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虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
②Eilidh 1132年10月3日

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②Eilidh ―エイリッド―

 エイリッドは、自分が書物を読んでいることを忘れ、書き手と同化してしまったような感覚でいた。

 メイドが部屋の扉を叩かなければ、()()()()()も思い出さなかったのだ。


 ドキドキと騒ぐ胸を落ち着け、エイリッドは渋々ながらに本を閉じた。本当は続きが読みたい。けれど、邪魔をされずに読み進めたかったので諦めた。それでも、頭の中ではこの書物について考えを巡らせていた。


 最初のページにあった文字の一部がかすれて読めなかったけれど、あそこにはこれを書いた〈周雪月〉の位と名が記されていたと思われる。彼女はこの書き出しでは〈淑妃〉であるとされていた。


 しかし、そこから昇り詰めて皇太后にでもなったかもしれない。この書を読むにあたり、歴史書で先に調べておくべきだろうか。後宮の位は時代によって様々だから、景代の時はどうだったのかももう少し知っておきたい。


 エイリッドは大東国の民俗学や文学は好きだが、歴史を網羅しているとまでは言えなかった。文学がよく書かれた時代だけに詳しく、知識が偏っているのも自覚している。


「お嬢様、お茶の支度が整いました。奥様がお待ちでございます」

「……今行くわ」


 母と差し向かいで座って、今日は何を言われるのだろう。

 昨日はエイリッドがよく知らない人の話をされた。その友人にはとても優秀な娘がいて、でも容姿は浅黒く美人とは言えないとかなんとか。退屈すぎて忘れてしまった。


 母は自分が他人から見て羨まれる環境であるというその一点にのみ意味を見出す。

 エイリッドは本と自転車が好きだが、それらの趣味を共有できる人はいなくとも気にならない。人がどう思っても、自分自身が好きだと胸を張って言えたらいい。

 だから、母のこの他人の評価を異常に気にする性質には馴染めなかった。


「帰国した途端にあちらこちらからたくさん招待をしてくださるのは嬉しいけれど、しばらくはゆっくりしないと疲れてしまうものね」


 その茶会へ招待してくれた夫人たちは、母から見て二流で、期待していたような人たちからの招待は少なかったのだろう。そうでなければすぐにでも出かけている。


 エイリッドは話を長引かせないためには母の機嫌を損ねないのが一番だと思った。


「そうね。長旅に慣れているとはいえ、お疲れでしょう?」


 当り障りのないことを言い、紅茶をひと口飲んだ。いつもの、エイリッドの好きな茶葉ではなくなっていた。母の好みに変えられている。家族が滞在していると、エイリッドの優先順位はとても低いのだ。


 落胆しつつも、どうでもいいことだと割り切った。そんなことよりも、あの本の続きが気になる。


 雪月は戦に赴いた皇帝と再会できたようだが、何か妙に含みのある書き方をしていた。うろ覚えではあるけれど、景王朝で戦に出た先で皇帝が討たれたという史実はなかったはずだ。

 無事に帰りはしたけれど、負傷していたのか。自ら馬を駆って戦地に乗り出すような皇帝もいたと聞く。


「――エイリッド、聞いているの?」


 突然、母に声をかけられた。

 エイリッドが聞いていなかったから唐突に感じただけで、本当は母だけが一方的に喋っていたのかもしれない。

 つい、書物のことが気になってうわの空だった。


「ごめんなさい、お母様。昨晩はよく眠れなくて」


 ということにしておこう。アンニュイにため息をついておいた。

 白々しいと半眼になっているかと思えば、母は妙に訳知り顔でうなずいていた。


「ええ、わかるわ。デビュタントを控えたあなたの年頃なら、不安と期待がいっぱいですものね。かく言う私も――」


 話を短く切り上げたかったのに、下手を打ってしまった。母の舌は興に乗って滑り出したら止まらない。

 初めての社交界ではこうだった、不安はもちろんあったけれど、たくさんの賞賛を集めた、などなど。


 自分語りの大好きな母は、家族の留守中にエイリッドがどうしていたのかなどとは少しも訊かないのだった。髪を切ったことすらまだ気づかれていないのが面白い。


「それは素敵ね」


 適当に相槌を打ちながら、早く部屋に戻りたいとそればかりを思った。

 父の書斎に行けば景王朝の歴史について書かれた書籍があるはずだが、父にそれを貸してほしいというのは気が引けた。そんなものは婦女子の読み物ではないと言われるだろう。


 あの書を読み進めながら、近いうちに王立図書館へ行って景王朝について詳しく書かれた資料を借りてきたい。今借りている本は期限までに読めないかもしれないので、一度返してまた借りてもいい。


 感心の赴くまま、自分のことなど二の次であるエイリッドは、母のことを言えないくらいにのん気ではあったのかもしれない。


 自由な時間はそう多く残されていないという事実に未だ気づいていなかったのだから。


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