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痣が告げる名  作者: 蜂丸
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第2章:響きの始まり

『音が心を震わせ、言葉が世界を動かす』


門をくぐった瞬間、セナの目の前に広がったのは――想像を超える"知の城"だった。

 まばゆい光が館内を満たし、天井から降り注ぐ光の筋が大理石の床に幾何学模様を描いていた。ステンドグラスからは虹色の光が差し込み、幻想的な雰囲気を作り出している。

 「すごい…」

 セナは思わず声を漏らした。村の建物とは比べものにならない壮麗さ。王都の外観に圧倒されたばかりだったが、この建築物の内部はさらに彼の想像を超えていた。

 円形の巨大な中庭を囲むように、いくつもの高塔と建物がそびえ立っている。中庭には美しい庭園が広がり、様々な色の花々が咲き誇っていた。噴水からは水が天高く噴き上げられ、その水滴が太陽の光を受けて宝石のように輝いている。

 各塔には職業ごとの専用施設があり、それぞれ違った意匠が施されていた。魔術師の塔は星をモチーフにした装飾、治癒士の塔は緑と白を基調とした優しい印象、戦士の塔は赤と金で力強い外観をしている。

 「それぞれの塔は、痣の種類に応じた訓練場になっています」

 イゼリナが説明する。彼女の声には誇りが滲んでいた。

 「あの青い塔は水魔術の訓練場、緑の塔は治癒魔法、赤い塔は戦闘技術…」

 そして、《戦詩人》の棟は、中央の"音律堂"と呼ばれる場所にあった。最も高くそびえ立つその建物は、他とは違い、黄金と紫を基調とした荘厳な外観をしていた。

 「あれが、戦詩人の塔…」

 セナは思わず息を呑んだ。塔の頂上からは、かすかに音楽のような響きが聞こえてくるようだった。

 イゼリナに導かれ、セナは音律堂へと足を踏み入れた。内部はさらに驚くべき光景だった。天井まで続く書架、美しい音響装置、そして中央には巨大な円形ステージ。

 そこはまるで、コンサートホールと神殿を融合させたような空間だった。天井には星座が描かれ、床には詩の一節が螺旋状に刻まれていた。壁には歴代の著名な戦詩人たちの肖像画が飾られ、彼らの目がセナを見つめているようだった。

 「ここが、君の学び舎です」

 イゼリナが微笑む。その表情には、これまでなかったいたずらっ子めいたものがあった。

 「どうですか?想像していた通りですか?」

 「いや…想像以上です」

 セナは正直に答えた。村の学校の校舎とは比較にならない壮大さ。一体、ここで何を学ぶのだろうか。不安と期待が入り混じった感情が、彼の胸を満たした。

 イゼリナは彼の表情を見て、静かに続けた。

 「ただし、《戦詩人》は"形"のない魔法。剣士や魔術師とは違って、見た目で強さは測れません。力の大きさは装飾ではなく、言葉の深さにあります。だからこそ、"何を伝えたいか"が最も重要になるのです」

 セナは、その言葉の意味を深く考えた。"何を伝えたいか"——自分には、伝えるべきものがあるのだろうか。

 「これから、入学手続きと寮の案内をします。明日から授業が始まりますので、今日はゆっくり休んでください」

 イゼリナはそう言って、セナを事務所へと案内した。


セナに与えられた部屋は、音律堂の東側にある学生寮の一室だった。小さいながらも清潔で、窓からは中庭の風景が見渡せた。ベッド、机、椅子、そして小さな本棚が備え付けられている。

