正義待ちの夜
「正しさ」とは何か。それは、誰が決めるのだろう。
この物語に出てくるのは、ただの市民と、ただの犯人と、そして“ただの対応”をする機関。どれも現実にいそうで、どこか現実よりも冷たく感じられる。
人は危機に直面したとき、誰を信じ、どこに助けを求めるのか。
そして、その“助け”がすぐに来なかったとき、何が心の中に残るのか。
本作『正義待ちの夜』は、そうした問いを読者の皆様に投げかける短い物語です。
静かな怒り、やり場のない焦燥、そしてどこかに置き忘れられた正義を、少しだけ想像していただけたら幸いです。
夜の路地は、雨上がりのせいでアスファルトが鈍く光っていた。街灯の下、俺は血のにじむ右手を押さえながら、息を整えていた。さっきまで、奴と揉み合いだった。
強盗だ。あいつは突然、後ろから襲いかかってきた。だが、運が悪かったな。俺は柔道経験者で、しかも今日は機嫌が悪かった。何とか地面にねじ伏せ、膝で押さえつけたままスマホを取り出す。
「……警察ですか。今、強盗を取り押さえてます。私人逮捕です。場所は──」
だが、電話の向こうの声は妙だった。最初は「安全ですか?」とか「加害者は動いていませんか?」と型通りに聞いてきたが、そのうち、無言の時間がやたらと増えてきた。
沈黙。何も返ってこない。
俺は耳にスマホを押し当てたまま、焦燥を抑える。
「……もしもし?」
ようやく返ってきた声は、乾いた、興味の薄い調子だった。
「……そろそろ、電話切りたくなりました? まあ、その程度の事件なんですよ」
言葉が凍りつくまで、時間はかからなかった。
「……は?」
「ほら、強盗って言っても、銃でも刃物でもないんでしょ? 軽いトラブルって判断ですよ。警官、もうちょっとで行きますんで。そっちはそのままで」
電話越しの声は、まるで遅延の理由を茶化すように言った。まるで俺が、面倒を押しつけてきた迷惑な市民であるかのように。
足元では、押さえつけられた男が呻いている。
この街は、いったいどっちが“犯罪者”なんだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、特定の事件や実在の人物に基づいたものではありませんが、「起こりうるかもしれない現実」を意識して書きました。
事件そのものよりも、事件の「あと」に起きる、心の中のざわつき。
犯人よりも、対処にあたる側の言葉が鋭く心を突くこともある――そんな経験をされた方も、もしかしたら少なくないかもしれません。
「正義」は、時に届くのが遅く、時に誰かの勇気を黙殺します。
でも、それでも、声を上げる人がいる限り、社会は鈍くても進むと信じたい。
そんな気持ちで、この短編を書き終えました。
また、どこかの“夜”で、お会いできたら嬉しいです。