闇の商談
朝靄の残る村の広場。
壊れた柵を見回りながら、憲兵ダリオは眉間に皺を寄せていた。鋼の鎧は陽光を弾き返し、その佇まいは村人に頼もしさを与えている――だが、当の本人は疲れを隠せない様子だった。
「……昨夜の被害は小さくはないな。」
焼け落ちた倉庫、奪われた家畜、女たちの泣き声。ダリオの視線は、村長やマリアの方へと重く向けられる。
その背に、ソウタが歩み寄った。
「お困りのようですね、ダリオさん。」
「旅人か。」
ダリオは振り返り、しばし無言でソウタを見据えた。
「お前……ただ者ではないな。村人と違い、昨夜も冷静だった。何者だ?」
ソウタは軽く肩を竦め、柔らかな笑みを浮かべる。
「何者か、ですか。……まあ、裏道を歩いてきた者だとだけ。」
ダリオの眼差しが鋭さを増す。
「裏道、か……。ならば好都合だ。俺はこの村を守るため、野盗を討たねばならん。奴らを放置すれば、いずれ村は滅ぶ。だが憲兵の増援は数日後まで来ない。」
そこで、ダリオは一歩近寄る。
「協力してくれ、旅人。お前の眼と耳が要る。」
ソウタは口元を抑え、少しの間、思案する素振りを見せた。
(表の顔を見せるのはここだ……)
やがて、落ち着いた声で答える。
「……わかりました。俺にできることがあるなら。」
ダリオの硬い表情が、わずかに緩んだ。
「助かる。明晩、奴らが再び来ると踏んでいる。見張りを立てるが、数が足りん。お前は俺の側で動け。」
ソウタは深々と頷いた。
「承知しました。」
――その夜。
月が昇る頃、ソウタは人目を避け、村外れの森へ足を踏み入れた。
茂みの奥から現れた影、十数人。粗末な鎧に汚れた刃物を下げた男たち。頭目は一際大きな体躯で、片目に古傷を刻んでいる。
「おう……“旅人”さんじゃねえか。」
頭目はにやりと笑い、懐疑の眼を細めた。
「憲兵と話してたな。裏切りに来たのか?」
ソウタはゆっくりと両手を広げ、敵意がないことを示す。
「裏切り? とんでもない。むしろ――“商談”を持ってきたんです。」
「商談、だと?」
「ええ。」
ソウタは低く笑みを浮かべ、声を潜める。
「明晩、憲兵が仕掛けてきます。俺も案内役として同行することに。つまり……奴らの動き、配置、すべて俺の耳に入る。」
頭目の笑い声が闇に響いた。
「ほぉ……それを俺たちに流すってわけか。」
「その通り。」
ソウタは一歩踏み出す。
森の奥、焚き火に照らされた頭目の顔は、笑みとも威嚇ともつかぬものだった。
「……憲兵の動きを教える代わりに、何を望む?」
ソウタは口元を緩め、少しだけ黙り込んだ。
その沈黙は計算された間合い。焚き火の爆ぜる音だけが響く。
やがて彼は静かに言葉を落とした。
「俺が欲しいのは……“地位”だ。」
「地位?」頭目は怪訝に眉をひそめる。
「俺は旅人です。根無し草で、どこにも属さない。飯を食い、寝床を借りても、すぐに追い出される。だが――この村には、居場所を得たい。」
ソウタの目が焚き火に反射し、獣のような光を宿す。
「あなた方の力を借りれば、簡単です。村を困らせ、俺が解決の口を利く。恩を売ることで、やがて俺は信用を得る。やがて村の中で、物事を決める立場に上がる。」
頭目は低く唸り、仲間の顔を見渡した。
「ほう……俺たちを“道具”にするってわけか。」
《正確には、利益を最大化するための連携です。あなた方に損はありません》
藍の声が、淡々と空気を割った。
ソウタは頷き、さらに踏み込む。
「俺が村に根を下ろせば、あなた方はずっと“外”に居られる。潰さずとも、鶏小屋から卵を抜くように、必要なときに必要な分だけ取れる。俺が間に立ち、村と野盗の距離を調整する――そうすれば、誰も大損はしない。」
頭目の口元がにやりと吊り上がった。
「面白ぇ……旅人風情が、村の中で鶴の一声を得ようってのか。」
ソウタは微笑を返しつつ、背筋を正した。
「ええ。俺は流れ者をやめたい。根を張るために、あなた方の力を借りる。……その代わりに、俺は“内側”の窓口を差し出す。互いに、損はないはずです。」
焚き火の火花が舞い上がり、頭目の片目に映る。
しばしの沈黙のあと、男は乾いた笑いをあげた。
「……いいだろう。お前の口車、乗ってやる。ただし――裏切れば、真っ先に串刺しにすんぞ。」
ソウタは平然と笑みを崩さず、深く頷いた。
「それで結構。俺は裏切らない。……俺は、ただ“居場所”が欲しいだけですから。」
夜風が森を揺らし、火の粉を散らす。
その光の中で、ソウタの影はゆっくりと伸び、村に根を張ろうとする彼自身の欲望を象徴しているようだった。