前編
遺書
2025年8月9日、私は死ぬことにしました。突然何言ってんだってかんじだよね、ごめん!でもたくさん考えた結果なんだ。そこであゆむちゃんにはわたしのからだを埋めるのをお願いしたいの。知らない人に体触られるのも嫌だし、頼れる人もいなくって、、、これこそ一生に一度のお願いってやつ(笑)私重いし大変だと思うんだけど、どうか引き受けてください、お願いします。全財産、お金持っていくから、それをお礼として受け取ってください。通報されてけいさつに処理されるのは嫌だからどこで死ぬかは言わないでおきます。わがままでごめんね。あゆむちゃんなら見つけてくれると信じてます!
8月9日午前
便箋一枚と貸したっきりのCD、それに交通費と書かれた封筒に2万円。レターパックにはヒントになるようなものは入っていなかった。なんでこんなことになったかな。溜め込みがちな子だったとはいえ、こんなことをする子じゃなかったのに。
「にんじん!」なげだされたオレンジ色の物体はテーブルを大きく跳ねて床に消えた。
「にんじんさん悲しんでるよ。投げられて痛いよーって」下手な芝居を打ちながらティッシュで落ちた人参をつかんでポッケに入れ、皿から新しい人参を息子の口元に運ぶ。私の無気力な顔を見てあきれられていると思ったのか、関心を引こうと自分から食べる。なんてかわいいやつだ。頭をなでて褒めてやり、もう一度レターパックを手に取って差出人を確認してみる。紗季は学年で一番字が上手かった。相羽紗季。ただのボールペンでも、嫉妬に溢れていた中学生の私を思い出すほどに流麗でバランスのとれた字は、間違いなく彼女本人が書いたのだろう。住所欄にはもう何年も帰っていない地元の地名が書かれている。私が何年も苦労して手に入れた東京の暮らしも、郵便を出せば一日で届いてしまうほどに物理的には笑えてしまうほど離れていない。親友の遺書を目の前にしてそんな事実を気にしてしまう自分が嫌になる。新幹線で2時間。私が親友のもとに行くには、私はもう一度あそこへ戻らなければならないのだ。
8月9日午後1
夕食を作り置き、息子を夫に任せ、キャリーバックに数日分の服とキャンプ用品を詰め込み家を出た。今日が土曜で夫も家にいたので良かったと思う。もう数日違えば一週間放置することになりかねない。夏場にそれだけ時間がたてば、きっと腐って目も当てられなくなるにちがいない。自販機で買ったお茶を一口飲んで、リクライニングを倒して目を閉じる。瞼はなにかにつかれたように重く、どっと疲れが押し寄せた。ここ数時間は何日になるかもわからない遠出の準備に追われ、ずっと気を張っていたから、あの郵便を受け取ってから初めての小休止に気が緩んだのだろう。
重い体を起こしスマホのメモ帳をひらいて今までの状況を書き出す。今持っている手掛かりは差出人欄に書かれてあった住所と消印だけ。消印は地元のものだから書かれてある住所と整合性はとれている。グーグルマップに打ち込み経路を調べる。私の地元は栄えた町から距離があり電車も通らない山間部にある。マップにピンが刺さっているところもやはりあたりは田んぼばかりが広がっているようなところで、後々のことを考えればタクシーよりレンタカーを借りてしまったほうがいいかもしれない。
「ただいま、車内販売を実施しております。」
車窓を覗くと周りの建物が乗り込んだ時より随分と背が低くなっている。電光掲示板をみるとあと2駅でつくみたいだ。パーサーを呼び止めコーヒーとシロップ二個を受け取り、ゆっくりと咀嚼するように飲み込む。腕を折りたたみながら小さく伸びをして、もう一度画面に向き直る。
当然書かれた住所にいない場合も考えないといけない。そのためにもっと情報がいる。ラインを開き友達リストをスクロールして適任者を探す。何でも知っていて口が軽く地元を出ていない子。これ以上ない人物にメッセージを送り返信を待っているとすぐに待ち合わせ場所を提案され、それを了承した。
8月9日午後2
待合場所に指定されたのは高級路線の某カフェチェーン。私持ちになるだろうと踏んでわざと高いところを選んだのだろう、彼女は昔からそういうやつだった。テラスで座る遥に向かい合うように座り、やってきた店員に注文を伝える。
「早速で悪いのだけれど、紗季のことで知っていることを教えてほしいの」
「どうして?あなた東京へ行って紗季とは疎遠なはずでしょう。それに私紗季とは仲良くないもの。何やってるかなんて知らないわ」
「知ってるはずよ、あなたはそういう人間だもの。」
「あなた自分の立場考えなさい。そういうもの言いをしていいの?」
やっぱりあの町の人間は嫌いだ。人の弱みを探し、人をコントロールすることしか頭にない人間達。
「もちろんお金は払うから。」
