第一話 その男、悪癖につき
霧雨が止まない日だった。鉛色の空が立ち込め、朝から気分を陰鬱とさせる。村で唯一の酒場であり宿屋を兼ねているヘブンズフィールの二階では、ダンが寝ぼけまなこを擦りながら起床しようとしていた。
寝室の外からドスドスと足音が聞こえてくる。店主のクローデルだ。こんな昼間から当てつけのように足音を立てる人物は他にいない。
きっと面倒ごとを押し付けられる。ここは狸寝入りで誤魔化すしかない。
そう思いながらダンは、覚醒しかけた意識を再び睡魔に委ね、夢の世界へと逃亡を図った。しかし、それを見越したかのようにドアは勢いよく開けられた。廊下の光が部屋に侵入し、戸口に立つ者の影を作り上げていた。
「ダン」
クローデルの良く通る声が響く。それにしても、まだ二十歳にもなっていないのに一人で店を切り盛りするとは大した気概のある少女だ、とダンは思う。生まれつきの性質なのか、それとも彼女の立場がそうさせているのか、分らなかった。
「どうせ起きてるんだろう? あたしは騙されないよ」
「……」
ダンは沈黙を貫こうとしたが無駄だと悟る。そして、たった今起こされたと言わんばかりの気だるい表情を浮かべながら顔を上げた。
「なんだよ……うるさいな」
寝ぐせまみれの頭を掻く。まだ寝たりないと大きな欠伸をして、再びベッドへ潜り込もうとしたが、クローデルが大股で近寄りダンの頭を平手打ちした。
「ッて!」
「さっさと起きるんだよ、ごく潰し」
クローデルが片眉を吊り上げて、ダンを見下ろしている。鮮やかな青色の髪の毛と、それに勝るとも劣らない深い青の瞳。均整の取れた顔は美少女に分類できるだろう。こんな辺境にいないで、王都にでもいれば順風満帆な生活が保障されるだろうに。ダンは一回りも年の離れた女店主を見返しながらため息を吐いた。
「別にいいだろ。店は夜からだし。あ、それに俺はこの前の手伝いでツケは清算したはずだぞ」
ダンは自分の家がない。衣食住のすべてをクローデルに頼っている身だった。村の他の男たちのように畑仕事をしているわけでもない。依頼が無ければだらだらと日々を過ごしている。
「馬鹿おっしゃい。たった何日か店を手伝ったところで、今までのがパーになるわけないだろう。ここの宿代だってまだなんだよ? しかも昨日さんざんっぱらバカ騒ぎしてたのはどこの誰なのさ」
「……さあな。なに、用事はそれだけか? 頭が痛いんだよ。俺は寝かしてもらうぞ」
ダンはとぼけた顔を浮かべてまた寝入りそうになっていた。
「とにかく! あんたに仕事だよ!」
「仕事?」
「そ! し・ご・と!」
「だから、頭がさ」
「うるさい! さっさと起きな! 下でエルフの美女が儚い顔をして待ってるよ!」
エルフ、美女、儚げな顔。ダンの脳はそれら三つの単語を認識するや、全身に向けて身支度を整える指令を出した。
先ほどまでの気だるそうな雰囲気は一切なく、黒い瞳をたたえる切れ長の瞼ははっきりと開かれる。桶にためていた水で顔を洗う。筋がまっすぐ通った鼻梁から水が滴り落ちていく。薄い唇を開け薬草で歯を磨く。ポケットナイフでシャープな顎の上で群れている無精髭をささっと剃り、寝間着を脱ぎ捨て、傷だらけの筋肉質な体を隠すように黒い礼服をまとった。
すべての動作が効率的で、機敏だった。最後につばの広い帽子を頭に被り、姿勢を正して部屋を出て行った。
「……はあ。まったく」
クローデルはため息をもらしてダンの後に続いた。
ダンは階上から一人のエルフが心細そうにして、パブで佇んでいる姿を見た。
「なんと……」
思わず声が漏れる。
