伝承の雪子さん
雪に埋もれる冬の雪山には、怪異の伝承が付きもの。
人里からほど近いこの雪山にも、雪女の伝承が伝わっている。
雪女の雪子さんはいたずら好き。だから注意しなければならない。
雪子さんに連れて行かれた者もいるのだから。
そんな雪山に、子供たちが遊びに向かうのだが。
学校の冬休みも半分を過ぎた頃。
小学生のその男の子は、両親に連れられて、雪国にある実家にやってきた。
実家は父方のもので、大きな平屋建ての一軒家は、都会なら豪邸だがしかし、
田舎ではよくある民家に過ぎない。
「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは!」
その男の子は祖父と祖母に元気に挨拶をする。
孫であるその男の子は、両親とともに、一家団欒に出迎えられた。
雪国の寒さは人を凍えさせる。
しかしそれ以上に、子供の好奇心は旺盛だった。
都会暮らしで雪が珍しいその男の子にとって、
雪国の景色はまるで魔法の世界のよう。
家の中での遊びに飽きてしまったその男の子は、
早速、真っ白な雪の世界に躍り出ようとした。
その背中に、両親が語りかける。
「これ、待ちなさい。
遊びに行くのはいいけれど、あまり遠くへ行ってはいけないよ。
裏山には森があるから、その森の手前までにしておきなさい。
それと・・・」
横から口を挟んだ祖母が、曰くありげに話を溜めた。
「裏山には雪女の雪子さんがいるからね。
雪子さんはいたずら好きで人を惑わすから注意するんだよ。
雪子さんは真っ白な着物を着た別嬪な女の子でね、
かつては、雪子さんに誘われて帰ってこなかった子もいたくらいなんだよ。
特に雪子さんは騒がしいのが苦手だから、騒いだりしてはいけないよ。」
「うん、わかった!」
男の子は返事だけは素直に、表へと駆け出していった。
雪国の家の外は、まるで雪しか無いように埋まり静まり返っていた。
木々も、家も、地面も何もかもが真っ白な雪に覆われている。
男の子は早速、まっさらな雪に足跡をつけたり、雪だるまを作ったりして、
慣れない雪遊びに興じた。
雪はいくら使っても使い切れないほどある。
一通りの雪遊びをし終わったその男の子は、
次は雪景色を楽しもうと、雪に覆われた裏山へと入っていった。
裏山は民家からは程遠く、人の気配は感じられなかった。
広がるのは一面の銀世界、その奥には深い森。
その男の子は手つかずの雪と思う存分戯れた。
雪は砂のように細やかで、しかし固めれば氷のように姿を変える。
その男の子にとっては雪自体が稀有な遊び道具だった。
誰もいない雪山で雪を浴びるように楽しんでいると、
やがて、人里の方からワイワイと賑やかな声が聞こえてきた。
それは十人程はいるであろうか、子供たちの集団だった。
後から来た子供たちは本格的な雪国の服装に身を包んでいる。
地元の子供に間違いなさそうだ。
子供たちが、その男の子に気付いて話しかけてくる。
「君、この辺の子じゃないね。どこの子?」
「ぼ、僕、そこのおばあちゃんの家に来たんだ。」
「そうなんだ。普段の家はどこ?都会?」
「ここよりはずっと都会だと思う。」
「そうなんだ!僕たちみんな、この辺りで生まれ育ったんだ。
だから、都会の話を聞かせてよ!」
「う、うん!じゃあ代わりに、この辺りのことを聞かせて欲しいな。」
わいわいと話をするだけで、子供たちはすぐに打ち解けあった。
「それでね、電車の駅に入るのにも、順番待ちがあるんだよ。」
「へ~。電車って思ったより不便なんだな。」
「こっちでは、みんな車だもんね。」
子供たちがお互いの生活について楽しそうに語り合っている。
今、子供たちがいるのは、雪で作ったかまくらの中。
地元の子供たちが寒さ避けにと作ったもので、
子供なら十人は平気で入れそうな程の大きさだった。
かまくらの中での会話はまるで秘密会議のようで、
それだけでも都会から来たその男の子にとっては新鮮だった。
そうして話も一段落したところで、
その男の子は聞きたかったことを切り出した。
「ところで、この山って、雪女の雪子さんがいるって本当?」
すると、地元の子供たちは顔を見合わせて、それから笑った。
「あっはははは!君も雪子さんの話を聞かされたのか。」
「あれはね、子供が森に入っていかないようにするための、
大人たちが作ったおとぎ話だよ。」
「えっ、なあんだ。そうだったのか。」
大人の嘘に子供は簡単には引っかかってくれない。
子供たちは雪子さんの話のからくりに気がついていた。
だがそれは一部だけ。
残りの部分は、これから身をもって体験することになるとは、
その時はまだ誰も気が付いてもいなかった。
「君が聞いた雪子さんの話って、あれだろう?