 ベッドに腰掛け、荷物を整理しながら、セナは明日からの生活に思いを巡らせた。村での生活とはまったく違う環境。ここで自分はやっていけるのだろうか。

 「父さん…今頃、どうしてるかな」

 ふと、父の顔が脳裏に浮かんだ。あの鍛冶場で、一人黙々と仕事をしている姿が目に浮かぶ。手紙を書こう、と思った矢先、ノックの音が響いた。

 「セナ・ルクス?」

 ドアを開けると、制服を着た若い男性が立っていた。

 「初めまして。ライアン・ノーブルと言います。明日からの授業の資料を持ってきました」

 彼は腕に本と羊皮紙の束を抱えていた。

 「ありがとう…ございます」

 セナは戸惑いながらも礼を言い、資料を受け取った。

 「中央紋型の持ち主が入学すると聞いて、みんな興味津々ですよ」

 ライアンはにこやかに言ったが、その目には何か別の感情が宿っているように見えた。

 「期待に応えられるよう…頑張ります」

 セナがそう答えると、ライアンは軽く頷いた。

 「明日の朝食は7時から。遅れないようにね」

 そう言い残すと、彼は颯爽と去っていった。

 セナは渡された資料に目を通した。戦詩人の歴史、基本的な詩の構造、音響魔法の理論…難しそうな内容が並んでいる。

 「これを全部…」

 不安が胸をよぎる。だが、ここで諦めるわけにはいかない。セナは深呼吸し、一つずつ資料を読み始めた。

 夜が更けるまで勉強し、疲れ果てたセナはようやく眠りについた。


 翌朝、セナは緊張した面持ちで講堂に入った。すでに十数名の生徒が着席しており、セナが入室すると一斉に視線が集まった。

 初日の授業。講師は初老の男性で、白髪交じりの長い髪を後ろで束ねていた。エドガー・ブライス教授、戦詩人学の権威だという。

 「さて、新入生の皆さん。戦詩人の道を選んだ—あるいは選ばれた—君たちを歓迎する」

 教授はゆっくりと語り始めた。その声には、長年の経験が滲み出ていた。

 「今日は、《戦詩人》とは何かを理解してもらうために、歴代の著名な詩を読み上げよう」

 そう言って、教授は《戦詩人》の歴代の詩を読み上げ始めた。その声には不思議な響きがあり、言葉の一つ一つが空気を震わせているようだった。

 「詩は力であり、感情の核だ。文字だけではなく、"声"で詠むことによって、世界に影響を及ぼす」

 教授は言葉を区切りながら説明した。

 「感情が込められていない詩は、ただの空虚な言葉の羅列に過ぎない。真の詩とは、心の底から湧き出る思いを形にしたもの」

 セナはメモを取りながら、必死に理解しようとした。感情を込める。心から湧き出る思い。それが、詩の力を引き出す鍵なのだろうか。

 「戦詩人の力は、詩に込めた感情が聞き手の心に共鳴することで生まれる。その共鳴が魔力となり、現実に影響を与えるのだ」

 教授の説明は続いた。理論の説明、歴史的な逸話、そして実践的なアドバイス。セナは必死についていこうとした。

 そして、授業の終わり、セナは試される時が来た。

 「では、ここで実践してみよう。順番に、この短詩を詠んでみたまえ」

 教授は全員に羊皮紙を配った。そこには短い詩が書かれていた。

 最初の生徒が立ち上がり、詩を詠んだ。その声に合わせて、教室の空気がわずかに振動した。次の生徒は、声に力を込めると、小さな風が巻き起こった。

 順番にセナの前の席まで進み、様々な反応が見られた。ある者は光を生み出し、ある者は音の波紋を作り出した。

 「では、君――セナ・ルクス。この詩を詠んでみたまえ。声に出して」

 教授の視線が、セナに向けられた。教室内のすべての目が、彼に集まる。中央紋型の持ち主。百年に一人の才能。期待と好奇心が入り混じった視線だった。

 セナは立ち上がり、差し出された短詩を見つめた。シンプルな詩。風を呼ぶ内容だ。

 深呼吸し、セナは声に出した。

 「風よ、来たれ。 山々を越え、谷を駆け、 空を舞う自由の風よ、 今、私の声に応えよ」

 セナは心を込めて詩を詠んだつもりだった。だが――空気は、微塵も動かなかった。教室には、沈黙だけが広がった。

 他の生徒たちは、風を起こしたり、音の波紋を生み出したりしていた。だが、セナの詩には何の反応もない。

 「もう一度、試してみなさい」

 教授は眉をひそめながら言った。セナは再び詩を詠んだ。だが、結果は同じだった。

 沈黙。

 冷たい視線が集まる。期待は失望へと変わり、周りの生徒たちのささやきが聞こえ始めた。

 「あれが中央紋型?」

 「何も起きないじゃないか」

 「本当に戦詩人の素質があるのか?」

 教授は深いため息をついた。

 「……やはり、選ばれただけの"器"だったか」

 その言葉は、セナの心に深く突き刺さった。選ばれただけ。才能はないのに、ただ痣が出ただけ。

 セナの胸に、またも熱が走った。だが、それはかつての"発光"とは違う――悔しさの炎だった。

 授業が終わり、生徒たちが教室を出ていく。セナはしばらく席に座ったまま、自分の手を見つめていた。

 「大丈夫?」

 優しい声に顔を上げると、隣の席の女子生徒が心配そうに見ていた。

 「初日だもの。うまくいかなくても当然よ」

 「ありがとう…でも…」

 セナが言葉に詰まると、彼女は微笑んだ。

 「私はエリン。エリン・フロスト。戦詩人科の2年生。いつでも相談に乗るわ」

 彼女はそう言って、セナに短い詩集を渡した。

 「これ、初心者向けの詩集。私も最初はうまくいかなくて、これで練習したの」

 「ありがとう…」

 セナは感謝の言葉を口にしたが、心の中では決意を固めていた。必ず、自分の声に力を宿すと。



初日の授業が終わり、セナは夕食を終えると自室に戻った。壁に向かって立ち、さっきの詩を何度も繰り返す。

 「風よ、来たれ…」

 何度繰り返しても、何も起こらない。

 セナはエリンから借りた詩集を開き、別の詩を試してみた。光の詩、水の詩、炎の詩…どれも何の反応も示さなかった。

 「なんで…」

 セナは頭を抱えた。自分には才能がないのか?それとも、何か別の問題があるのか?

 「もっと練習しないと」

 夜になっても、セナは諦めなかった。学生は夜間でも使用できる個人訓練場があると聞き、そこに向かった。

 館内は静まり返り、廊下には数人の生徒しか見当たらなかった。セナは案内図を頼りに、音律堂の地下にある訓練場へと向かった。

 その夜、セナはひとり訓練場に残っていた。小さな円形の部屋。壁には防音の魔法が施されているらしく、外の音が聞こえない。完全な静寂の中で、セナは詩を口にし続けたが、何の反応もない。

