新たな世界1
――風が頬を撫でた。
湿った土と草の匂い。
青井蒼汰は、ゆっくりと目を開けた。
「…………は?」
目に飛び込んできたのは、見知らぬ青空だった。
灰色のアスファルトも、赤いブレーキランプも、耳に残っていたはずの衝突音も――どこにもない。
代わりに広がるのは、どこまでも続く草原。白い雲が流れ、鳥の影が舞っていた。
(おかしい。俺は……確か、あのトラックに……)
胸の奥が冷たくなった。
最後に見たのは、迫り来るヘッドライトの眩しさ。そして――諦めに似た静けさだった。
「……死んだんじゃ、なかったのか?」
声が震えた。
体を起こそうとした瞬間、胸に激痛が走る。思わず呻き声を上げる。
スーツの胸元は裂け、血に濡れていた。事故の傷がそのまま残っている。
(これは……夢か? それとも地獄? いや、痛い。痛みがあるってことは現実……?)
混乱した思考がぐるぐると回る。
詐欺師として何度も土壇場をくぐり抜けてきた蒼汰にとっても、この状況だけは理屈が立たない。
“筋道が立たない”ことが、何よりも恐ろしかった。
「動かないで!」
澄んだ声が、耳を打った。
反射的に顔を上げると、白い布を頭にかけた小柄な少女が駆け寄ってくる。手には布切れと水瓶。
少女は膝をつき、蒼汰の胸元に布を当てて血を拭い始めた。
「ひどい怪我……! でも、まだ助かるはず!」
その必死な姿に、一瞬だけ言葉を失った。
だが次の瞬間、職業的な本能が働いた。
(……なるほど。これはチャンスだ。わけがわからねえ状況だが――利用できる駒が目の前にいる)
蒼汰は呼吸を整え、口元に笑みを浮かべた。
詐欺師として鍛え上げた、“人を安心させる笑み”。
「助けてくれるのか。恩に着るよ、お嬢さん」
「よ、よかった……! わたし、マリア。村で薬草を採っていたら、あなたが倒れているのを見つけて……!」
「マリア、ね。いい名前だ」
少女――マリアの純真な瞳を見つめながら、蒼汰の胸の奥ではまだ混乱が燻っていた。
死んだはずなのに、生きている。ここはどこだ。なぜ。どうして。
だが、その答えを見つけるよりも先に――彼は詐欺師としての習性で、“今使えるもの”を数え始めていた。