森の中に入ってはいけない。
それと、雪子さんは騒がしいのが嫌いって話。」
「うん、そうだったと思う。」
「雪子さんにさらわれるから森の奥に入ってはいけない。
これは子供が森の奥に入らないようにするため。」
「じゃあ、雪子さんは騒がしいのが嫌いってのは、何のためだろうね?」
子供たちにはその嘘の理由がよくわからない。
「子供が騒いでうるさくしないため?」
「でもこの山は村から十分離れてるよ。
騒いでも大人は困らないと思う。」
「うーん、わからないな。」
「わからなければ、実際にやってみるのが一番さ。」
男の子が一人、かまくらの外に出て大声を上げた。
「雪子さーん!いたら出てきてよー!」
子供の叫び声は雪山に響き渡り、やがて吸収されていった。
子供が言う。
「やっぱり雪子さんの話なんてただの嘘なんじゃないの?」
「そんなわけないよ。
大人がつく嘘は、必ず理由があるはずだ。
もっとみんなで呼んでみよう。」
かまくらに入っていた子供たちが外に出て、大声で叫び始めた。
「雪子さんやーい!」
「出てきておくれー!」
「雪子さーん!」
子供たちの声は雪山に吸い込まれ、消えていった。
声は消えたのだが、何か妙な反応を感じる。
最初、子供たちは、その異変を地震だと思った。
それから、動き始めた地面の雪を見て、血相を変えた。
「地面が揺れてる!地震か!?」
「いや違う!あれを見ろ!雪崩だ!」
ドドドドドドド・・・!
雪山の地面に積もり積もった雪が、大量に動き出して押し寄せてくる。
子供たちは逃げる場所もなく、咄嗟にかまくらの中に避難した。
そのすぐ後で、かまくらも何もかもを、雪崩が襲い覆い隠していった。
雪が大波のように押し寄せてくる。
凍っていなければきっと本当に大波だっただろう。
それなりに多くの雪が雪崩となって、雪面を滑り落ちてきた。
子供たちにとって幸運なことに、かまくらは雪崩に耐える強度を持っていた。
氷に囲まれたかまくらの中で、子供たちが身を寄せ合っている。
特に幼い子供を守るように、丸く固まって。
かまくらの出入り口はあっという間に雪に埋もれてしまい、
周囲もかまくらが今にも潰れてしまいそうな程の轟音に包まれた。
悠長に数も数えられない程の時間の後、雪崩の音は止まった。
かまくらはあちこちひび割れてはいるけども健在で、
中の子供たちも怪我一つ負うことはなかった。
でもそれも今のところは、だ。
雪崩の中に埋もれて、どれほどの間を耐えられるだろう。
早速、小さな子供たちはグズり始めていた。
その男の子は冷静に、落ち着かせるように言った。
「みんな、大丈夫?
こんな時に何だけど、
これで、雪子さんは騒がしいのが嫌い、って話の意味がわかったね。」
「ああ、そうだな。
あれは、大きな音を出して、雪崩を起こさないためのものだったんだ。」
大人が雪子さんの話に仕込んだもう一つの嘘。
その真相に気がついたが、それも後の祭り。
子供たちはかまくらごと雪崩の中に閉じ込められてしまった。
ここは村からは少し距離があり、大人たちが雪崩に気がついたとしても、
救助に来るまでには時間がかかるだろう。
どこに子供が埋まっているか、すぐに見つけられるだろうか。
わかっても掘り返せるかどうか。
子供たちは急に不安感に駆られることになった。
小さな子供だけでなく、女の子たちも泣き始めている。
だからその男の子は、自信を持って言った。
「みんな、安心して。諦めるのはまだ早いよ。」
かまくらごと雪崩に飲み込まれた子供たち。
果たして大人たちが救助にくるまで耐えられるだろうか。
いや、耐えてみせねば。
ここは、余所者である自分が、地元の子供たちとは違う目線で励まそう。
都会から来たその男の子はそう決意して口を開いた。
「みんな、諦めるのはまだ早いよ。
僕たちは雪子さんの話の二つの嘘を見抜いた。
一つは、雪子さんを探して森の奥へ行かせないための嘘。
そしてもう一つは、大きな音を出して雪崩を起こさせないための嘘。
だけどまだもう一つ、雪子さんの話にはカラクリが残ってると思う。」
「雪子さんの話のカラクリ?それって・・・」
「それは、雪子さん自身が存在するかどうか、だよ。」
「雪子さんの存在?そんなの、幽霊みたいなものじゃないの。
子供を脅かす典型的な嘘じゃないか。」
「そうかな。僕にはそうは思えない。
僕はおばあちゃんに、
雪子さんは白い着物を着たきれいな女の子だと言われた。
こんな具体的な姿を言う必要があるかな?」
「熊や猪と見間違えないためとか?