 「どうすれば…」

 懸命に詩を詠み続けるが、空気は微動だにしなかった。自分の声が空しく響くだけ。

 「もう一度…」

 セナが再び詩を口にしようとした時、そこに、リュートの音が響いた。柔らかく、優しい旋律が、静かな訓練場に広がる。

 「その詩、なんかズレてるけど――嫌いじゃないよ」

 声の主は、ひとりの少女だった。訓練場の入り口に、リュートを抱えた少女が立っていた。

 肩までの銀髪。細身で、小柄。大きな瞳と、少し意地悪そうな笑顔。彼女は自然な仕草でセナに近づいた。

 「こんな夜更けに一人で何してるの?新入り?」

 「あの…練習を…」

 少女は首を傾げ、セナの周りをくるりと回った。そのとき、彼女の服の隙間から、背中の痣が見えた。羽のような形。青みがかった銀色で、光を反射しているようだった。

 「《奏導者》のミラ。よろしく、戦詩人くん」

 「《奏導者》?」

 「うん。音を操る仕事。戦詩人に近いけど、歌や楽器の音で魔法を操るの」

 ミラは"音"を操る職業。詩や魔法、感情と"調律"することで、力を増幅させることができる、と彼女は説明した。

 「あなた、詩が生きてない」

 「え?」

 「言葉は言ってるけど、心がこもってない。だから、力が出ないんだよ」

 ミラはそう言って、リュートを構えた。

 「ちょっと貸して。あたしの音、合わせてみる」

 セナは困惑しながらも、詩集を差し出した。ミラはそれに目を通し、首を横に振った。

 「これじゃダメ。あなた自身の言葉じゃないとね」

 「自分の言葉…?」

 「そう。心から出てくる言葉。感じていること、思っていること」

 ミラはリュートを弾き始めた。穏やかで、どこか懐かしい旋律。

 「あなたの言葉を、私の音に乗せてみて」


セナは戸惑った。自分の言葉…何を話せばいいのだろう。ミラのリュートの音色は美しく、彼の心に直接語りかけてくるようだった。

 ミラがリュートを奏でる。やわらかく、包み込むような旋律。まるで月明かりが水面に映るような、静かで透明感のある音色。

 セナは目を閉じ、その音に身を委ねた。村のこと、父のこと、痣が現れたこと、王都に来たこと…様々な思いが胸の中を駆け巡る。

 そして、セナは自然に、胸の中に浮かぶ言葉を声にしていた。

 「灯りとは、手の中にある願い

  名前のない夜でも、少しだけ道を照らす

  僕は――誰かの"灯り"になれるのか」

 その瞬間だった。

 音が震え、セナの声が空気を切り裂いた。ミラのリュートの音色が急に輝きを増し、セナの言葉が音色に乗って部屋中を巡る。音と詩が共鳴し、小さな光の粒が宙に浮かび上がる。

 部屋の中が、ほのかな明かりで満たされた。まるで無数の蛍が舞っているよう。

 「……これが、"魔力"……?」

 セナは驚きの声を上げた。自分の言葉から生まれた光。小さいながらも、確かな存在感を持った光の粒子。

 ミラが頷いた。彼女の目は興奮で輝いていた。

 「すごい…あなた、本当に才能あるんだね」

 「でも、クラスでは…」

 「そりゃあ、借り物の言葉じゃ魂が込められないよ」

 ミラはリュートを膝に置き、真剣な表情でセナを見つめた。

 「詩はただの言葉じゃない。誰かに届きたいって気持ちが、音に乗るとき――それは魔法になるの」

 セナはその言葉をかみしめた。誰かに届きたい気持ち…そう、自分は村を離れる時、父やカーラに何かを伝えたかった。その気持ちが、今の詩に込められていたのだろう。

 「もう一度、やってみる?」

 ミラの提案に、セナは頷いた。再びリュートの音が響き、セナは心からの言葉を紡いだ。

 今度は、さらに大きな光の渦が生まれた。

 「すごい…」

 二人は互いを見つめ、笑顔を交わした。


それから毎晩、ふたりは訓練場に通った。

 日中の授業では、セナはまだ大きな成果を出せずにいた。教授の出す課題詩では、わずかな反応しか起こせない。だが、夜のミラとの特訓では、驚くべき進歩を見せていた。

 セナはミラの旋律に言葉を乗せ、ミラはセナの詩に感情を添えた。二人の力が重なると、様々な奇跡が起きた。光を生み出すだけでなく、小さな風を起こしたり、部屋の温度を変えたり。

