物語の人々
「というか、お前は誰なんだ」
ガシガシと頭を掻きながら目線を合わせるようにしゃがんで、シンダーは言った。こういうのは、必死で隠したり紆余曲折ありながら明かしたりするものではないのかと視線を泳がせると、頭上から舌打ちが聞こえて、思わず「話します話します」と震え声で慌ててしまった。アメデオ様はそんなことしない…と自分自身の至らなさに歯ぎしりをしそうになった。
「異世界って信じます…?」
「…信じるも信じないも、お前はそこの人だと言いたいのか」
「察しが早くて助かります…」
えっと、と何度も言葉に詰まりながらも説明をした。シンダーは今は口調こそ不遜なように見えるが、本来は素直で争いを好まない性格である。それを知っているからこそ、何となく「酷くはされないだろう」という信頼はあった。
信頼は、あっても、だ。 まるで2次元から飛び出してきたような、というかこっちから飛び込んでいるのだから、その次元の主人公らしい美丈夫に険しい目つきで問いただされて平静を保つ方が無理な話である。早口、テンパリ、支離滅裂も甚だしく何とかしている説明を、彼はただ黙って聞いていた。辛い幼少期を耐え抜いた少年らしいな、とも思った。
「えっと……私は別の世界から多分来ていて、なんでそう思ったかって事なんですけど、私たちの世界ではこの世界の事を綴った本が出てるみたいな感じなんです。私はそれを読んでいたから知っていて、怪しいものでは無いです。多分、私、アメデオさ…アメデオですよね?でも、私は全然違う人で、だから、元の世界に帰りたいんですけど、それもどうやっていいか分からないんです。でも、探すためにここにいるのも困るっていうか。」
「…分かった」
「分かったんですか!?」
「お前が説明したのに、何故お前が驚くんだ。」
呆れたような顔をしたシンダーに「私も訳分からない事を言っている自覚はあるので」と告げると彼は「まあ完全に理解した訳ではないが」と返した。
「信じるも信じないも、お前はアメデオではない、という確信があるしな。」
「私が聞くのも変ですが…何か根拠が?」
「根拠ってお前…発言、挙動、全部だろう。アレがやらなさすぎる。」
「本当にごもっともで……」
じっとこちらを見る強い眼光にいたたまれなくなって腕で視線を遮りながら目を逸らした。シンダーはよし、というと立ち上がってこちらに手を差し出した。
「俺ではどうも判断がつきかねる。まずは治癒の為に神殿に行くつもりだったし大神官の時間でも空いていたら尋ねるか。」
「……私を外に出しても?」
「お前がアメデオだろうとそうじゃなかろうと、俺は殺せるしな。」
「確かに。」
そう神妙に返すと、彼は「俺の事も知ってるんだな」と言った。
「まあ、この世界の民なら知ってはいそうだがお前は異世界の人間らしいしな。」
「…貴方の話なんです、私たちに伝わってるのは。」
「へぇ、そうか。」
「興味ないんですか?」
「納得はあるかもしれないな。」
「なんですか、それ」
地下牢の通路を、まるで移動教室かのような緩い会話をしながら歩いていた。どうにもふわふわと、まだ夢心地な感覚が抜けず、何かの拍子に目が覚めてしまうのでは無いかと思った。そうじゃないなら、大好きな作品だからといって結末に相当のトラウマを持ちすぎだろう、と自分にあきれそうになる。
(まあ、夢なんだろうな)
実際にそうホイホイと異世界へ憑依など起こるわけがない。ならば夢の中では楽しむべきだ、と思った。ズキズキと首が痛むのは、なんか、寝相が悪くてぶつけたとかだろう。 しばらく歩くと、先程シンダーに退かされた人がこちらをみて、ギョッと目を丸くさせていた。
「シンダー様…えっと…どういう…」
「どうやら気が動転しているのか記憶がないらしい。」
「それにしても危険では…」
「俺がコイツに殺られるわけないだろう」
グッと周りが言葉に詰まっている。それもそうだ。理論が暴君すぎる。王になる前にこんなんじゃあ、国を持った時に転覆させられるのはお前だぞ、と言いたくなった。主人公だからまぁ少しは贔屓目があるだけで、私自身この作品においてはヴィラン推しだったこともあり敵対心はそこそこある。
(でも、助かってるのは事実だから)
今は仲良くしてやろう、という気持ちで横目で見ると、視線に気づいたらしいシンダーが口をパクパクさせながら「何だ」と澄ましていた。その時だった。 「シンダー様!」 鈴の鳴るような可憐な声だ、と思った。薄暗い地下牢入口である階段から現れたのは、本人が発光してるのかと思えるほどの美少女だった。シンダーを見るなりふわふわとした絹のようなブロンドを揺らして駆け寄って来たその人は薔薇のような香りがした。
「アンジェリケ姫、このような所に」
「シンダー、どうかアンジェと」
胸の前で手を祈るように組むという舞台じみた動きさえさまになっているその美少女をみて、思わず声を上げそうになった口を抑えると、手からはツンと血の香りがした。けれど挙動がおかしくなってしまうのは仕方ない。なぜなら、目の前にいるのは所謂「ヒロインレース」で勝ちヒロインとなった「アンジェリケ・ド・フランガロ姫様」である。
好きな作品の世界にせっかく来たのであれば、おさえておくべき2人を目の前にしながら、オタク脳はすぐに他の方程式を導き出していた。さながら恋する乙女の声色、婚約者同士のバラ色の会話だ、と思っていたが、どこかシンダーの様子がぎこちなく感じた。 それから、ピリピリとした殺気のようなものを感じた方にパッと目を上げた。 (いた…!)
