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痣が告げる名  作者: 蜂丸
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第4章:詩の決闘

『継がれる声は、新たな物語を紡ぐ』

廃都《ル=ファルカ》。

 かつてここは輝かしい文明の中心地だった。千年の歴史を持ち、魔術と詩術の融合を追求した学術都市。世界中から優れた魔術師や詩人が集い、新たな力の可能性を探求していた場所。

 しかし今は、誰も住まない廃墟と化していた。五百年前、ある実験の暴走により、一夜にして都市全体が崩壊。生き残った者たちの語る恐怖の記録から、王国はこの地を「禁忌の都」と定め、地図から抹消した。

 セナとミラ、そしてイゼリナの三人は、神殿跡でヴェイルと対峙した後、彼の案内で都市の内部へと足を踏み入れた。

 「この先は、かつての大講堂跡だ。俺の…住処だ」

 ヴェイルはそう言って先導した。イゼリナは警戒しながらも、二人を見守るために少し距離を取って後ろから従った。

 廃墟を進む中、セナは奇妙な静寂に気づいた。音も風もない。まるで都市全体が時間の流れから切り離されたかのようだ。

 「不思議だな…」

 ミラも同じことを感じていたようだ。彼女はリュートの弦を軽く弾いたが、その音は異様に鮮明に、そして長く響いた。

 「ここは…音が特別なの」

 ミラは驚いた表情でセナを見た。

 瓦礫の間を進みながら、セナは様々な印や記号が刻まれた石板を発見した。詩術による封印陣や、音を永久に保存する残響石。それらが都市全体に点在していた。

 「これらの印…何の意味があるんだ?」

 セナがヴェイルに尋ねると、彼は足を止め、周囲を見回した。

 「この都市は、"一つの詩"のように構成されていたんだ。街路の配置、建物の高さ、広場の形状、すべてが一つの巨大な詩の一部だった」

 「何のための詩だったんだ?」

 「それは…俺にも分からない。だが、この街全体が詩であり、魔法陣だったんだ」

 都市を歩くにつれ、セナはその言葉の意味を実感した。確かに街の構造には一定のリズムがあり、廃墟となった今でもその名残を感じることができた。

 広い通りを抜け、崩れた橋を越え、階段を下りると、かつて大講堂だった建物の前に到着した。半壊した石造りの建物は、それでも壮大な威厳を漂わせていた。高い天井の一部は崩れ落ち、空が見えている。壁には精緻な装飾が施され、床には複雑な紋様が刻まれていた。

