第二話 強い女
「それは、どういう…………?」
呆気にとられた表情を浮かべ、オリヴィアはやっとの思いで口を開いた。
なにを言っているの?
彼女はダンの言葉を理解できなかった。いや、理解したくなかった。
「言った通りだ。俺の性癖を満たせ」
ゆっくりと、オリヴィアの脳に刷り込むようにダンは言った。
「性癖」
「そう性癖だ」
「あなたの性癖を、私が満たす……?」
「そうだ。それが依頼を受ける条件だ」
ダンの顔をまじまじと見る。ダンは整った顔立ちをしていて、美男子と称されるだろう。
だがオリヴィアは、ダンからは柔らかな愛らしい印象を一切受けなかった。彼の言葉がその理由の一端を占めていたが、なによりも、鋭い剣のような光を放つ黒い双眸が、彼の人物像を物語っていたからだった。オリヴィアは彼の瞳に死と悲哀の気配を感じ取った。本気で夜伽を要求している風には見えないのだが。
「で、どうなんだ?」
いや、この男は本気かもしれない。私に夜伽をしろと言っている。エルフである私に対して。
オリヴィアのエルフとしての矜持は傷つけられていた。生きてきた中で、これ以上の侮辱を受けたためしがない。
そもそも、恋愛というものすら分かっていない。好きな異性とか、なにをどうすれば夫婦になれるのかとか、知識が皆無なのだ。もちろん生殖行為もしたことがない。
なんと無礼な…………。
しかしなぜ「性癖を満たせ」などという変わった条件を提示するのだろう、とオリヴィアは疑問を覚えた。そのような条件を飲む依頼人が、本当にいるのだろうか。だが、よかれあしかれダンには一定の名声はあるようだし、力量はあるのだろう。そして依頼人たちはこの男と夜を……。
憤慨の思いと疑問がオリヴィアの胸中でないまぜとなっていた。私は娼婦ではない、誇り高いエルフだという怒りと、彼の提示する条件に対しての好奇心とである。オリヴィアは、今しがた彼の瞳から感じ取った、死と悲哀にその答えがあるのではないかと推測する。
エルフ族も人間族と同じく、個々人で生まれ持った性質や特性は異なる。エルフ族は勇敢で誇り高い種族であるが、それは彼らがみなすべからく、好戦的だと主張しているものではない。人間族と比較すると、性別や年齢を問わず、一定以上の戦闘技術を習得していることは特徴的である。だが戦闘よりも、ある事柄の研究に信念を傾けている者もいれば、よりよい暮らしを模索したり、効率的な統治機構を考え出すのに才能を見せる者などもいる。
オリヴィアは、エルフ族の中でも、他者の考えや感情を察知する能力が極めて高い。エルフ族は生まれつきその能力を持っているが、現在彼女に比類する者はいない。それに加えて、他者との関わりを大切にする心の持ち主であり、温和で外向的な性格だった。故にアレキサンドリアに遣わされたのだった。
彼女を遣わせた者たちの誤算は、彼女が自分たちの要請を呑ませるような駆け引きや搦め手、根回しなどの行為にほとんど無頓着で、なんの準備もしていなかったことだった。彼女の持つ金貨では軍隊は出動しない。時代が違えば、結果も変わっていたのかもしれなかったが、現世を生きるアレキサンドリアの人々からすると、エルフの森で起こった変事など知ったことではなかった。
「一つ、よろしいですか?」
オリヴィアの胸中にあった混沌とした感情は、ダンという男に対する好奇心が色を強くしていた。
なぜ、あの条件なのか。それが知りたい。
「なんだ?」
コップの水を飲み干し、ダンは期待の色を浮かべてオリヴィアに視線を向ける。
「なぜ、金貨や物的な報酬ではなく、その……あなたの性癖を満たすことが条件なのですか?」
「…………趣味だ」
素っ気ない返事だった。だがオリヴィアはダンの言葉が嘘だと分かる。
「でも」
「あなたには関係のないことだ」
鋭く切り込むような語調だった。
オリヴィアはダンの言葉から死臭を感じた。全身に怖気が走る。うなじから背中を伝って冷汗が流れる。言葉だけでこれほど恐怖を覚えたことはなかった。
二人の間に重苦しい雰囲気が立ち込めている。自分たちの周囲だけ、魔術で結界が張られているのではないかとオリヴィアは胸が圧迫される思いだった。
「これ以上なにもないのなら、失礼する」
ダンが立ち上がり階段へ歩き出そうとした時、クローデルがダンに声をかけた。
「ダン、ちょっと」
「…………なんだ?」
ダンがめんどくさそうな声を上げる。クローデルは顎を傾け、ダンをカウンターに呼びせ寄せていた。
「もうなんっかいも言ってると思うけど」
クローデルは両手を腰に当ててダンを睨んでいた。クローデルに睨まれると、体がすくみ上ってしまう。ダンは、よそから借りてきた猫の状態だった。
「なんだよ。話しは終わった。俺の条件を呑めないなら用はない。交渉決裂だ。…………もう寝かせてくれよ、頭が割れるかってくらい痛いんだ。頼むよ後生だから」
ダンは両手を合わせ、頭を下げてクローデルに懇願する。
だがクローデルは目の前にいる根無し草を解放するつもりはなかった。
「あのね、あんたのあれは交渉じゃなくて脅迫っていうの。分かる? もう後がない人に対して、とてもじゃないけど承諾できない条件を突き付けて、嫌なら帰れ。だぁ? あんたには人情ってのはないの?」
「知らねえよ。もう頼むよ~」
オリヴィアに見せていた威厳はとうに失せている。今のダンは自分の部屋の主人である、年下の勝気な少女に情けなく懇願することしかできなかった。
「だめ」
