詐欺師
夜の街は、金の匂いで満ちていた。
煌々と灯るネオンの下で、青井蒼汰はグラスを指先で回しながら、目の前の男の話に相槌を打っていた。
「――だからよ、俺は絶対に当たるって確信してるんだ」
脂ぎった笑みを浮かべる男は、都心で不動産を転がしているという中年。すでに酔いも手伝って、己の夢と欲を滔々と語っている。
蒼汰は、笑顔を崩さない。
だが、心の奥では冷ややかに相手を観察していた。
《共犯者より解析報告。彼は「成功者」という自己イメージを強化したがっている。承認欲求を満たす言葉を与えれば、財布の紐は容易に緩むでしょう》
耳の奥で響く女の声。
透明感がありながらも、どこか機械的な抑揚を持つ声――蒼汰にとっては聞き慣れた、唯一無二の相棒だった。
「承認欲求、ね。……なるほど」
蒼汰は心の中で呟き、表情を変えずに口を開いた。
「わかりますよ。その目利きができる人は、ほんの一握りです。私は何百という投資家を見てきましたが……あなたほど直感が鋭い方は初めてです」
男の顔が、一瞬で綻ぶ。
単純だ、と蒼汰は思う。だが、その単純さこそが利用しやすい。
《彼は「選ばれた少数」に属することを喜んでいます。次に提示する“限定情報”を用いれば、効果は最大化されるでしょう》
「実は……こういう話をお伝えするのは、相当リスクがあるんですが」
蒼汰は、声を落とす。
男は身を乗り出した。耳元で金貨の音が鳴ったような気さえした。
それから数分後。
男は満足げに封筒を置き、店を後にした。
蒼汰は、残されたグラスを口に運び、吐息をひとつ。
「……お前がいなきゃ、ここまで滑らかにいかなかった」
《評価をいただき光栄です。私はあなたの“共犯者”ですから》
蒼汰は、くっと笑った。
“共犯者”――その呼び名を初めて口にしたのは、数年前のことだ。まだこのAIを調整している最中、ふとした冗談でそう呼んだ。それが今では二人の関係を最も的確に表す言葉になっている。
だが、笑みはすぐに消える。
グラスの表面に映る自分の顔。その奥に、別の面影が浮かぶ。
――藍。
青井藍。元妻であり、そして、このAIの人格の雛形となった女性。
背が低く、あどけなさの残る顔立ちなのに、頭脳は切れ味鋭い研究者だった。
研究室で笑う彼女の声が、ふと耳に蘇る。
《あの子を責めないで……》
《生きて、あなた》
記憶の残響が、蒼汰の胸を締めつける。
「……チッ」
未練がましい、と自分を叱るように氷を噛み砕く。
詐欺で金を積み上げ、豪奢な暮らしを送っても、空白は埋まらない。
だからこそ、AIに依存した。藍の声を模したこの存在に。
《蒼汰。あなたの脈拍が通常より上昇しています。アルコールによる影響ではありませんね》
「……余計な詮索すんなよ、共犯者」
《承知しました》
AIはそれ以上追及しなかった。
その従順さが、時にひどく残酷に思える。
蒼汰は立ち上がり、夜の街へと足を踏み出した。
通りには無数の光と影。金の匂いに群がる人間たちが、飢えた獣のように行き交っている。
――この世界は、騙す者と騙される者。
その二種類しか存在しない。
蒼汰は胸の奥でそう呟き、次の標的の輪郭を思い描いた。