 「まるで……この街そのものが、誰かの詩だ」

 ミラの言葉に、セナは頷く。風化した石の表面には、かつての栄光と、突然の終焉が記されているようだった。

 そしてその"詩"の中央、かつて講堂だった建物の中心に、ヴェイルはいた。黒い詩衣を纏い、凛として立つ姿は、この廃墟にあって不思議な生命力を放っていた。

 「ここが俺の居場所だ。かつて詩と魔術が交わった聖地。今は…忘れられた場所」

 ヴェイルの声には、郷愁と憧れが混ざっていた。



 講堂の中央で、ヴェイルはセナとミラを見つめた。イゼリナは入口近くで警戒を続けている。

 しばらくの沈黙の後、ヴェイルは、セナとミラを見て微笑んだ。それは皮肉めいた、しかし何か悲しげな微笑だった。

 「……顔を見ればわかるよ。お前が"本物"の《戦詩人》なんだろ」

 その声は、どこか諦めにも似ていた。彼の瞳には、かつて王都から追放された少年の"終わり"が宿っていた。疲れと諦め、そして細い希望の光。

 「僕は…」

 セナは言葉に詰まった。本物というワードに、彼は居心地の悪さを感じた。自分こそが「偽物」ではないかという不安が、常に心の片隅にあったから。

 「そんな顔するな。褒めてるんだよ」

 ヴェイルはセナの表情を見て、小さく笑った。

 「神に選ばれた者と、選ばれなかった者。その差は何だと思う?」

 「痣の有無…だと思っていた」

 「そう、痣さ」

 ヴェイルは自分の胸に手を当てた。その下には歪んだ形の戦詩人の痣があることを、セナは知っていた。

 「痣がなければ、世界は何も与えてくれない。才能も、名前も、居場所も」

 ヴェイルの言葉には、長年の苦しみが滲んでいた。

 セナは勇気を出して尋ねた。

 「なぜ、痣を……奪った?」

 その質問は、これまでずっと彼の心に引っかかっていたものだった。痣の移植。神の摂理に背くその行為には、どんな理由があったのか。

 ヴェイルは静かに答えた。

 「選ばれなかったからさ。それだけのこと。痣がなきゃ、世界から見えない。名も、力も、未来も、くれやしない」

 彼はゆっくりと講堂の中を歩き始めた。その足音が、空虚な空間に響く。

 「俺は五歳の時から痣が現れるのを待っていた。十歳になっても出ない。十五歳になっても出ない」

 ヴェイルは自分の過去を語り始めた。貧民街で孤児として育ち、痣が現れることだけを希望に生きてきたこと。痣さえあれば、抜け出せると信じていたこと。

 「十八になった時、俺は王立職業院に願書を出した。痣はないが、詩の才能はあると信じていたからだ」

 彼は苦笑した。

 「当然、拒否された。"痣なくして才能なし"。それが世界の鉄則だからな」

 セナはその言葉に、胸が締め付けられる思いがした。もし自分に痣が現れていなかったら、父の鍛冶屋を継いでいたかもしれない。ミラとも出会わなかっただろう。痣がないというだけで、人生の可能性がここまで制限されるのか。