ダンの願いは無情な一言で切り捨てられた。ダンはがっくりとうなだれる。これから目の前の女主人がなにを言うのか、彼には痛いほど分かっていた。カウンターに呼び出された時点で、口論の勝敗は決まっていたのではないか。
「良い?」
「…………」
「返事は?」
「………………はい」
ダンとクローデルの二人は、オリヴィアが座る円卓のそばまでやってきた。オリヴィアがきょとんとした表情を浮かべ二人を見やっている。
「あ~……………………」
ダンはバツの悪い表情を浮かべながら、懸命に言葉を探したが出てこなかった。不思議そうにこちらを眺めているオリヴィアの顔を見ることもできなかった。
協力して向こうの望みを叶えてやる代わりに、自分の望みも叶えて貰おうとしただけなのに、どうしてこちらが一方的に折れなければいけないのだろう。理不尽だ。あまりにも理不尽極まる。これも全部、横でふんぞり返っているじゃじゃ馬のせいだ。
「あの、どうかなさいました?」
「…………」
まだ上手く返事ができない。ダンは頭を掻いて誤魔化すが、無駄なことだと分かっていた。だがそうせずにはいられなかった。
ダンを横目で見ていたクローデルがまたもや大きなため息をつく。一歩前に進み出てオリヴィアと視線を交わす。そして柔らかい語調で話し始めた。
「オリヴィアさん、さっきはお見苦しいところをお見せしてごめんなさいね。ダンが言ったことは全部忘れてくださって結構です。その代わりに、こちらにある金貨を報酬としていただいても構わないかしら」
円卓にはオリヴィアが持ってきた金貨の入った袋が投げ出されていた。何枚かの金貨が顔を出し、光沢を放っている。
「……それでは!」
椅子を押しのけるようにオリヴィアは立ち上がった。しっかりとした腰に飛ばされた椅子を見たダンは、物言わぬ無機物に恨めしい視線を投げかけた。
「ええ。ダンはこう見えてできる男です。きっとあなたの役に立ってくれますよ」
「ありがとうございます!」
クローデルの手をオリヴィアが強く握る。オリヴィアの手は白く透きって、見ているだけでも惚れ惚れするものだった。クローデルは絶世の美女と握手できたことに喜び、ダンにじっとりとした視線を送った。
「なんだよ」
ぶっきらぼうにダンが言う。顔にはまだ納得できないと書いてあった。
「まあこれで、ツケの少しは清算できたかな」
「うそつけ。釣りをもらってもいいくらいだぞ」
「あたしが少しと言えば少しなんだよ」
「横暴だ。あまりにも」
「ほら、さっさと支度してきな」
「え、もしかして今から行けって言ってるのか?」
「それ以外にどう聞こえたんだい?」
「無茶言うなよ。あと何時間もすれば日暮れだぞ。せめて明日まで待って」
「さっさと行く!」
クローデルはダンの筋肉質な背中をバンと叩く。ダンは肩を落とし渋々階段を昇っていった。なにやら小言を吐いていたが二人の耳にはとどかなかった。
「大丈夫なんでしょうか…………」
ダンの頼りない後ろ姿を、オリヴィアは不安気に見つめている。
「へーき、へーき。あんなんだけどきっと力になってくれるよ。あたしが請け負う」
「…………信頼されているのですね」
クローデルの笑顔と、自信に溢れた彼女の語調から、オリヴィアは二人が良い信頼関係の仲にあると察した。異性と付き合うというのは、こういうことを言うのだろうか。
「まあ、そうとも言える、かね」
「あの、クローデルさん」
「なんだい?」
「もしよければ教えて欲しいんです。なんでダンさんが報酬の代わりに、夜伽を求められるのか」
オリヴィアの質問を受けたクローデルは、目線を吹き抜けになっている天井にさまよわせていた。
「いきなりすみません。ただ少し気になったものですから」
「誰だって気になるよね」
クローデルはオリヴィアに同調する。相変わらず天井を見上げたままだった。オリヴィアが見たところ、どうするか逡巡している様子だ。
だが、意を決したのか、クローデルは言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。
「まあ、あたしも詳しいことは知らないけどね。孤独だったからさ。あいつも、私も」
「孤独、ですか」
「孤独だよ。まあ、あいつには少しの間、お師匠さんがいたらしいけどね」
「お師匠さん…………」
「なに話してんだ?」
ダンが支度を終え階段から降りてきていた。先ほどとなにも変わっていないように見える。腰に剣を帯刀していること以外、目立った変化はない。
「あんた、それで支度が済んだのかい?」
クローデルが怪訝な声をあげる。
「できた」
反抗期を迎えた子供のようにダンが応える。
「あっそ。ま、しっかり働いてきな」
「へいへい」
肩を落として店内を出て行くダンの姿をオリヴィアはまじまじと見つめていた。
クローデルの言葉が嘘だとは思えなかったが、彼が本当に頼りになるのか疑問を浮かべずにはいられなかった。
「ほらオリヴィアさんも」
「あ、はい! ありがとうございます。クローデルさん」
「困った時はお互い様だからね。今度来るときは、あたしのお客として来てね」
「はい! ぜひ」
オリヴィアの一礼にクローデルも軽い会釈で返礼する。
オリヴィアはダンの後を追ってヘブンズフィールを後にした。店内にはクローデル独りが残された。
話が途中で切れてしまったが、まあ良いだろう。
「さってと、今日も稼ぐか」
二人の無事をひそかに願い、中断していた仕事を再開した。