まるで大樹かのようにそこにいながらにして、意識しなければ背景に溶け込んでしまう手練の能力を持ったその人は、一切の警戒心を緩めずにこちらをジッと見つめていた。180はゆうに超えているだろうシンダーと同じほどの身長と、広く分厚い肩に縛られた黒髪が少しかかっている。目尻は下がっているというのに、温厚そうな雰囲気など一切纏わず、ただ、姫に敵対するものがあれば許さないと言わんばかりの目つきでこちらを伺っている女性は人違いをするのが無理な程に特徴的だ。
(女騎士サンドラ……!)
作中では王国編の序盤まではレギュラーのように存在感があり、私自身、彼女はお気に入りのキャラクターの一人であった。ヒロインレース要素が強くなってきてからは存在感が薄れ、グッズラインナップからも姿を消したが、彼女の姫と並んでいるとやはり見栄えがして飛び上がりそうになる。
「シンダー様、このような者を何故外にお出しになって?」
「ああ、負傷をしてしまったようで、治療にでも連れて行かねばと思いまして」
「この人は大罪人なのですよ?」
「承知しております、が、事情がありまして…」
チラリ、とシンダーがこちらに視線を寄越したときに私の話か、と気づき頭を下げた。彼女が「サンドラ」と呼ぶとすぐに返事をした彼女は私の手首に手錠を嵌めた。
「失礼」
「いえ…」
その時に彼女の手が手首に触れた。
(手が大きい!)
そもそも、アメデオの手首が細すぎる、というのもあるのだが、それを簡単にへし折ることの出来そうな少しかさついた手は自分の中のイメージと一致して、それが何だか妙に嬉しかった。
「サンドラ、下がりなさい」
その時、ピンと、張り詰めたようなアンジェリケの声がした。大きな目をスっと細めた彼女がこちらを伺っていて、自分の体より小柄だというのにその雰囲気に圧倒された。
「…牢から出すというのならば、せめて拘束はしたままにしてくださいませ。貴方は大丈夫だとしても、です。」
「申し訳ありません、配慮に欠けておりました。」
「いえ!貴方様が無事なら良いのです!アンジェリケはいつもシンダー様を思い、心配していることを忘れないでくださいまし。」
声色が、変わった。ハッキリと分かって少し狼狽えながらシンダーが頭を下げるのに合わせて、自らも頭をさげると、アンジェリケは「フン」と鼻を鳴らしそこから立ち去った。
それから無言のまま馬車へ移動し、車内で二人きりになった時に彼女についてひとこと零した。
「思っていた印象と、違いました…」
アンジェリケ姫は、まだ10代半ばのあどけなさの残る可憐な少女でありながら、正義感も強く、責任感もあり、武力を持たないとしても覚悟と頼りがいがある人気のヒロインのひとりであった。私も最初の頃は好きではあったが、物語の終盤の王国編からはシンダーとのロマンスが中心として描かれていて、一部では「頭が悪くなった」とまで言われていたし、個人的に見ても否定出来ずにせつない気持ちになったキャラクターのひとりだ。
だから、もっと溌剌とし、明るいと思ったのだ。正しく言うと、確かに、年相応の少女らしい振る舞いではあっただろうが、何故だか、その振る舞いと、その中に言いようのない噛み合わなさ、不自然さが混ざっているようにみえて、いっそ機械的だと思った。
「そうだな」
シンダーの返事も曖昧で、言葉に言い表せない得体の知れなさに体をだくように腕を組んだ。しばらく沈黙が流れ、馬車の速度が落ちていくのを感じだ。車窓には白く優美な神殿が見えていた。




