村の敵
夜は更け、囲炉裏の火が赤く揺れていた。
薬師が帰ったあと、しばし沈黙が続いていたが、やがて村長がゆるやかに口を開いた。
「……ソウタ殿。知っておかねばならぬことがある」
低い声に促され、俺は思わず背筋を伸ばす。
隣では、マリアが真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「アルディナは小さな村じゃ。山に守られてはおるが、その分、助けも遠い。
我らが暮らしを脅かすものが、二つある」
「脅かすもの……?」
「ひとつは、野生の獣よ。冬を越せぬ熊や狼が、飢えに任せて畑を荒らす」
村長は眉間に皺を寄せ、続ける。
「もうひとつが……野党じゃ」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの肩が小さく震えた。
彼女は視線を落とし、震える声でつぶやく。
「彼らは……容赦しません。家畜を奪い、作物を踏み荒らし……抵抗した人を、傷つけて……。村の男たちだけでは、とても……」
「野党って……盗賊か?」
俺は唇を歪めて訊き返す。
「いや……」村長は深い吐息をもらし、首を振った。
「頭を張るのは、もとはこの村の者じゃ。素行が悪く、村にいられぬほどに問題を起こし、追放せざるを得なかった……。だが今や、徒党を組み、武器を持ち、村を脅しておる」
炎がぱちりと弾け、村長の皺深い顔を赤く照らす。
マリアは唇を噛み、両手を固く握りしめている。
……裏切り者。しかも身内。
胸の奥でざらついた感情が広がる。
(悪党がのさばってる……だと? しかも、かつて村の人間だったって?)
《脈拍上昇。あなた、興奮していますね》
共犯者の声が、耳の奥にひやりと響いた。
鼓膜をくすぐるその響きは、心臓の鼓動よりも正確に俺を見抜いてくる。
(……そういうことか。つまり、カモだな)
思わず、口角がつり上がるのを感じた。
狡猾な悪党ほど、落としたときの爽快感は格別だ。
俺は“食われる側”にはならない。俺が喰う。俺が狩る。
《注意を。あなたには兵も武器もありません。しかし、“言葉”なら無尽蔵にあります》
「……へぇ。面白くなってきやがった」
独り言のようにこぼした声に、マリアが驚いたようにこちらを見た。
はっとして慌てて笑みを引き締める。
「いや、すまん。ただ……心配するな。俺はな、食われるのは大嫌いなんだ。
どうせなら、喰う側に回らせてもらうさ」
一瞬、重苦しい空気が張り詰めた。
しかし、村長はじっと俺を見つめ、やがて目を細めてうなずいた。
「……ソウタ殿。言葉に、力があるのう。おぬしがここに来たのは、運命やもしれん」
囲炉裏の火が、再びぱちりと弾けた。
その光は、わずかながら希望の色を帯びていた。