 「今日は、もっと深い感情を込めてみよう」

 ある晩、ミラがそう提案した。

 「深い感情?」

 「そう。喜びや悲しみ、怒りや恐れ…どんな感情でもいい。それを言葉に込めて」

 セナは少し考え、父との別れを思い出した。複雑な感情。寂しさ、感謝、そして新たな旅への不安と期待。

 「父よ、この手を離しても

  あなたの鍛えた心は、僕の中で

  新たな炎を、打ち続けている」

 ミラのリュートが、セナの言葉に応える。部屋の中に、小さな炎の形が浮かび上がった。熱はないが、確かな炎の姿。それは次第に剣の形に変わり、そして消えた。

 「すごい…感情が形になった」

 ミラは興奮した様子で言った。

 「センス抜群だよ。あなた、本当に才能あるんだから」

 「でも、授業では…」

 「それは、あなたがまだ自分を信じてないから」

 ミラはリュートを置き、セナの前に座った。

 「先生の詩を読むとき、あなたは"借り物"の感情を使おうとしてる。でも、魔法は"真実"からしか生まれないんだ」

 セナは、ミラの言葉を理解しようとした。自分の真実…それは何だろう。

 考え込むセラを見つめながらミラは小さく言った。

 「……ねぇ、セナ。あたし、もともとは《詩人》の痣が出るはずだったんだって」

 「え?」

 「でも、出たのは"音"の痣だった。言葉じゃ届かなくて、"補助役"としてしか見られなくてさ。だから、あんたの詩に出会えて――あたし、すっごく救われたんだよ」

 ミラの目には、かすかに涙が光っていた。彼女は自分の背中の痣について語った。家族は代々詩人の家系で、彼女も詩人になると信じられていた。だが、痣が現れたとき、それは音を操る《奏導者》の痣だった。