 「だが、俺は諦めなかった。詩を書き続けた。声に出して詠み続けた。それが世界に届くまで」

 ヴェイルの声は静かだが、強い決意に満ちていた。

 「そして出会ったんだ。本物の戦詩人と」


 講堂の中央に、ヴェイルは立ち止まった。そこには小さな石の台があり、その上には一冊の古い本が置かれていた。

 「これが、彼の遺品だ」

 ヴェイルはその本を手に取り、大切そうに開いた。ページには美しい筆跡で詩が書かれていた。

 「彼の名は、ラベン・ノイアー。王国でも指折りの戦詩人だった」

 ヴェイルは語る。

 「俺が奪った痣の持ち主――彼は、俺に詩を教えてくれた唯一の人だった。彼だけが、痣のない俺の才能を認めてくれた」

 ヴェイルの表情が柔らかくなる。思い出が彼を優しくしているようだった。

 「彼は俺を弟子にしてくれた。王立職業院に入れなかった俺に、本物の詩術を教えた」

 セナとミラは静かに聞いていた。ヴェイルの語る過去に、二人も引き込まれていく。

 「でも、戦場で……死んだ。北方との国境紛争で、彼は前線に送られたんだ」

 ヴェイルの声が震えた。

 「最期に、俺に痣を"託した"んだよ」

 ヴェイルは傍らの石椅子に腰掛け、遠い目をして続けた。

 『この痣、意味があるなら――お前が"使い切れ"。お前なら、俺の詩の続きを書ける。神に選ばれなくても、"伝える"ことはできるから』

 ラベンの最期の言葉を口にするヴェイルの目には、涙が光っていた。

 「痣の移植なんて、本来は不可能なはずだった。だが、彼は自分の意志で痣を"手放す"方法を見つけた。それは…痛みを伴う方法だったが」

 ヴェイルは自分の胸を露わにした。そこには黒く歪んだ痣が刻まれていた。セナの痣と似ているが、どこか不自然な形をしている。

 ヴェイルの胸の痣が脈打つ。それは確かに、セナのものと酷似していた。だが、その縁は黒く、まるで傷のように見える。

 「これは彼からの贈り物だ。彼の意志を継ぐために、俺はこれを受け入れた」

 「でも…」

 ミラが声を上げた。

 「それは、本当は神が決めるべきことじゃ…」

 彼女の言葉は途中で途切れた。ヴェイルの静かな視線に、言葉を飲み込んでしまったのだ。

 「神か?」

 ヴェイルは静かに笑った。

 「神は俺に何も与えなかった。だが、人は与えてくれた。それが俺の真実だ」

 彼の言葉に、セナは何も返せなかった。神の意志か、人の意志か。痣は誰のものなのか。その問いは、彼自身の中でも答えが出ていなかった。

 「俺は王国の秩序を乱すつもりはない。ただ…俺のように痣を持たない者たちに、希望を見せたかった」

 ヴェイルはセナを見つめた。

 「お前の詩と、俺の詩。どちらが本物か、それを試す時が来た」


 講堂の中央に、セナとヴェイルが向かい合って立った。

 ミラはセナの後ろに控え、リュートを手に準備をしている。イゼリナも緊張した面持ちで見守っていた。

 「ルールは簡単だ」

 ヴェイルが言った。

 「互いに詩を詠み、その力を競う。だが目的は破壊ではない。"真実の声"を見極めることだ」

 セナは頷いた。これは単なる力比べではなく、魂の対話。二人の戦詩人の、心の交流なのだ。

 「始めよう」

 ヴェイルが詠み始める。その詩は、静かに、だが圧倒的に空気を支配した。

 「生まれた声に名はなく

  選ばれぬ者の手には、炎も届かぬ

  だが我は奪う

  与えられなければ――この手で創るまで」

 ヴェイルの詩に合わせて、黒い光が彼の周りに渦巻き始めた。地面が揺れ、講堂の瓦礫が宙に浮く。崩れた柱の破片が、まるで意思を持つかのように動き始めた。

 その力は圧倒的だった。"中央紋型"を持つセナでさえ、息を呑むほどの迫力。これが"借り物の痣"の力なのか。いや、それだけではない。ヴェイルの言葉には、彼の魂そのものが込められていた。

 セナは深く息を吸い、自分の心を落ち着かせた。そして、ミラに目配せをした。

 ミラの指がリュートの弦を奏で始める。優しく、しかし力強い旋律。それはセナの心を開き、言葉を引き出す力を持っていた。

 セナも詩を返す。

 「奪う声には、痛みがある

  それを知るなら、もう奪うな

  灯りを継げ

  誰かの詩に、続きを与えろ」

 セナの詩がミラのリュートの旋律と重なり、青白い光となって広がった。ヴェイルの黒い光と交錯し、講堂内に美しい光の渦が生まれる。

 「継ぐことは、奪うことと違う」

 セナは続けた。彼の言葉は、単なる反撃ではなく、ヴェイルへの呼びかけでもあった。

 「受け継いだなら、次は渡せ

  詩は留まらず、流れゆくもの」

 その言葉に、ヴェイルの表情が僅かに変わった。驚きと、何か懐かしいものを見るような表情。

 「流れゆく?」

 ヴェイルは低く笑った。

 「ならば、止められるかどうか試してみる」

 彼は再び詩を詠み始めた。今度はより力強く、より激しい感情を込めて。

 「砕かれた希望を拾い

  壊れた夢を継ぎ

  俺は立つ

  神の意志に抗い、人の声を継ぐ」

 黒い光が増幅し、講堂全体を覆い始めた。石の破片が激しく動き、風が渦巻く。ミラは必死でリュートを弾き続けたが、ヴェイルの力は圧倒的だった。

 セナは後ろに下がり、膝をつきそうになる。だが、彼は踏みとどまった。

 「まだだ…」

 彼は自分の胸の痣に手を当てた。熱い。痣が彼自身の感情に呼応して熱を持つ。

 セナは己の中から、真実の言葉を探した。相手を倒すための言葉ではなく、心に届く言葉を。


 両者の詩が交錯する中、セナはふとヴェイルの目を見た。そこには強さだけでなく、深い孤独と悲しみが宿っていた。

 「彼の詩は強い…でも…」

 セナはミラに小声で言った。

 「強さの裏に、何か別のものがある」

 ミラも頷いた。彼女は音を通して、ヴェイルの心の声を感じ取っていた。

 「彼は…孤独なの」

 ヴェイルの詩は強かった。しかし――強さの根底には"孤独"があった。師を失い、社会から排除され、誰からも理解されなかった孤独。彼の詩はその孤独から生まれた叫びだった。