危険な動物を見つけたら逃げるようにって。」
「それでも姿を偽る意味がない。
ただ素直に、獣がいると言えば伝わるんだから。
だから僕は思うんだ。雪子さんは実在する。
その上で、ついて行ってはいけないって話なんだと思う。」
「・・・もしそうだとして、君はどうしようと言うんだ?」
「この場にいるのは僕らだけじゃない。
他にも雪子さんがいるはずだ。
それなら、雪子さんに助けてもらおう。」
雪子さんの伝承にはそれぞれ意味があった。
その中で一つだけ、意味がわからない部分があった。
それは、雪子さんの存在自身について。
もしも雪子さんの話の目的が、
森への侵入を防いだり、雪崩を防ぐためのものなら、
雪子さんが白い着物を着たきれいな女の子だという具体的な描写は不要なはず。
だから、それにもまた理由があるのでは。
それはつまり雪子さんは実在するということ。
そのか細い可能性にかけて、子供たちは行動を起こした。
みんなで声を上げて騒ぎ立てる。
「雪子さーん!出てきてよ!」
「出てこないと、このままみんなで騒ぎ続けるぞー!」
子供たちは、持ち合わせのおもちゃや、かまくらの壁を叩いて大騒ぎした。
それ自体が新たな雪崩を起こさないかと、その男の子は内心ヒヤヒヤしていた。
しかしそれもしばらくしたところで、待望の誤算が生まれた。
「・・・うるさいなぁ。あたしを呼ぶのは誰?」
かまくらの外、上の方から人の声がする。女の子の声だ。
子供たちは顔を見合わせて、こわごわと尋ねる。
「もしかして、あなたは雪子さん?」
「そうだよ。あなたたちが呼んだんでしょう?用は何?」
雪子さんは本当にいた。そして助けに来てくれた。
子供たちは抱き合って喜んでいた。
雪子さんが来てくれた。
それだけでもう子供たちは助かったつもりでいた。
しかし実際はそんなに甘くはなかった。
「何であたしが、雪に埋もれたあんたたちを助けなきゃいけないわけ?」
雪子さんは天邪鬼だった。
困っている人に頼み事をされて、
無条件に、はいと返事をするような相手ではなかった。
子供たちは困った。
かまくらごと雪に埋もれた子供たちには、できることは限られている。
だから一か八か、雪子さんに嘘をつくことにした。
「僕たち、雪崩に巻き込まれて、かまくらごと埋もれて出られないんだ。
もしも、雪子さんが僕たちをここから出してくれたら、
とっておきの遊びを教えてあげるよ。」
声しか情報伝達方法がない中で、精一杯のハッタリ。
伝わらなければ、ここから出られるのはいつになるだろう。
しかし雪子さんは、明らかに声色を変えて応じた。
「とっておきの、遊び?」
「うん、そうだよ。みんなで楽しめる。」
「それをあなたたちが教えてくれるの?」
「ここから出してくれたらね。」
雪子さんの返事が途切れた。考え込んでいるようだ。
しばらくして。
「・・・その遊びって、面白い?」
「うん、とっても。」
「じゃあ、そこから出してあげる。
でも、もしもつまらなかったら、その時は容赦しないからね。」
雪子さんの恨みがましい声とともに、かまくらの壁が持ち上がった。
跡には雪の階段が上方の明かりまで続いている。
「やった!出口だ!」
「雪子さんの能力はすごいな。」
子供たちは大喜びで階段を上がっていった。
こうして子供たちは、雪崩に埋もれたかまくらから脱出することができた。
雪子さんとの約束を残したままで。
雪の中から地上へ脱出した子供たちは、抱き合って喜んだ。
雪国の子供でも雪崩に飲まれるなど、そうは経験しないこと。
生きて帰れたことを喜びあった。
しかしそれもつかの間、背後から声がした。
「それで、楽しい遊びって、何?」
不機嫌そうな声に、その男の子は振り返った。
そこには、見るも麗しい、白い着物を着た女の子が立っていた。
年頃は自分と同じくらいだろうか。
