憲兵
翌朝――。
アルディナ村の空は、昨夜の煙の匂いをまだわずかに残していた。焦げついた木の香りが鼻を刺し、破壊された柵や家屋の痕跡があちこちに点在している。村人たちは黙々と瓦礫を片づけ、失われたものを取り戻そうと必死に動いていた。
ソウタは、その光景を少し離れた場所から眺めていた。自分がこの村に来て間もないのに、村人たちは守るために戦い、そして確かに被害を受けた。
「……重いな。」
思わず口に出した呟きに、《それが現実です。隠すことも、軽くすることもできません》と、共犯者の冷ややかな声が耳に響く。
ふと視線を移すと、マリアが立っていた。彼女は片手に血のついた短剣を握ったまま、村の広場に集まる村人たちを前に声を張り上げた。
「――聞いてください!」
普段の柔らかな声音ではなく、鋭く研ぎ澄まされた叫びだった。
「昨日、奴らに大切なものを奪われました。家畜も、穀物も、そして心の安らぎも。私は……絶対に許せない。絶対にです!」
村人たちは一様にうなずいた。恐怖に顔を曇らせる者もいたが、その中心に立つマリアの姿は、まるで炎そのもののように強く、揺るぎない。
ソウタは胸の奥でざらついたものを感じた。
「この娘……強いな。」
ただ守られる存在ではない。彼女は、村そのものを守る覚悟を背負っている。
その時だった。広場に、馬蹄の音が響き渡った。
数頭の馬にまたがる男たちが土煙を上げて現れ、その先頭に立つ一人が鋭い目で村人たちを見渡す。鎖帷子の上に深緑の外套を羽織り、腰には制式の剣。肩には町の紋章を示す銀の徽章が光っていた。
「……憲兵だ。」
村人の誰かが呟く。
馬から降りた男は、三十代半ばほどの精悍な顔立ちだった。
「私は、近隣の町レイガートから派遣された憲兵、ダリオ・レインズだ。」
低く通る声が広場に響く。
「昨夜の襲撃は報告を受けている。野盗どもはこの周辺で繰り返し悪事を働いている。……必ず討伐する。」
マリアは鋭い眼差しで彼を見据え、一歩前に出た。
「……どうか、本当に討ってください。あの者たちを放置すれば、私たちは何度でも被害に遭う。私は、許せないんです。」
その言葉には怒りと悲しみが混じっていた。ダリオは短く頷くと、ソウタの方に視線を移した。
「お前は……昨日来たばかりの旅人と聞いたが。」
ソウタは少し肩をすくめて返す。
「ええ、まあ……運が悪かったというか。」
ダリオはじっとソウタを観察する。
「だが、戦いの最中に動いたらしいな。村人からも名を聞いた。……何者だ?」
喉がひりつくような緊張感が走る。ソウタは一瞬だけ逡巡し、心の奥で《どう答えますか?》と共犯者の声が響いた。
(どうって……まだ“何者”でもないんだよな、俺は。)
「ただの流れ者ですよ。昨日は……目の前で誰かが倒れるのを、見過ごせなかっただけです。」
それを聞いて、マリアがわずかに目を細めた。彼女は一歩、ソウタに近づき、皆の前で静かに言った。
「私は、この人を信じます。」
広場に沈黙が落ちる。村長が、深くうなずいて補足した。
「彼は……この村に来たばかりだが、わしらを助けてくれた。それは事実じゃ。」
ダリオは腕を組んで黙考し、やがて小さく吐息をもらした。
「……そうか。ならば、こちらとしても力を借りることになるやもしれん。」
その言葉に村人たちの間からどよめきが起こった。
憲兵という権威と、旅人という異物。二つが交わった瞬間だった。
ソウタは内心で苦く笑った。
(……なんか流れで、どんどん立場が出来上がっていくな。)
そして耳の奥で、共犯者が冷ややかに囁いた。
《あなたは、舞台に引きずり出されたのです。観客の前に立った以上、演じ続けねばなりません》
ソウタは胸の奥で、深く息を吐いた。
(そうだな……だったら、俺のやり方でやらせてもらうさ。)