 「親は失望したわけじゃないけど…でも、あたしは自分が家族の伝統を壊したように感じてた」

 「でも、《奏導者》も素晴らしい才能だ」

 「そうだね。でも長い間、あたしは自分の役割に納得できなかった。他人の力を高めるだけの存在でいいのかって」

 そんな彼女が、セナの詩に初めて共鳴した時、自分の存在意義を見つけたという。

 「あなたの言葉に、あたしの音が響くとき…それは、どっちも欠かせないものなんだって思えたんだ」

 セナは思った。自分の声が、誰かの心に届いていた。それは、彼にとって何よりの"力"だった。

 「ミラ…ありがとう」

 その夜、セナは今までで最も美しい詩を紡いだ。ミラへの感謝と、新たな絆の喜びを込めた言葉。二人の魔法が生み出した光の渦は、訓練場を満たし、まるで星空のようだった。




セナが入学して一ヶ月が経った。

 授業でも少しずつ成果が出始め、教授たちも彼の才能に気づき始めていた。借り物ではない、自分自身の言葉を紡ぐことで、セナは徐々に戦詩人としての力を発揮し始めていた。

 「今日から、実践訓練に入ります」

 エドガー教授が発表した。

 「近郊の森で、魔導生物の鎮圧任務が与えられました。学内訓練の一環として、班ごとに取り組んでもらいます」

 魔導生物とは、魔力の影響を受けて変異した生物のこと。通常の動物より知能が高く、時に魔力を操ることもできる危険な存在だ。

 班分けが発表され、セナとミラは同じ班に組まれることになった。他に三人の生徒が加わり、計五人の小隊だ。

 「よろしくな、ルクス」

 声をかけてきたのは、ライアン・ノーブル。最初の日に資料を届けてくれた上級生だ。彼は剣の痣を持つ剣士で、今回の班のリーダーを務める。

 「初めての実戦、緊張するだろうが、基本に忠実に」

 他のメンバーは、風を操る《風魔術師》のエリカと、盾の痣を持つ《守護士》のディオン。バランスの取れた編成だった。

 翌日、一行は学院を出発し、近郊の森へと向かった。

 「目標は、この森に出没している"ブラッドバイン"という植物系魔導生物です」

 監督役の教官が説明した。

 「通常は人を襲うことはありませんが、最近、異常な行動が報告されています。任務は、この生物を発見し、鎮静化すること」

 教官の説明が終わると、班全員が誰ともなくお互いの顔を見合わせ、頷きあう。慎重に一行は森の中へ入った。

 木々の間から差し込む日光が、地面に模様を描いている。鳥のさえずりや、風に揺れる葉の音が心地よい。

 「あの辺りにいるはずだ」

 ライアンが地図を指さした。一行は慎重に進み、やがて小さな開けた場所に到着した。

 そこには、大きな赤い花を持つ植物が群生していた。茎は蔦のように地面を這い、花は人の顔ほどの大きさがある。

 「あれが、ブラッドバイン」

 ディオンが小声で言った。

 「思ったより大きいな」

 エリカが緊張した面持ちで呟いた。

 「計画通り、まずエリカが風で動きを鈍らせ、その間にディオンが盾で前線を守る。セナとミラは後方から鎮静の詩を詠む。私は万が一の時の戦闘担当だ」

 ライアンは冷静に指示を出した。全員が頷き、作戦を開始する。