あの陶器のような滑らかな肌はなんだろうか。光を宿した緑の双眸は不安の色を露わにし、それにつられて、絶世の美貌も悲し気な雰囲気に包まれている。腰まで伸びた金色の艶やかな髪。体を優しく抱擁しているようなドレスローブ。その上からでもはっきりと分かる、豊満な女性を象徴する二つの果実。そしてその果実は、どうやらどっしりとした木の幹の上で成っているようだ。
ダンは階段を飛び降り、他に類を見ないエルフの美女の目の前に着地した。
「お初にお目にかかります。ダンです。以後お見知りおきを」
ダンはうやうやしく一礼する。芝居がかった声だった。
「あの、オリヴィアと申します。よろしくお願いします」
オリヴィアは立ち上がり困惑気味に返礼した。ダンとオリヴィアの身長は丁度人間の頭一つ分の差があり、ダンはオリヴィアの美しい瞳を見下ろす形となった。
「立ったままではなんですから、座りましょうか。……クローデル」
気取った声でクローデルを呼ばわる。
「はいはい。どうぞ」
クローデルは慣れた手つきで二人にテーブルを用意した。
「ご苦労」
ダンはそう言うと、椅子に座るようオリヴィアを促した。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
オリヴィアが座り終えるのを待って、ダンも席に着いた。その合間に、クローデルが冷たい水の入ったコップを二つ円卓に並べた。
「ごゆっくり」
クローデルは笑顔だったが、それは無理やり作っているような表情だった。オリヴィアはそのことに気がついたが、ダンはまったく意識していない。
「うむ」
「クローデルさん、ありがとうございます」
オリヴィアがクローデルに礼を述べると、ダンは手を挙げて言った。
「なにオリヴィアさん、彼女は召使のようなものです。礼を言う必要はないのですよ」
オリヴィアの顔をまっすぐ見つめ、上流階級然とした態度でダンは話しかける。
「いい加減に!」
カウンターから平らな皿がダンの後頭部目掛けて飛んできた。
オリヴィアの気を惹こうと夢中になっていたダンは、奇襲攻撃に対処することができなかった。
「…………それで、ご用件は?」
先の態度とは打って変わって、しおらしくなったダンは、オリヴィアに仕事の内容を尋ねた。オリヴィアが口を開くまでむすっとした表情をクローデルに向ける。クローデルはダンの非難をまったく意に介さず店の準備を進める。
「はい。ええと……どこからお話しすればいいでしょうか。私、こういうの初めてで……」
「そんなに深く考えないで良いですよ。ここに来た経緯を教えてくれれば」
ダンは後頭部をさすりながら話を促す。
「分かりました。……話しは数週間前に遡ります」
オリヴィアは自分の故郷での異変を話し始めた。
数週間前、オリヴィアたちが暮らす森、すべてのエルフの故郷と言われるエンチャントリアの周辺で、未確認の動物種が目撃された。目撃したのは彼女の友人である、シェラフィムという男性エルフだった。
森の保護と管理はエルフたちの使命であった。放置して、仮にも人間族へ被害がおよべば、彼らは監督不行き届きで処罰の対象となった。エルフたちは調査団を編成し、目撃現場とその四方、更には森全域を調査しはじめた。
はじめはなにも手がかりがなく、シェラフィムの見間違いで片づけられそうになったのだが、調査開始から十日目、彼らは一部の森が変質していることに気が付いたのだった。原因は毒だった。変質した森とその周囲には、毒素が風に乗って猛威を振るっていた。草木をはじめとする生命と呼べるモノはことごとく死に絶えていた。
エルフたちは未確認生物の調査と、魔術を使った森の浄化作業に当たらなければならなかった。しかし事態は進展するどころか、悪化の一途をたどった。毒によって壊死する森が増えていったのだった。加えて彼らの浄化作業はまったく効果がなかった。エルフたちは断腸の思いで森を焼き払った。
