し寄せてくる。脳に疲労を感じ、立っていることすら困難に感じた。その場に座り込む。空気を肺一杯に吸って、ゆっくりと吐き出していく。熱が体から放出され、新鮮で澄んだ空気と入れ替わった。

 しばらくの間、脳と体を休ませていた。崖から見える山の尾根が、太陽を飲み込んでいく。空には茜色の中に宵闇の色が混ざりはじめ、一番星が輝きを誇示していた。

「さあ、帰ろうか。ダン」

「うん」

 マルキスが手を差し伸べてきたが、ダンは一人で立ち上がった。マルキスを拒絶している訳ではなく、手を取ることが単純に恥ずかしい。

「前は我よ我よと握ってくれたのになあ」

 差し出されたマルキスの手は、代わりに冷風を掴む。冷風は指の隙間から這い出して、すぐにあるべき場所へと還っていく。

「さみしいねえ」

「俺はもう子供じゃないんだ!」

「そうかいそうかい」

 マルキスから見れば、ダンは赤子も同然だった。だが本人にそのことは言わなかった。

「俺にもマルキスみたいな才能があればな~」

 ぶっきらぼうにダン少年は言う。気にしている素振りは見せないが、彼は今日もマルキスから出された課題を達成することができず、自分に嫌気が差していた。

 魔法や魔術の才能は要らない。だがなにか一つでもあって欲しかった。なにかあれば、師の役に立てるからだ。

「そう焦ることはない。大器晩成という言葉もある通り、年月を経て開花する者もいる。大切なことは、日々の鍛錬をおろそかにしないことだ」

「それは分るけどさ~」

 ダン少年はその後もぶつくさ愚痴を言っていた。マルキスは少年の可愛らしい愚痴を、肯定もせず、かといって否定もせず聞いていた。

 日が完全に沈んでしまう前、二人は小屋へ戻った。ダンが修行していた崖を、森の方へ下っていくと、小川が流れている。その川に沿って進んでいくと、こじんまりした平屋の木造住宅があった。それがマルキスの家だった。

「ただいま~」

 室内は広々としていた。玄関を入ってすぐ目の前に、台所があって、食器が所せましと片づけられていた。中央にはソファがあり、脚の短いテーブルが一つ置かれている。壁際には本棚がずらりと並んでおり、棚には数えきれないほどの本が几帳面に整頓されている。いくつかの棚は歯抜けになっており、黒い縦長の長方形をした口を開けていた。棚から抜き取られた本は、テーブルに積み上げられていたり、ソファの横に置かれたりしている。玄関から丁度対角となる壁には、張り付くようにベッドが配置されていた。

「これからまた研究するの?」

「そうだな。でもまあ、とりあえず夕餉にしようか」

 マルキスは台所でなにやら呪文を唱えると、野菜のスープが入ったカップと丸焼きになった魚が乗っている皿を両手に持ってきた。

「食べなさい」

「ありがとう。いただきます!」

 ダンは魚に勢いよくかじりついた。獣のように貪っていく。思えば朝からなにも食べていない。腹が空くのは当然だった。

「明日町に出よう。食材が底をついてしまった」

「分かった~。……あれ、マルキスは食べないの?」

「ああ。私はスープだけでいい」

「腹減らない?」

「今日のところはね」

「魚、食べる?」

 半分もない食べかけの魚をダンはマルキスに差し出した。

「ダンが食べなさい。人間には私たちより栄養が必要だからね」

「そっか」

 納得すると、ダンは再び魚を勢いよく食べていった。

 食事を終えた二人は、お互いに好きなことをしてのんびりとした時間を過ごしていた。

「そうそう」

 読んでいた本を閉じ、マルキスが立ち上がる。

「ダン」

「んー?」

 ベッドに寝ころび、天井を漠然と眺めていたダンの視界に、マルキスの姿が映った。

「これをあげよう」

 マルキスの手には一刀の剣があった。白銀の刀身は鋭い光を放っていた。ダンの瞳に好奇心の色が宿る。

「これ、マルキスが作ったのか!?」

「ああ。魔法でちょいちょいっとね」

「すげえ! 持ってみてもいいか?」

「いいよ。だが振り回さないように。切れ味が抜群だから」

「やったぁ!」

 ベッドから飛び起き、マルキスから剣を受け取る。

「お、重い…………」

 剣は重く、構えるだけでも一苦労だった。剣身だけで1.5mあった。ダン少年の身長とほぼ同じである。柄の長さを合わせると、剣の方がわずかにダンの身長を上回った。

「それは、ヴァレリア鋼と呼ばれる非常に珍しい鉱物でできている。その剣で切れないものはないだろう。気に入ったかな?」

「うん! …………気に入った…………!」

 この時、ダンが認識できたのは「気に入ったか?」と言うマルキスの言葉だけだった。剣の構えを維持することに精一杯で、ヴァレリア鋼でできているなどという話は耳から耳へと抜けていった。

 翌日、僅かに痛む腕をさすりながら、ダンはマルキスの後をついて町へ出ていた。朝から出発して、目的地へ到着したのは正午を回ってからであった。町は人の雑踏で賑わい、軒を連ねるいくつもの出店からは、店主が、行き交う人々に「いいもんそろってるよー!」と声高に呼びかけていた。町を歩いていたのは人間族だけではなく、竜人族やドワーフ族、甲虫族などの姿もあった。