 エリカが前に進み出て、風の魔法を唱えた。彼女の指先から渦巻く風が生まれ、ブラッドバインに向かって吹き付けられる。植物の茎が風に揺れ、動きが鈍った。

 「ディオン、前進!」

 ディオンは大きな盾を構え、前に出た。彼の痣が光り、盾が青い光を放ち始める。防御の魔法だ。

 「セナ、ミラ、頼むぞ!」

 二人は互いに目配せし、ミラがリュートを構え、セナは深呼吸した。二人の魔法で、ブラッドバインを鎮静化する計画だ。

 だが、その時だった。

 突然、地面が揺れ、木々が不気味に揺れ動いた。ブラッドバインの茎が一斉に空に向かって伸び、その先端から赤い液体が噴き出した。

 「危ない!」

 ライアンの警告が響く。赤い液体が地面に落ち、草木が一瞬で枯れてしまう。強力な毒だ。

 「これは…想定外だ!」

 監督の教官が叫んだ。

 「撤退しろ!これは通常のブラッドバインじゃない。"強化個体"だ!」

 だが、その指示は遅すぎた。ブラッドバインの茎が鞭のように伸び、エリカとディオンを打ち据えた。二人は悲鳴を上げて倒れる。

 「くそっ!」

 ライアンが剣を抜き、茎を切り裂こうとしたが、切れた箇所から噴き出した毒液が彼の腕に掛かり、彼は痛みに顔を歪めた。

 一瞬で戦況が逆転した。他の生徒たちが逃げ惑う中、セナとミラは取り残されていた。

 「どうする!?」

 ミラが不安そうな声で尋ねる。

 セナは状況を見回した。仲間たちが倒れ、教官も危険な状態。このままでは全員が危ない。

 「やるしかない!」

 セナは決意を固め、ミラを見た。彼女はすぐに理解し、頷いた。

 ミラの音が空に響く。彼女のリュートから、これまでにない力強い旋律が流れ出た。その音色は森全体を包み込み、ブラッドバインの動きをわずかに鈍らせた。

 セナは胸の奥から詩を放つ。これまでの特訓で培った力を全て込めて。

 「心が折れそうなとき、そばに誰かの"音"があるなら

  その声は剣にも盾にもなる

  届け、この想い――僕らの"共鳴"を!」

 音と詩が爆ぜる。セナの言葉とミラの音色が完全に融合し、まばゆい光の波が森を包んだ。光の衝撃がブラッドバインを包み、植物はゆっくりと縮み始めた。

 「効いている…!」

 ミラが驚きの声を上げた。

 光の渦は徐々にブラッドバインを包み込み、その凶暴性を鎮めていった。茎は地面に戻り、花は閉じ、通常の状態へと戻っていく。

 光が収まると、ブラッドバインは完全に鎮静化していた。毒も出さず、攻撃的な動きもない。

 「信じられない…」

 立ち上がった教官が呆然と言った。

 「これは…"共鳴詩"…?」

 ふたりの連携により、初めての"実践魔法詩"が記録された瞬間だった。セナとミラは疲れと興奮で震えながらも、互いに微笑み合った。

 「やったね…」

 「うん…僕たちの力で…」

 倒れていた仲間たちも、徐々に立ち上がり始めた。幸い、重傷者はいなかった。

 「セナ、ミラ…すごい力だ」

 ライアンは腕の痛みを堪えながらも、尊敬の眼差しで二人を見た。

 「私たちを救ってくれて、ありがとう」

 エリカも感謝の言葉を述べた。

 この出来事は、学院に戻ると大きな話題となった。一年生と二年生のコンビが、強化個体のブラッドバインを鎮静化したという驚くべきニュース。特に、セナの名前が学院中に広まった。