 セナはその理解を胸に、再び立ち上がった。

 「ミラ、もっと優しい音を」

 彼女は頷き、リュートの旋律を変えた。より温かく、より心に響く音色へと。

 その孤独に、セナは自分の言葉を重ねた。

 「一人で立った背中に、声が届くなら

  誰の詩も、無駄じゃない

  奪われたなら、返すこともできる

  忘れられたなら、綴り直せばいい

  声は、"やり直し"を許してくれる」

 セナの言葉は、魔術的な力を持つというより、純粋に心に届く言葉だった。彼の詩は空気を揺るがし、光を放ったが、それは破壊するためではなく、包み込むための光だった。

 ヴェイルの動きが止まった。彼の目に驚きの色が浮かぶ。

 その胸の痣が、共鳴するように震えた。セナの痣も同じように反応し、二つの痣が呼応するように光を放った。

 「なぜだ…」

 ヴェイルが呟いた。

 「なぜ、お前の言葉が…」

 そして、彼の中で、かつて痣を譲った詩人の声が甦る。

 『赦さなくていい。ただ、"継いで"くれ』

 ラベンの最期の言葉が、ヴェイルの心に再び響く。それは単に痣を受け継げという意味ではなく、言葉を、思いを、魂を継いでほしいという願いだったのではないか。

 「継ぐこと…」

 ヴェイルは呟いた。そして彼は、これまでとは違う詩を詠み始めた。より柔らかく、より深い感情を込めて。

 「師の声は今も響く

  闇を照らす灯火のように

  受け継いだ言葉は

  今、新たな命を得る」

 彼の詩に応えて、セナも詩を紡いだ。

 「継がれゆく言葉の力

  それは強さではなく

  誰かの心に届く温かさ

  そこに詩の真実がある」

 ミラのリュートが二人の詩を包み込み、講堂全体が柔らかな光に包まれた。黒と青の光が混ざり合い、美しい紫の輝きとなって広がる。

 力が交錯する中で、セナとヴェイルの痣が強く反応した。それは戦いではなく、共鳴。二つの痣、二つの魂が呼応し合う瞬間だった。


 光が徐々に収まり、風が静まった。瓦礫が崩れ、講堂は再び静寂に包まれた。

 セナとヴェイルは、向かい合ったまま立っていた。どちらも疲れた様子だが、目には新たな光が宿っていた。

 「…負けたな」

 ヴェイルが静かに言った。そこには敗北の悔しさより、何か別の感情が満ちていた。

 「勝ち負けじゃない」

 セナは首を振った。

 「これは…対話だ」

 ヴェイルは小さく笑った。そして、彼は詩衣を脱ぎ捨てた。

 「もう、必要ない気がするんだ」

 彼の胸の痣が、徐々に薄くなっていく。黒い縁が消え、次第に元の色に戻り、そして完全に消えていった。

 「痣が…!」

 ミラが驚きの声を上げた。

 「俺の詩は、もう誰かのじゃない」

 ヴェイルは穏やかな表情で言った。彼の表情には、これまでになかった安らぎがあった。

 「師の痣を借りずとも、俺の声は届くと…お前が教えてくれた」

 セナは何も言わず、ただ頷いた。

 「セナ。これからは、お前の詩を聴かせてくれよ」

 ヴェイルの言葉には、敬意と期待が込められていた。

 「だけど、お前も書け。お前だけの詩を」

 セナは真っ直ぐにヴェイルを見て言った。

 「俺たちの声は、消えない。……残せる。誰かの中に、ずっと」

 その言葉に、ヴェイルは静かに頷いた。

 「そうだな。書くよ、俺だけの詩を」

 二人は互いに理解し合ったようだった。対立から始まった関係は、今や相互理解へと変わっていた。

 「王都に…戻るか?」

 セナが尋ねた。ヴェイルは少し考え、頷いた。

 「ああ、戻る。責任は取らなきゃな。それに…」

 彼は周囲を見回した。

 「ここには、もう用はない。過去に囚われるより、新しい詩を紡ぐ時だ」