「いいわ、教えてあげる。あの子の家がどんなのか知ってるでしょ?それで少し前に市議会議員の息子と結婚したのよ。」
「誰。」
「同級生の平塚雅史。」
「あのボンボンか。」
「あの子家柄はいいからね。それでうまくいかなくって最近離婚したのよ。たしか紗季が旦那のお金をくすねたとか言ってたかしら。それ以上は知らない、雅史の連絡先くらいはサービスするよ。」
「ありがとう。でも連絡先はいらないわ。時間がないの、手っ取り早くいく。」
「あんたも大変ね、そこまですることもないのに。」
8月9日夕方
地元で平塚の名前を知らないものはいない。いつも町の金の流れと権力の中心にいたからだ。だからやつの家がどこにあるかは周辺の人間なら誰でも知っていた。数千坪ある屋敷の門の真ん前にレンタカーを止め、クラクションを鳴らす。しばらくすると使用人が姿を現し、私も車から降りる。
「私は重大な秘密を知っている。要求は一つ、平塚雅史と話をさせろ。」
応接室に通され、使用人が茶を持ってきた。こんな強行をしても一応は客として扱われているらしい。ふすま越しに足音が行きかうのが聞こえ、しばらくすると静かになった。そのなかを重くゆったりとした足音が近づきふすまをあける。
「久しぶりだね。君のことはよく覚えてるよ。」
にこやかにあいさつをして目の前に腰掛ける。シャツはきっちりとアイロンがかけられ、まさに好青年といった風貌だ。
「いきなり家に押しかけてくるのは勘弁いただきたいな。君も僕の電話番号くらい知っているだろう。」
「無駄話をする気はないの。紗季がいる場所を教えなさい。」
語気を荒げてテーブルをたたく。
「君は今東京で生活をしてるんだっけか。知らないのも無理はないけど僕らは離婚したんだよ。だから紗季がどこにいるかなんて僕は知らない。」
「私は紗季から聞いたあなたの秘密を知ってる。もし手掛かりをよこさないと、、、」
「どんな?」
気迫に思わず言いごもる。
「同級生が50人、僕と面識があるだけのやつも合わせれば数百人いてね。そういうやつの一部が金の無心に来ることもあるんだ。たいてい過去のことをばらすぞとか言ってね。でも僕は小さいころから政治家の息子だってことを意識してきた。そんな脅しに屈するほど生半可な気持ちで生きてないさ。」
汗が背筋をなぞる。
「わかった。たしかにあなたの政治生命を終わらせるような秘密は持っていない。私が持っているのは紗季の遺書だけ。」
「遺書?」
上着のポケットから取り出して差し出すと、雅史はおそるおそる広げた。あきらかにさっきまでの余裕綽々な表情とは違う、目に不安を住まわせた表情。どうやらまだ人の心があったらしい。こっちが通じてよかったと肩の緊張が解ける。
「遺書によれば今日死ぬらしい。だから私は最後にあの子に直接会いたいの。」
便箋をもったままうつむきうなだれている雅史に問いかける
「あなた紗季のことずっと好きだったでしょ。」
ばっと顔を上げる。顔は赤面し今にも泣き出しそうなくらいくたびれていた。
「紗季はどこにいるの。」
「紗季が仲良くしていた人がいる。トリミングの練習をそこでやらせてもらってたんだ。あいつずっと店開くのが夢だって。でもそれが親父にばれて、紗季が貯めてた開業資金を取り上げようとしたんだ。それで家から出て行ったっきり。」
「いくじなし。あんたが盾にならんで誰が紗季のことを。」
「私その人のとこ行ってみる。心当たりのある住所があるから。」
いつの間にか敷地内の駐車場に移動されていた車に乗り込み、挿しっぱなしにしていた鍵をまわす。遠くから雅史が駆け寄ってくるのが見え、窓を下げる。
「紗季は道具とかを置いておくために貸倉庫を借りてた。自殺するならきっとそこだと思う。」そう言い終わると門を開けてくれ、私は紗季の知り合いの家へ向かった。
8月9日夜1
一戸建てのチャイムを押すとカーディガンを羽織った30代くらいの女性が顔を出した。
「夜分遅くにすみません。相羽紗季のことをご存じありませんか。」
「相羽紗季ってもしかして平塚紗季ちゃんのこと?いつもうちの子のトリミングしてくださるあの?」
ドアからはゴールデンレトリバーがこちらの顔を覗き込んでいる。
「そうです。あの子と今連絡が取れなくて今探しているところなんです。」
「あらほんとに?昨日うちの子のトリミングしてもらったのよ。どこへいったんだろう。」
「紗季が倉庫を借りてる話はご存じありませんか?」
「あそこでしょ、ここから500メートルくらい離れたとこの。」
すっと刺された方向には確かに四角いコンテナが積み上げられたようなものがある。
「ありがとうございます。助かりました。」
「見つかったらよろしく言っておいて、あの子すっごく上手に切ってくれるの」
最後の会話には返事をせず、深くお辞儀をしてその場を後にした。
お読みいただきありがとうございます。