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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
➋雪月 834年?月?日~

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8/53

➋雪月 ―セツゲツ― 

 陛下が凱旋なさってから後宮においでくださるまで、五日ほどの間がありました。


 臣たちより都の状況を聞き、戦によって得たもの、失ったもの、それらを整理しておられたのでしょう。

 数多の民を抱え、国を統べるということは、生身の人間には大変なご苦労にございます。


 いえ、陛下はただの人などではなく、神に等しい存在であるからこそ皇帝としておわすのです。そのような心配をするなど、むしろ不敬ではあるのでしょう。


 それでも私は陛下にお会いするまでは気が休まりませんでした。陛下がお戻りになってからというもの、毎日、今か今かと待ち侘びていたのです。


 けれども、陛下は真っ先に私をお呼びくださったわけではございません。

 まずは賢妃(けんひ)である()繚爛(りょうらん)様にお会いになられたのです。


 私よりも五つ年上で、それは美しいお方です。私が後宮へ入るよりも前から、すでに陛下の妃のお一人にございました。


 陛下とお二人で並んでおられれば、誰もが見惚れます。

 残念なことに流れてしまわれたそうですが、一度だけお子ができたという賢妃様ですから、陛下も大事になさっておいでなのです。


 もし私が身籠ったなら、陛下は賢妃様よりも私を大切にしてくださるのでしょうか。

 後宮に身を置く妃として、私は他の方々と同じように、陛下を独占したいという不相応な望みを抱くようになっておりました。これが成長と言ってよいのかもわかりませんが。


 ただ、陛下は賢妃様のところばかりで、別の妃のもとへ行こうとはなさらなかったのです。それが悲しくて、切なくて、私は夜な夜な涙を零しました。


 それほど賢妃様の寵が深いのでしたら、以前のように、ただ静かに茶を淹れさせて頂くだけでもよかったのです。

 些細なお言葉でもひと声かけて頂きたかったのです。


 陛下は私のことなどすっかりお忘れのようでした。

 賢妃様はこの寵愛をさぞ誇っておられるのかと、私は賢妃様にお会いするのを避けたい気持ちで数日を過ごしておりました。


 ところが、私が避けずとも、賢妃様はお(へや)から出てこられませんでした。お疲れだとのことです。


 その不調の理由に思い当たらぬほど、私はもう幼くはないのです。お二人で過ごす夜がどのようなものであったのか、私は胸が絞めつけられる思いでおりました。


 憂鬱に過ごしていた私のところに、侍女の金児(きんじ)が侍女仲間を連れてきました。その侍女は、大層憂い顔で何やら言いにくそうに切り出しました。


「あの、淑妃様。淑妃様のお薬湯が心を鎮めてくださるとお聞きして参りました。もちろんお礼は致しますので、それをほんの少し分けて頂きたいのです」


 金児は私と同じ年で、そのこともあって気心が知れています。目立つ容姿ではありませんが、表情が豊かで面倒見が良い点も好ましく、私の身の回りに気を配ってくれることを常々感謝しています。


 私はそんな金児が心配するこの侍女を放っておくのを忍びなく感じました。

 その侍女はとても怯えて見えたのです。


「こんなことを淑妃様にお願いするなんて、お門違いなのも承知しております。けれど、もうどうしていいのやら――」


 そう言って、その侍女は泣き出してしまいました。二十歳ほどの落ち着いた女人に見えるだけに驚くばかりです。余程困っているのだろうと思い、まずはその侍女を(へや)に入れ、侍女に薬湯茶を飲ませることにしました。


「さあ、どうぞ」


 侍女が妃に茶を振舞われるなんて、こんなことが知れたら大変だと思ったのでしょう。彼女は膝を突いて額を床に擦りつけました。


「ありがとうございます。さっそくお持ちさせて頂きます」

「あなたが飲むのではないの?」


 この侍女も心を鎮めなくてはならないほど取り乱していました。それでも、自分ではないと言うのです。


「いいえ、私が淑妃様のお薬湯を頂くだなんて恐れ多いことです。これは、賢妃様に――」


 言いかけて、ハッと口を噤みました。

 この時の私は、いつもよりも厳しい表情を浮かべていたことでしょう。


「賢妃様に? こんなものを差し上げられるはずがないでしょう?」


 互いに蹴落とし合う女同士、毒や堕胎薬を入れたと言われたらおしまいです。後宮ではどんな罠が潜んでいるとも知れないのですから、情にほだされかかった私は危うく墓穴を掘るところでした。


 淹れた薬湯を私はわざと床に零しました。それを見た侍女は、本当にもうどうしていいのかわからないようで、顔を覆って立ち上がりません。それを金児が慰めるのです。


「お力になりたいとは思います。でも、やはり事情も話して頂けないままではこれ以上は無理があります。申し訳ないことですが」


 侍女は何かをつぶやいていましたが、私にも金児にも聞き取ることはできませんでした。金児は侍女の両肩を抱き、立ち上がる手伝いをしました。


「さあ、そろそろお戻りになりませんと賢妃様がお困りになりましょう」


 金児の優しい声に、侍女はまたわっと泣き出しました。


「賢妃様がひどく怯えておられるのです。夜が怖いと仰って、もう気も狂わんばかりで――っ」


 夜が怖いと。

 私と金児は首を傾げるばかりでした。


「夜になると、亡者の霊でも見えるのですか?」


 後宮で亡くなった人は数多く、そのうちの誰かが化けて出たということでしょうか。

 ぞっとする話で、私も背筋が凍ってしまいました。


 けれど、侍女はうなずきませんでした。その先を口にすることをひどく恐れていて、結局何も言わず、気持ちが落ち着くと私に非礼を詫びて退出していったのでした。


「賢妃様は一体何に怯えておいでなのかしら?」


 私は独り言ち、それを金児が拾いました。


「このところずっと陛下に選ばれておいででした。もしかすると、その、お体のご負担から心もお疲れになったからではないかと」


 少し言いにくそうに言ったのは、私の妬心を煽りたくないからでしょう。

 つまり、陛下との閨があまりに長く濃密であるが故に、賢妃様がご苦痛を感じておられると。


 そこは私には推し量れないものでした。私も同じ立場になれば陛下に恐れを抱くようになるのでしょうか。

 私は、このまま陛下に顧みられずにこの位も返上しなくてはならないことになるよりはそれでも会いに来て頂きたいと考えました。


 そうして、その晩、私の願いは叶えられたのです。


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