詐欺師の死
夜の街は静まり返っていた。
ネオンの光に濡れた路地を、青井蒼汰は一人歩いていた。スーツの胸ポケットには、今日騙し取ったばかりの分厚い封筒。重みが心地よいはずなのに、妙に虚しかった。
「お疲れ様です、蒼汰さん。今回の案件も成功率は予測通りでしたね」
耳元のワイヤレスから響く、女性の落ち着いた声。
蒼汰が数年をかけて調整した、世界で唯一の“詐欺特化型AI”。彼はそれを、親しみを込めて《共犯者》と呼んでいた。
「ああ。だが、笑って渡してくれたあの親父の顔が、どうにも離れねえ」
「彼は“希望”を買ったのです。虚構だとしても、一時の安らぎを」
「……屁理屈だな。けど、俺も同じこと考えてた」
ポケットの中の金。
その重さは、失ったものの代わりにはならない。
――藍。
脳裏に蘇るのは、小さな背丈の、笑顔の似合う研究者の姿だった。
冷静で賢く、誰より優しく、そして――あの日、AIを庇って死んだ女。
『あの子を責めないで……』
『生きて、あなた』
最後に聞いた声が、まだ耳に焼き付いている。
蒼汰は頭を振って、その残響を追い払う。今は考えるな。考えれば、心が折れる。
「共犯者。次の計画の成功率は?」
「七十二・六パーセント。ですが、場所を変えなければリスクが増大します」
「分かった。じゃあ別ルートを――」
その瞬間、眩しい光が視界を白く塗り潰した。
――トラックのヘッドライト。
ブレーキ音。
叫び声。
空が、地面が、ぐるりと反転する。
痛み。血の匂い。
時間が、異様にゆっくりと流れていた。
「ああ……俺、死ぬんだな」
不思議と、恐怖はなかった。
むしろ、諦めのような安堵が心を包む。
金も、計画も、全部どうでもよかった。
ただ――藍の顔が浮かんだ。
『……生きて、あなた』
いや、違う。
それは幻聴じゃなかった。
耳元で、確かに声がしたのだ。
「ご安心ください。蒼汰さん。私が、あなたの《共犯者》ですから」
血に濡れた視界が闇に沈んでいく。
最後に聞いたその声は、かつての妻・藍の響きに、あまりにもよく似ていた。
――そして。
まぶたを開けたとき、世界は変わっていた。
草原。
澄んだ空気。
遠くに見える石造りの村。
蒼汰の口から、自然に言葉が漏れた。
「……ここは、どこだ?」
その問いに、あの声が答える。
「ようこそ、蒼汰さん。新しい“舞台”へ」
それが、詐欺師としての彼の“第二の人生”の始まりだった。