そして三日前、ついにシェラフィムが見たという未確認生物が姿を現した。体はぬめり気のある鱗のようなものに覆われ、奇妙な光沢を放っていた。胴体からは太くて丈夫な四肢と、先端に頭部を持つ首と、気味の悪い異形な尻尾を思わせるものが伸びていた。頭部は鎧兜のような形で、落ちくぼんだ眼窩には、ほとばしる悪意をみなぎらせた瞳があった。手足の鉤爪は、生命を刈り取ることしか知らないようだった。
それは動物などという生易しいモノではなかった。エルフ族は理解した。これは魔物であると。しかし、彼らは魔物を恐れなかった。エルフ族は男女を問わず勇敢な種族であり、かつて勇者アレックスと共に魔王と戦った、英雄ラナリアの子孫であるという誇りがあった。だが、エルフたちの強い心と誇りは、すぐに暗澹たる思いに包まれてしまった。魔物がまき散らす毒と同じく、魔物の体はエルフの魔術を受け付けなかった。
魔物が歩いた道はすべてが毒に犯され、生命を失った。兜のような顔がひし形に開かれると、そこには無数の牙が生えており、捕らえた獲物は離さないという貪欲さが体現されていた。なによりやっかいだったのは、口の奥から伸びている先端が紫色で袋状になっている舌だった。魔物は舌からも毒をまき散らすことができ、その液体を被れば、溶かされ、瞬時に死んでしまう。戦いの中で、何人ものエルフが毒液の犠牲となった。
エルフは無駄だと分かりつつも魔術を駆使して対抗した。エルフの魔術は自然に作用するものがほとんどで、攻撃をするにも防御を固めるにも、草木や土が必要だった。だが魔物に触れた草や木は、溶解して粘り気のある液体となって大地を犯す病原となる。土も例外ではない。むろん、魔物の攻撃をそれらで完全に防ぐことも不可能だった。
切羽詰まったエルフ族は、オリンシア大陸の中央にある王都アレキサンドリアへオリヴィアを派遣した。オリヴィアは軍務省へ魔物の討伐を願い出たが、彼女の要請はことごとく却下された。途方に暮れ、失意と絶望とが胸中を支配していた折、オリンシア辺境にあるヘブンズフィールという酒場に、どんな依頼も引き受けてくれる腕利きの人間がいると聞いたのだった。
オリヴィアは藁にもすがる思いで、ヘブンズフィールの情報を聞き出し途中まで乗せてくれる馬車を見つけた。そして、道中譲り受けた駿馬を駆って今に至る。
「お願いです、どうか私たちを助けてください……!」
語り終えたオリヴィアの声は震えていた。故郷や仲間のことを思い出し、必死に懇願している。
クローデルは同情のまなざしを彼女へ向けた。一方、円卓を挟んでオリヴィアの話を聞いていたダンは、無表情のままで宙を眺めていた。
「一つ、訂正しなきゃならんことがある」
ダンはオリヴィアを見据え重苦しい語調で話し始めた。
「誰に聞いたかは知らん。だが俺はどんな依頼も引き受けることはない」
「そんな……!」
目尻に涙の雫をためてオリヴィアは立ち上がった。感情が昂り、白い透き通った頬には紅色が濃くさしていた。ダンは相も変わらず無表情のまま彼女を見上げる。
「依頼を受けるには、その対価となる」
オリヴィアはダンがなにを言いたいのか理解した。懐から金貨が大量に入った袋を持ち出し円卓に置いた。
「お金なら、報酬ならあります! だから……」
「いや。だめだ」
「え…………?」
オリヴィアの顔が失意に染まる。ダンは手を挙げてオリヴィアに座るよう促した。オリヴィアはへなへなと弱々しくそれに従う。
「報酬は要らない。代わりに、俺の性癖を満たしてもらう」
「……………………………………は?」
「はじまった」
ダンの真面目腐った顔を見て、クローデルはまた大きなため息をもらした。




