バルドとマリアとセラ婆
「―ソウタ殿」
低く、よく通る声。
正面に座る老人は、豊かな白髭を撫でながら俺を見据えていた。
背は曲がっておらず、年齢を感じさせる皺の奥にも揺るがぬ強さが潜んでいる。
「改めて、自己紹介をさせていただく。わしはバルド。このアルディナ村のまとめ役をしておる。名ばかりの村長じゃが、長く生きたぶん、皆からそう呼ばれておるのじゃ」
「……村長、さん」
思わずそう口にすると、老人はくっくっと笑った。
「堅苦しくせんでよい。ここでは皆、わしを『爺さん』と呼ぶ。じゃが、外から来た者にはきちんと名を告げるのが礼儀でな」
その視線は穏やかで、どこか俺を試すようでもあった。
――なるほど、ただの田舎の長老じゃない。人を見る目がある。詐欺師として散々他人の裏をかいくぐってきた俺だからわかる。
「……わかりました。バルドさん、ですね」
返すと、老人は満足げに頷いた。
「そして――」
隣で背筋を正した少女が、小さな声を震わせながら続ける。
「わ、私は……マリアと申します。村長……おじい様の孫です」
俺を献身的に介抱してくれた娘だ。
改めて明るい場で向き合うと、艶のある栗色の髪が朝日に照らされ、瞳の中に金色の光が瞬いているのがわかる。
その美しさに一瞬言葉を失い――いや、いやいや。今はそんな場合じゃない。
「マリアさん、改めてよろしく」
「は、はい。その……もうしばらくの間は私がソウタさんのお世話を……いたします」
頬を赤く染め、指先をもじもじと絡める仕草。
どう見ても素朴な村娘なのに、なぜか胸を打たれる。
俺は咳払いしてごまかした。
「……ありがたく、お世話になります」
(まずいな。利用する気満々だったはずなのに、こう正面から向けられると……心が揺さぶられる)
場に少し沈黙が落ちた、そのとき。
コンコン、と戸口を叩く音が響いた。
「おう、まだ話の最中かね? 旅人の具合を診に来たぞ」
入ってきたのは、小柄で背の曲がった老婆だった。
腰には乾いた草束をいくつも提げ、独特の匂いが部屋いっぱいに広がる。
その手は節くれだっており、長年薬草を扱ってきたことを物語っていた。
「セラ婆か。ちょうど良いところじゃ」
村長――バルドが嬉しそうに声を掛ける。
老婆は俺を一瞥し、顎をしゃくった。
「ほう、こやつが例の流れ者か。ふむ、まだ青白いな」
有無を言わさず俺の脈を取り、額に掌を当てる。
その冷たい指先に思わず肩が震えた。
「まあ、まだ本調子じゃなかろうよ。だが丈夫そうな骨じゃ。養生さえすれば働けるようになる」
そう言い捨てると、腰の袋から小瓶を取り出し、茶色い液体を注いで差し出す。
「飲め」
「……いや、その、これは?」
「毒じゃ。試しに死んでみるか?」
「……冗談きついな」
渋々一口含んだ瞬間、強烈な苦味が舌を襲った。
思わず顔をしかめて咳き込む。
「うぷっ……これは……!」
「ふふっ……ごめんなさい。その、おばあ様のお薬は効くんです」
マリアが袖で口元を隠しながら笑う。
先ほどまでの緊張が解け、場の空気が一気に和んだ。
――なるほど。
この村は辺鄙で、外界との行き来も少ないだろう。
だがこうして役割分担がしっかりしている。
長老としての村長、村を支える孫娘、そして薬師。
俺にとっては初めての舞台だが、この人々の網の中に入り込む余地はある。
「……ありがとうございます。少し元気が出た気がします」
「口は達者なようじゃな。まあ、よかろう。無理は禁物ぞ」
セラ婆がそう言って腰を下ろすと、バルドが再び俺に向き直った。
「ソウタよ。わしらはおぬしに期待しておる。外から来た者が、この村に新しい血と風を運んでくれることを――」
言葉は穏やかだったが、その奥に込められた意味を俺は察していた。
閉ざされた村で生き延びるために、外から来た俺の存在は貴重だ。
ただの客人ではなく、未来を担う者として迎えようとしているのだ。
そしてマリアが、ほんの少し恥じらいながら言葉を継いだ。
「だから……ここに、定住していただけたら……と。私も、その……できる限り、お手伝いします」
俺は視線を逸らし、深く息を吐いた。
(やれやれ。詐欺師としては美味しい話だ。だが――どうにも胸の奥が落ち着かない)
広間に差し込む光は明るく、木々のざわめきが聞こえる。
アルディナ村の一日が始まろうとしていた。