懐かしい家
街の外れには人があまり寄り付かない鬱蒼とした雑木林がある。とくに曰くなどがあるという訳では無いが、手付かずと言っても過言ではなく、そこに入ることに特に益があるという訳でもなかったそこはそのままただ在るというだけの場所になっていったらしい。
シンダーは物心がついたときにはすでにここに住んでいた。日は天気がいい時に小さくぽっかり空いた林の隙間からしか差さなければ、植物の湿度でやたら肌寒く、人の存在など感じられもしない寂しい場所だ。
しばらく歩くと、少し開けた空間があり、そこに小さな壊れた家が建っていた。元々あったものか、それともアメデオが建てたものなのかは定かでは無いが、そこには辛い思い出の方が沢山あった。そして、それは小説に描かれていたからこそ私自身もよく知ることだった。
ヘルハウンドに襲われた時に一部が崩されてしまっていたけれど、ドアを開けて中に入ると、壊れた部屋とは壁で区切られていたリビングは十分に綺麗だった。と言ってもそれはクララが掃除してくれていたからこその見た目だけで、人が住まなくなった家はどうしてこうも朽ちるのだろうか、というほど至る所にシミや傷みが見受けられた。
「小さいものだな」
ポツリと、シンダーが呟いた。クララは交互に二人を見てから「私は戻ってる。食堂の準備があるから」と気を利かせた。
「…何か感じるか?」
クララの姿が見えなくなってからシンダーは尋ねた。神官エクスの話ではアメデオの魂、という言葉にされていたが、どのようなもので、どうあるのか、またそれがアメデオの死因とどう関係しているのかは全然分かっていない。
(というか、分からなすぎるな。ボヤっと言ったら何となく神託っぽくはあるが不親切すぎる。)
「正直、全然」
「そうか…」
とくに咎める訳でもなく、シンダーは静かに返した。目を合わせることはなく、ずっと、ゆっくりと、部屋の中を見渡している。 彼にとっては、良くない思い出ばかりであろうその場所は辛いだろう、と思い、帰るのを提案しようかとも思ったが、タイミングをはかりかねていた。そんなときに、私が困っていることを察してか、シンダーは話しはじめた。
「思ったより、小さかったんだな、と。」
「小さい?」
「ああ、昔はこれだけが僕の世界だったから。」
戸棚やテーブルを触るシンダーを見て、彼の言いたいことを何となく理解した。幼い記憶では小さな体で家事をしたりする苦労も、構われなくてひとりぼっちだった孤独も詰まっていた家は、大人になってみてみると、これっぽっちの小さなサイズしかないものだった。幼い彼が寝床にしていたソファーは今は上半身だけ横たえるのが精一杯だろう。
「ここが台所、昔は高くて、苦労したんだ。それから、この机をダイニングみたいに使っていた。と言ってもいつもたくさんのあの人の本やら道具やらで、この隅でご飯を食べていた。」
シンダーはなぞるように一つ一つを見ながら話していた。そのことを私は知っている、と思いながら聞いていた。 でも多分、私は知っていただけだった。 私にとって、「シンダー=エル」とは物語の中のキャラクターにすぎなくて、好きとか嫌いとか、凄いとか可哀想だとか、そういったものも感じていない訳では無いが、一線を画して受け取っていた。
この世界に入って、彼が人として感じていた孤独にやっと触れて、その憂いに触れたような気がした。 昔、朝食の時に父が新聞を広げるのがいやだった。私との間に隔てがあって、私はまるで居ないみたいだと思った。多分、そんなふうな、いや、それ以上のの寂しさをこの席でシンダーは過ごしたのだと思った。
「この部屋は小さくて、見渡せるぐらいしかないけど……」
一通り部屋の説明をしたシンダーが目を動かして1枚のドアを見た。その向こうは別の部屋になっていたのだが、今は崩れて、つぶれていて、はいるのは難しそうだった。確か、村がヘルハウンドに襲われた時に壊されたアメデオの書斎だったはず、と記憶を辿っていると、シンダーはそこに足を進めた。
「枠が歪んで、上手く開かないな」
ドアを引いても、ギギっと酷い音を立てるばかりで開きそうもなく、また、空いたところで潰れた部屋の瓦礫が流れ込むだけだろう。しかし、確かにここにアメデオの何かがありそうだというシンダーの気持ちは理解出来た。
「外から、瓦礫をどかします。」
そう言って、外に駆け出して、端にあった瓦礫から集めた。後を追ってきたシンダーがその様子を見るなり制止した。
「魔術で吹き飛ばすから」
「え、でもそれはシンさんの魔力を使ってしまうし、私、出来ますよこれぐらい。」
「いや、怪我をしてるし、これぐらいの魔術はなんて事ないよ。周りに人がいるような森でもないし、雑に飛ばしても問題はないし。」
「怪我なんて…さっき治して……」
シンダーの言っていることが首のことだと思いなんてことないと手を横に動かした時に手のひらが真っ赤になっていることに気づいた。指先からじんわりと痺れてきており、驚いているとシンダーはため息をついた。
「すみません。」
でも、気づいたことがある。この体の指先の感覚が鈍いということに。気づいたから少し痛みは感じはするが、痺れるような感覚があるだけで、出血に見合ったものではなかった。シンダーはポケットから出したハンカチを割いて両手に巻いた。グーパーと動かすと、赤く滲んだ。足元に落とした瓦礫の中から壊れた南京錠が零れていた。それを蹴ったことでシンダーは気づいたらしい。
「ここに、閉じ込められたことがある。」
それも、ある意味で彼の物語の始まりだったのかもしれない。酷い音の中、いつもの折檻のようにアメデオが箱にシンダーを閉じ込めた。その時村がヘルハウンドに襲われていて、恐怖から箱の中で泣いていると彼を外に出したのは他でもないそのヘルハウンドだったのだ。
「暗くて、怖くて、本当にそのまま死んでしまうんじゃないかと思ったんだ。」
大丈夫ですか、と問う前に、シンダーはパチン、と指を鳴らした。すると風が起こり表面にあった瓦礫は飛ばされて、周りには倒れた家具が残った。 ふと、一番奥にあった本棚が気になり、まるで「取り憑かれた」ようにそこに近づいた。古びてささくれた木がハンカチで覆われていない部分をチクチクと刺した。さっきまで対して気になりもしなかった傷が酷く痛んだ。
「…どうした?」
倒れた本棚を動かそうとする様子を見て、シンダーは駆け寄ってきて、手を貸した。するといとも簡単にそれが横にずらされた。何だか自分の非力さを感じて渋い顔をしていると、横でシンダーが息を飲むのが聞こえた。
「シンさん?」
「…いや、アメミヤ、君は」
何かを言いかけて、言葉が選びきれない様子でシンダーは口を噤んだ。その視線の先には、ちいさな正方形の形のドアが地面に付けられていた。
「地下ですか……?」
「そうみたいだね」
「行くしかないですかね。」
「そうだね」
シンダーがその扉を引くと、長い石の階段が下に伸びていた。パチンとまた彼が指を鳴らすと、ふわりと光が眼前に浮いていた。
「足元、気をつけてね」
そう言ってシンダーは剣に手をかけて階段を下っていった。地下からは冷たい風が吹き上げていた。