長く伸びた髪が、時折、大人のような色気を見せる。
確かにこれは人間ではない。この世の美しさとは思えないから。
そして、二の句が継げないその男の子に代わって、他の子供が答えた。
「僕らが教えてあげられる遊びって言ったら、
歌を歌ったり、雪だるまを作ったり、
かまくらを作ったり、雪合戦をするくらいかな。」
すると雪子さんは美しい眉をひそめた。
「何よそれ?そんなの、雪を操るあたしに出来ないとでも思ってるの?」
雪子さんが雪を操る能力がある以上、それは予想できたこと。
しかし雪子には絶対に用意できないものがある。
それは、遊び相手。
「雪子さん、歌を歌ったり雪遊びをしたとしても、それは一人っきりでだろう?
みんなで遊ぶのとは、楽しさに雲泥の差があるんだよ。」
「騙されたと思って、付き合ってよ。」
「うーん、まあ、いいけど。」
そうして子供たちは、雪子さんと一緒に遊んだ。
歌を歌ったり、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり。
元々が美しい声をしている雪子さんの歌は見事で、
雪を自在に操る雪子さんには雪だるま作りや雪合戦などお手の物だった。
しかし、それをみんなと合わせてやるとしたらどうだろう。
声は合わせなければならないし、
雪もやたらめったら動かせばいいというものではない。
歌がずれては合わせ、雪だるまの大きさを揃え、雪合戦は多勢に無勢で、
雪子さんは自分一人では出来ない遊びに、
徐々に楽しみを覚えているようだった。
子供たちは大人よりも仲良くなるのが早い。
それは人間以外に対しても同様で。
いつしか子供たちと雪子さんは、友達となって遊び笑っていたのだった。
楽しい時間にも終わりはやってくる。
日が暮れてきて、子供たちは帰らなければならない時間になってきた。
「日なんか暮れても、あたしは平気だよ。」
「こっちはそうはいかないの。」
不満そうな雪子さんを、子供たちが諭す。
雪子さんは言う。
「あたし、いつでも人間の前に出てこられるとは限らないんだ。
天気とか条件が合った時だけ。だから今日は特別。
下手したらもう、あんたたちとは二度と会えないかも。
それでもあんたたちは、家に帰るの?」
名残惜しそうな雪子さんに、子供たちは済まなそうにしている。
「うん、でも仕方がないよ。」
「そう言われても、僕らは雪山じゃ生きていけないから。」
「あたしが助けてあげても?」
「おとうさんおかあさんを心配させられないから。ごめんね。」
そうして子供たちと雪子さんの遊びは終わりを迎えることになった。
踵を返し村へ向かって山を下りる子供たち。
しかし、あの男の子だけは、その足を動かすことができずにいた。
どうしてだろう。名残惜しくて動けない。
見送ってくれる雪子さんの美しさに心奪われたせいだろうか。
雪山で一人っきりの雪子さんの身を案じてのことだろうか。
そこでその男の子は気がついた。
雪子さんの話の、解かれていない最後のカラクリ。
雪子さんには絶対についていってはいけない。
かつては雪子さんについていって、何人もの子供が戻らなかったという。
この話は警告しているのだ。まさしく今の自分に向かって。
雪子さんに惹かれゆく自分を止めるために。
それは分かっている。でも。
家族のところへ帰っていく子供たち。
しかし、その男の子の足の向いた先は・・・。
終わり。
もうすぐ雪の季節も終わり。雪の話にしました。
伝承やおとぎ話は、何らかの注意や教訓を含んでいることがあります。
その謎を子供たちが解いていく、という内容にしました。
しかし結果として、教訓に気が付いてもなお、
男の子は雪女の雪子さんに惹かれることを避けられませんでした。
こうして雪山の怪異たちは同族を増やしていたのでした。
お読み頂きありがとうございました。