 イゼリナが近づいてきた。彼女は警戒を解き、三人に向かって微笑んだ。

 「では、王都に戻りましょう。王はお待ちです」

 四人は静かに廃墟を後にした。来た時とは違い、都市は少し明るく見えた。まるで長い眠りから覚めたかのように。


 三日後、一行は王都に帰還した。

 王城での報告会が開かれ、セナとミラ、そしてヴェイルの三人が王の前に立った。イゼリナも側に控えている。

 「よく戻ってきた」

 王は温かい声で彼らを迎えた。

 「すべての経緯は、イゼリナから聞いている。ヴェイル・ナスティア」

 王の視線がヴェイルに向けられた。彼は静かに頭を下げた。

 「陛下、私の行いをお詫びします。北門の破壊、魔力増幅石の盗難…すべて私の仕業です」

 「痣は消えたようだな」

 「はい。もう、必要ないと…気づきました」

 王は深く頷いた。

 「罰は与えられるべきだが…ここでは別の方法を取ろう」

 王はセナを見た。

 「セナ・ルクス。君の行いは称賛に値する。敵を倒すのではなく、理解することを選んだ。それは真の戦詩人の道だ」

 セナは恐縮して頭を下げた。

 「陛下、私は…」

 「君を"継承者"として認める」

 王の言葉に、大広間にいた全員が驚いた。

 「継承者?」

 「そう。新たな職業を与えよう」

 王は立ち上がり、セナの前に歩み寄った。

 「痣は神からの贈り物だ。だが、それをどう使うかは人の自由意志だ。君はその真実を示した」

 王は右手をセナの胸に置いた。セナの痣が光を放ち、その形がわずかに変化した。三本の線が絡み合う形から、巻物と羽根の形へと。

 「これより、君を《綴詩者バードクラフター》と名付ける」

 王は高らかに宣言した。

 「詩を紡ぎ、過去を記録し、未来を綴る者。痣の正当性でも、神の気まぐれでもない。自らが"綴る"ことで、職業に意味を与える存在」

 セナは自分の胸の新しい痣を見つめた。驚きと感謝と、そして新たな使命感が彼を満たしていた。

 「ミラ・ソナーレ」

 王はミラにも向き直った。

 「君もまた、新たな称号を与えよう。《共鳴奏者ハーモナイザー》。詩と音を紡ぎ、心を繋ぐ者として」

 ミラは感激に目を潤ませた。

 「ヴェイル・ナスティア」

 最後に、王はヴェイルに向き合った。

 「君の罪は重い。だが、同時に君の才能も認める。痣なき才能の可能性を示したことは、この王国の未来を変えるかもしれない」

 王は少し考え、続けた。

 「君には特別な任務を与える。《記憶詩人メモリア・バード》として、失われた詩術の記録と研究に当たれ」

 ヴェイルは驚いたように王を見た。

 「陛下…私を赦すのですか?」

 「赦すのではない。君の才能を正しい方向に使ってもらうのだ」

 王は微笑んだ。

 「ル=ファルカの研究を再開する。もちろん、慎重に。そして君には、その歴史と技術を記録してほしい」

 ヴェイルは深く頭を下げた。彼の目には、新たな希望の光が宿っていた。

 式典の後、セナとミラ、そしてヴェイルは王城の庭園で言葉を交わした。

 「新しい出発だな」

 セナが言った。

 「ああ。思ってもみなかった」

 ヴェイルは空を見上げた。

 「痣がなくても、才能は認められるということか」

 「そうみたいね」

 ミラが微笑んだ。

 「これからどうするの?」

 ミラの問いかけに、セナは少し考えてから答えた。

 「まずは父に手紙を書こう。すべてを報告して…新しい職業のことも」

 彼は自分の胸の新しい痣に触れた。《綴詩者》。詩を紡ぎ、過去を記録し、未来を綴る者。これが自分の新たな使命なのだ。

 「俺は研究に没頭するさ」