 その事件から一週間が過ぎた。

 学院の中での評価が、一変した。かつては「中央紋型なのに力が出せない落ちこぼれ」と陰で囁かれていたセナが、今や「共鳴詩の使い手」として注目を浴びるようになった。

 「おはよう、セナ!」

 エリンが廊下で彼に声をかけた。

 「授業、頑張ってるみたいね。エドガー教授も君のことを褒めてたわ」

 「ありがとう…みんなのおかげだよ」

 セナは恥ずかしそうに答えた。確かに授業での成績も上がり始めていた。借り物ではない、自分自身の言葉を紡ぐことで、詩に力が宿るようになったのだ。

 「あのブラッドバインの話、すごいじゃない。あなたとミラの共鳴詩が、学院の記録に残るって」

 「そんな…大げさだよ」

 セナは照れながらも、内心では誇らしさを感じていた。自分の力が認められたこと、そして何より、誰かの役に立てたことが嬉しかった。

 授業後、セナは音律堂の屋上に上がった。ここからは王都の景色が一望でき、遠くには故郷の村がある方角も見える。

 「ここにいたの?」

 後ろからミラの声がした。彼女は軽やかな足取りでセナの隣に立った。

 「うん、ちょっと考え事を」

 「何を考えてたの?」

 「いろいろ…」

 セナは空を見上げた。

 「最近、みんなの目が変わった。前よりずっと優しくなった。でも…」

 「それが怖いの?」

 鋭い指摘に、セナは驚いて彼女を見た。ミラはいつもの意地悪そうな笑みを浮かべている。

 「そう…期待されるのが怖いんだ」

 セナは正直に答えた。

 「村では"選ばれた者"として特別扱いされて、ここでは最初"落ちこぼれ"と呼ばれて…どっちも本当の自分じゃないような気がした。今また"共鳴詩の使い手"として注目されてるけど…」

 「本当の自分が分からなくなってる?」

 「うん…」

 二人は暫く黙って景色を見つめていた。やがてミラが、静かに言った。

 「あたしも最初、自分の痣に戸惑ったよ。期待と違う未来。でも今は…自分の音を信じてる」

 「どうやって?」

 「毎日コツコツと…自分の音を磨いて、それが誰かの力になると信じてきたから」

 ミラはリュートを抱え、柔らかい音色を奏で始めた。

 訓練後、ミラと並んで屋上の縁に座る。夕暮れの王都が、オレンジ色に染まっていく。

 「……僕は、まだ怖いよ。この力が、ほんとに僕のものなのか。"選ばれた"って言葉に、今も怯えてる」

 セナは心の奥底にある不安を打ち明けた。

 「何が起きても、私は信じるよ」

 ミラは、静かに彼の手を取った。彼女の手は小さく、でも温かかった。

 「じゃあ、"選ばれた"んじゃなくてさ。"選び続けてる"って、思えばいいんじゃない?」

 「選び続ける…?」

 「そう。毎日、自分で選んでいくの。詩人であることを、音を響かせることを、誰かのために力を使うことを…あなたは毎日、自分の道を選んでるんだよ」

 その言葉が、セナの胸の痣を――再び、熱く灯した。温かさが全身に広がり、未来への勇気が湧いてくる。

 「ミラ…ありがとう」

 セナはミラの手を握り返した。

 「明日も、また選ぶよ。自分の言葉で、誰かを守る道を」


 二人の頭上には、星が瞬き始めていた。新たな物語の始まりを見守るように。

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