馴染む
「ソウタさん、起きてますか?」
マリアの声だ。
「……ああ」
返事をすると、彼女はぱっと笑顔を見せて入ってきた。
手には木の盆。香ばしい匂いが広がる。
「朝ごはんです。簡単なものですけど」
パンと干し肉、野菜のスープ。質素だが温かみがある。
ソウタは椅子に腰を下ろし、パンをちぎって口に運んだ。
「……うまいな」
「ほんとですか? よかった!」
マリアの瞳がきらりと光る。
その純粋な喜びに、ソウタは少しだけ胸を突かれる。
(利用する気でいたのに……なんなんだ、この子は)
スープを口に運んだ瞬間——
《好感度、上昇中》
耳の奥で声がした。
咄嗟にスプーンを落とし、ソウタは小さく息を呑む。
(……共犯者!)
ソウタはパンをかじりながら、わずかに笑った。
マリアにはただ、照れ隠しのように見えたかもしれない。
食事を終え、マリアに案内されて村を歩く。
畑で働く老人、駆け回る子どもたち。素朴な光景が広がっていた。
人々の視線がよそ者のソウタに注がれるが、マリアが隣にいるおかげで敵意は和らいでいる。
「森から助けられた人か」
「マリアが連れてきたのなら問題ない」
そんな声が聞こえ、ソウタは軽く会釈した。
(……最初の印象を握るのが大事だ。こいつらの信頼をどう操るか……)
《観察結果:この共同体は外部に慎重ですが、一度信用を得れば強固な関係が築けます》
(……つまり、口先ひとつで村ごと掌握できるってわけだ)
《表現は乱暴ですが、平たく言えば》
思わず口の端が吊り上がる。
詐欺師の血が騒ぐのを、自分でも感じていた。
(さて……ここでの“商売”を始めるとするか)
その呟きを、隣のマリアはただ無邪気な笑顔と共に受け止めていた。
しばらく歩くと、村の広場は、朝から騒がしかった。
牛の鳴き声、子どもたちの歓声、行き交う人々の足音。だがそのざわめきの奥に、不穏な響きが混じっていた。
「返せ! 俺のだ!」
「嘘を言うな、見たんだ、袋を隠してるのを!」
広場の一角で、二人の若い男が取っ組み合いをしていた。周囲に人だかりができ、子どもまで不安げに立ち止まっている。
「……ケンカ?」
マリアが不安そうに呟く。
「なんだか……畑で採れた作物の取り合いみたいです」
ソウタは群衆を押し分けながら前に出た。
争っている二人は、どちらも必死だ。ひとりは顔に泥をつけ、もうひとりは怒りに赤くなった目で相手を睨みつけている。
「いい加減にしなさい!」
マリアが声を張り上げるが、二人は止まらない。
殴り合いになろうとした、その瞬間——
「待てよ」
ソウタの低い声が割り込んだ。
彼の視線が二人に突き刺さる。
「どっちが嘘をついてるか、俺が見てやろう」
ざわめきが広がった。よそ者が口を出すことに、村人たちは眉をひそめる。だがソウタは平然とした顔で群衆の中央に立った。
(……さて、どう料理してやるか)
《観察結果:両者の言い分は真っ向から対立しています。このままでは収束しません》
(なら、俺の舞台だな)
ソウタは二人を順に見据えた。
「まずは話を聞こう。お前は?」
泥のついた男が叫ぶ。
「俺の畑から穫れたカボチャが消えたんだ! こいつが持ってるのを見た!」
もう一人が反論する。
「俺は拾っただけだ! 畑の端に転がってたから!」
「嘘だ!」
二人の怒号が飛び交う。
周囲の村人たちは困惑し、誰も仲裁に入れない。
ソウタはゆっくり手を上げた。
「静かにしろ」
声は落ち着いていたが、不思議な迫力があった。
人だかりが息を呑む。
(こいつらは真実を言ってるつもりかもしれねえ。だが問題は事実じゃない。信じさせることだ)
詐欺師の武器はいつだって「言葉」だった。
「なるほどな。つまりこういうことだろ」
ソウタはわざとゆっくりと言葉を紡ぐ。
「——お前は“盗まれた”と感じた。お前は“拾った”と思った。どっちも嘘じゃない」
二人が同時に口を開こうとするが、ソウタがそれを手で制した。
「だが、畑の神様は見ている」
ざわめきが広がる。
村人たちの中には十字を切る者までいた。
《畑の神……?》
(適当だ。だが効いてるだろ?)
ソウタは続けた。
「この村の収穫は“皆で分け合うもの”じゃないのか? もし誰かが独り占めしようとすれば、神は次の収穫を枯らすかもしれない」
その言葉に、群衆がざわついた。
農耕を営む彼らにとって、収穫の呪いほど恐ろしいものはない。
「だから、こうしよう。今ここで、このカボチャをみんなで分けて食うんだ。そうすれば神様も笑って許してくださる」
沈黙。
やがて、一人の老人がうなずいた。
「……確かに、その通りだ」
「よそ者のくせに、いいことを言う」
次々と賛同の声が上がる。
ソウタはわずかに口角を上げた。
勝負はついた。
「じゃあ決まりだな。おい、半分に切って持ってこい」
カボチャは広場に運ばれ、村人たちに切り分けられていく。
笑い声が戻り、さっきまでの険悪な空気は嘘のように消えていた。
マリアが感嘆の声を漏らした。
「……すごいです、ソウタさん。あんなに怒っていたのに、みんな笑顔に……」
「はは、ちょっとした話術さ」
ソウタは肩をすくめる。
だが内心では、心臓が早鐘を打っていた。
(……やっぱり俺は、こういう場面じゃ生き生きしちまうんだな)
《観察完了。あなたの社会的影響力が、この村で急速に高まっています》
(おだてんなよ。けど、悪くないな)
村人の中から、先ほどの老人が歩み寄ってきた。
白髪に深い皺を刻んだ顔で、しかし目は鋭い。
「お前、ただの旅人じゃないな」
周囲が息を呑む。
マリアも不安そうにソウタを見上げた。
ソウタは、にやりと笑った。
「俺はただの、口のうまい男さ」
その言葉に、老人はしばし沈黙し——やがて破顔した。
「はっはっは! 面白い奴だ! お前のような男は、この村に必要かもしれん」
笑い声が広場に響き、村人たちの視線がソウタに集まった。
不安と警戒の色は薄れ、代わりに興味と期待が混じり始めている。
(……いいぞ。これで足掛かりはできた)
《今の発言は長老格の人物による承認と解釈されます。あなたの影響力は確立されました》
ソウタは空を見上げた。
眩しい太陽の下、村人たちの笑顔が広がっている。
(適当な事を言っただけなんだが、こんだけ村人からの信頼を得られるとはね。それに、ちょっとだけ、心があったまるな)
その戸惑いを、ソウタは心の奥に押し込めた。