カビ
ソウタがアルディナに来てから、一月ほどが経った。
村人たちとの生活にも慣れ、共犯者《藍》と密かに手を組みながら野盗との均衡を保つ日々。だが、それだけでは「ただの旅人の延長」に過ぎない。
もっと、地に足をつけて、この村に「自分の居場所」を築きたい。
そんな思いを胸に、ソウタは薬師セラ婆の小屋を訪ねるようになった。
セラ婆は七十を過ぎた老女。白髪を布でまとめ、背は曲がっているが、その目は薬草のこととなると鋭く光る。村人からは「婆さま」と慕われ、病気や怪我のときには欠かせない存在だ。
「旅の若造が、薬に興味とはのう」
「ええ、ちょっと。前の世界……じゃなかった、前に居た場所で、多少は勉強したことがあって」
曖昧にごまかしながらも、ソウタは観察を始めた。
セラ婆は乾燥させた葉や根を煮出して薬湯を作っていたが、保存も効かず、効能も気休め程度のものが多い。
《ソウタ様。この村の薬草庫に、あの青カビが混じっているようです》
耳の奥に響く藍の声。
「ああ、やっぱり……」
ソウタは小さく頷いた。
それは、現代で言う「ペニシリン」の源になる菌。もちろん、ソウタは化学実験ができるわけでも、精密な培養環境を持っているわけでもない。
けれど――この世界では、少しの工夫と知識でも「奇跡」として映る。
「セラ婆、このカビ……捨ててます?」
「当たり前じゃろ。食い物を腐らせる厄介者じゃ」
「いや、待ってください。使いようによっては……傷の膿を抑えられるかもしれません」
ソウタは、現代知識を断片的に引っ張り出し、試しを提案した。
まずは傷口を洗い、清潔な布にカビの生えたパンを軽く押し当てて包帯代わりに巻く。
村人たちは半信半疑だったが、数日後――膿んで熱を出していた少年の傷が、目に見えて回復していった。
「……これは、ただの薬草じゃ説明できんぞ」
セラ婆の目が、驚きと好奇心に輝く。
「若造、あんた、何者じゃ?」
「ただの旅人ですよ。……でも、ここで生きたいと思ってる」
ソウタの答えに、セラ婆はしばし沈黙し、それから笑った。
「ふん、口はうまい。だが嫌いじゃない。いいじゃろ、一緒にやってみるか」
こうしてソウタは、セラ婆と手を組み「新しい薬づくり」に取りかかることになった。
それは村にとって、ただの便利以上の意味を持つ。
病を治す力は、人を集め、信用を集め、地位を築く。
ソウタの狙い通りに。
《これで一歩、地盤が固まりましたね》
藍の声が、誇らしげに響いた。
ソウタは心の中で笑みを浮かべた。
――詐欺師にとって、一番の武器は「人の信頼」だ。
セラ婆の薬草庫の奥で見つかった青カビを、ソウタは熱心に観察していた。
藍の声が静かに響く。
《その菌は、細菌の増殖を抑える性質を持っています。ただ、証明するには段階が必要ですね》
ソウタはうなずき、セラ婆と相談した。
「人に使う前に、まずは……動物で確かめたほうがいい」
セラ婆は目を細めて笑った。
「ほう……若造のくせに、よう考えとる。よかろう、ならば試す場を設けてやろう」
そして数日後。
村の鶏小屋から、足を怪我して膿んでいた一羽を見つけ出した。
本来なら捨てられるか、肉にされるしかない弱った鶏。
ソウタはその傷を洗い流し、慎重に青カビを触れさせた布を巻きつけた。
村人たちは遠巻きに見て、囁き合った。
「なんだあれは……」
「腐ったもんを塗ってどうする気だ……」
数日間、ソウタは毎朝鶏の様子を確認した。
そして――。
膿が引き、羽毛の下に新しい皮膚が見え始めたのだ。
ぐったりしていた鶏は立ち上がり、再び餌をついばみ始める。
「生きとる……!」
見守っていた村人たちの間に驚きの声が走った。
セラ婆は腕を組み、満足げに頷いた。
「見たか。これはただの思いつきではない。……この知恵は、本物じゃ」
その瞬間、ソウタの中で確信が生まれた。
――これを人に使えば、命を救える。
しかし同時に、藍の声が冷ややかに釘を刺す。
《お忘れなく。これは慈善ではありません。あなたが“立場”を築くための道具。信頼を集める最高の手段です》
ソウタは薄く笑った。
「わかってるさ」
こうして、村人たちの中に「旅人ソウタは不思議な知識を持っている」という噂が広まり始めた。