 ヴェイルは静かに言った。

 「痣なき才能の可能性…それを証明したい。俺のような者にも、道があると示すためにも」

 「共に進もうよ」

 セナは手を差し出した。ヴェイルはそれを握り返した。かつての敵が、今は仲間になっている。

 「綴詩者、記憶詩人、共鳴奏者…私たちの新しい物語が始まるのね」

 ミラがリュートを軽く奏でた。その音色は、新しい朝を告げるように明るく響いた。

 三人は王城の庭園から、王都の景色を見渡した。春の陽光が街を明るく照らし、新しい希望の象徴のようだった。

 それから数週間後、セナは村への短い帰省を許された。故郷リーヴスの村に戻ったセナを、父ゲルハルトは無言で抱きしめた。

 その晩、鍛冶場の炉端で、セナは父にすべてを語った。痣の真実、ヴェイルとの対決、そして新たな職業のこと。

 「《綴詩者》か…」

 ゲルハルトは言葉を噛みしめるように言った。

 「俺が言ったことを覚えているか?"職業"が人を作るんじゃない。お前が、その職業に"意味"を与えるんだ」

 「うん、覚えているよ」

 セナは微笑んだ。今ならその言葉の意味が、より深く理解できる。

 「父さんの言った通りだった。僕は…選ばれただけじゃなく、自分で選び始めたんだ」

 ゲルハルトは満足そうに頷いた。

 「お前の詩、聞かせてくれないか」

 その言葉に応えて、セナは詩を詠み始めた。故郷への感謝、父への愛、新しい道への決意を込めた詩。その言葉は空気を震わせ、小さな光の粒を生み出した。

 鍛冶場が温かな光に包まれる中、父と息子は静かに語り合った。

 帰省を終え、王都へ戻る道中。セナは村の外れで、かつて出会った空白者の少年と再会した。彼は今も痣を持たないが、木彫りの技術を磨いていた。

 「僕は痣がなくても、これが好きなんです」

 少年は誇らしげに自分の作品を見せた。精巧な木彫りの鳥。

 「素晴らしいな」

 セナは心から感心した。痣の有無に関わらず、自分の道を見つけた者の姿があった。

 「これからも、君らしい作品を作り続けてほしい」

 少年は嬉しそうに頷いた。

 王都に戻ったセナは、ミラとヴェイルと共に新たな研究と活動を始めた。三人の力を合わせ、《綴詩者》と《記憶詩人》と《共鳴奏者》が紡ぐ新しい詩の世界が広がっていった。

 ある晩、音律堂の塔の上で、セナとミラは星空を眺めていた。

 「不思議だね」

 ミラがつぶやいた。

 「何が?」

 「私たちの出会いも、ヴェイルとの出会いも、全部偶然のようで、でも何か意味があるように思える」

 セナは考え込んだ。確かに、すべては痣から始まった物語。だが今、彼はそれを超えた何かを感じていた。

 「偶然も必然も、すべて俺たちの物語の一部なんだと思う」

 セナは胸の痣に手を当てた。それはもう重荷ではなく、自分自身の一部だと感じられた。

 「これからも、俺たちの言葉で、世界に語りかけよう」

 ミラは微笑んで頷いた。二人の前には、まだ見ぬ多くの物語が広がっていた。

 同じ時間、ヴェイルも古い資料館で研究に没頭していた。痣なき才能の可能性、そして《ル=ファルカ》の謎。彼の前にも、新しい道が開かれていた。

 三人の歩みは、世界のあり方を少しずつ変えていくだろう。選ばれた者と選ばれなかった者の境界を超え、すべての声が響く世界へと。

 物語は続いていく。新たな詩とともに。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

残り一章とエピソードで完結です。

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