「ダン、知っているか? オリンシアでどの種族か一番偉いか」

「なんだそれ。みんな偉くないの?」

「ああ。一番偉いのは人間族、その次に私と同じエルフ族と、あそこを歩いている竜人族だ」

「じゃあ、ドワーフとかあそこのサソリのおっちゃんは?」

「残念ながら私たちほど、身分は高くない」

 私たち。即ち、マルキスとダンのことだった。

「変なの。なんでそうなっているの?」

「かつてオリンシアを支配していた魔王を滅ぼしたのが、人間族の勇者だったからさ。そのパーティーにエルフ族の女が一人、竜人族の男が一人いた。だからこの三種族は特別扱いをされている」

「ふーん。でもさ、どの種族も魔王と、魔王の軍勢に立ち向かったんだろ? だったら同じでいいじゃないか」

「そうだね」

「でも、身分の差がある割にはみんな仲良しそうだぜ?」

 ダンの言っていることは間違っていなかった。実際、彼らは種族の違いを気にしていないようだった。談笑する者、取引の交渉をしている者、路面に面した客席で酒をあおる者。とてもじゃないが身分の差があるとは思えなかった。

「ああ。多くの人間族は、その政治的機能がもはや飾りでしかないことが分かっている。もちろん他の種族も同様にだ。今も身分に固執している者たちと言えば、王都アレキサンドリアに住む一部の原理主義者か、懐古主義者かだろう」

「そうなんだ。でもなんでそんな話を?」

「この世の中には決して変えられない事柄が一つある。なにか分かるかな?」

「空きっ腹に飯は美味い!」

「はははは。それもそうだ。加えておこう。じゃあもう一つはどうかな?」

「うーん…………」

「変わらないものはない。ということなんだ」

「ふーん…………?」

「オリンシアでは種族の垣根を越えてみんなが平穏な暮らしを送っている。だが私が若い頃、今日のような情景はあり得なかった。なぜだと思う? …………それは私たちが族滅戦と呼ばれる戦争をしていたからだ。実際、その戦争でいくつもの種族がこの世から抹殺された。しかし、その族滅戦はある出来事がきっかけで終戦した。魔王の出現だ。魔王は強かった。魔王の軍勢も。私たちは種族間で戦争をしている場合ではなかった。私たちは過去の遺恨を忘れて、恒久的な同盟を組み、魔王に立ち向かった。だが戦況は覆らなかった。それから三百年余り後、勇者アレックスが誕生した。私は幼い頃の勇者アレックスにまみえたことがある。彼は生けるマナの化身とも言うべき存在だった。その力は圧倒的で、私ですら及ばないかもしれない。彼は私たちの期待通り、魔王を滅ぼした。だがそれが原因で人間族は、選民思想に染まり、オリンシアにおける優先権を主張しはじめた。魔物狩りをはじめとする蛮行が相次いだんだよ」

 マルキスは言葉を切ってダンに視線を向けた。ダンは考え込むような表情を浮かべていた。

「すまない。つい昔話を。歳を食うとこれだからいかんね。つまりなにが言いたいのかというと、世界は常に変化しているんだ。今日みたいな情勢が、ある日を境に突然変わってしまうこともあり得る。そんな時頼れるのは、選民的な思想や、優先的、特権的な権利ではなく、仲間だ。だから、ダン。お前も仲間を、友達をつくるんだよ」

「分かったけど、仲間とか、友達ってどうやったらつくれるんだ?」

「そうだねえ。……もし誰かが困っていたら助けてあげなさい。だが困っている人を助けるには、知恵も力も必要だ。だから毎日学びなさい。お前がその人を助けられたら、お前が困っている時、今度はその人が助けてくれる。そしたら仲間になる。仲間になれば話す機会が増える。そうして友達になる。いいね?」

「うん。任せとけ!」

 マルキスはダンの頭に手を置き撫でた。ダンは恥ずかしさのあまり必死に振り払おうとしたが、マルキスの手は頑として離れなかった。

「……種族や出自に関わらず、皆が平穏に暮らせる世界にしたいんだ。私は」

「だから研究を続けてるのか?」

「そうだよ」

 柔らかで温かい微笑みがダンに向けられる。

「そっか。じゃあ俺も手伝ってやるよ。俺のやり方でさ」

「ありがとうダン。お前は良い弟子だよ」

 ダンはそれからというもの、鍛錬に今まで以上励んだが、相変わらず魔術を上手く扱うことができなかった。だが、剣術の才はマルキスですら一目置くものがあり、次第に鍛錬の献立は剣に偏っていった。

 朝早くから夜遅くまで、毎日剣を振り続けた。時にはマルキスが相手となって試合を行ったこともあった。はじめの内はマルキスが圧勝していたが、マルキスの助言を真摯に受け止め、指摘された動作を改善し続けた。月日が流れ、ダンの身長がようやくヴァレリア鋼の剣を抜いた年、剣術に限り、ダンはマルキスを上回ることができた。

 またダンは魔術の代わりに、自然にあるものを使ったサバイバル技術の取得に精をだした。有事の際に必ず役に立つとダンが考えたからだった。

 マルキスはダンの鍛錬に口をはさむことはなく、彼の成長を見守っていた。

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